第43回日本語スピーチコンテスト

Photo_2

「まにら新聞」によると、2月27日、首都圏マンダルーヨン市のショッピングモールにて、国際交流基金マニラ日本文化センター主催の「第11回日本語フィエスタ」が開催されました。
午前中は、第43回日本語スピーチコンテストが行われ、学生、社会人、自由参加の3部門で、各地区の予選を勝ち抜いてきた11人が日本語でスピーチを行いました。
最優秀賞は、自由参加部門でミンダナオ国際大学生のプリンセス・メグ・ペレスさん、優秀賞は、学生部門で同じ大学のジョイス・パカルドさんが受賞しました。

ダバオにある、ミンダナオ国際大学は日系人会やフィリピン・日本ボランティア協会が関わっているのです。
今までの日本語教育の成果が表れているのが嬉しいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

映画『クロスロード』

・ ・ ・

フィリピンを舞台にした青年海外協力隊の映画を観てきました。
研修所で同期だった3人は、ルソン島のバギオ、ベンケット、イフガオにそれぞれ派遣されます。

1900年代初め、フィリピンを領有したアメリカはバギオを避暑地として開発をしました。
マニラからの道路建設のベンケットの所を日本人移民が行いました。
ですから、この辺りは100年以上前から日本人が行っていました。道路工事だけではなくて農業もしました。予告編にも出てきますが、映画ではこの時に日本人が栽培していたイチゴが市場に山積になっている場面が出てきます。
イフガオでは戦争の傷跡が出てきます。
現在、青年海外協力隊は現地に行き、住民の側に立って活動をしています。
映画では、民間レベルでの日比交流の110年くらいをザックリと眺めることもできます。
良くも悪くもフィリピンに行って日本人が行ったことは、後に残っています。
それでもこの100年間、日比交流は良くなってきていると思います。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

タウスグ

Photo
「イースタービレッジ便り」が届きました。
封筒に貼ってあった切手を見て、驚きました。
コレって、タウスグ民族の織物じゃないかしら?

タウスグってスールー諸島にいる民族で、宗教はイスラム教。
1900年前後の事を多少しか知りませんが、知識階級はタウスグ民族が占めていました。
だからでしょうか、1912年にムスリムリーダー60人の連名でオスマン帝国に宗教指導者を送って欲しいと出した請願書はタウスグ語で書いていたのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ダバオの旅行ガイドブック

Cimg0057

フィリピンの旅行ガイドブックと言えば「地球を歩く」。
1冊にフィリピン全土を紹介しているので、ミンダナオはページ数が少ないです。
ダバオにしたって、ほんの数ページしかありません。
これじゃぁねぇ~、
行く日本人は増えないわ・・・と思っていたら、Kindleでダバオのガイドブックが発売になっていました。
ダバオはいい所だよ。
ミンダナオは地味だけど、見どころが満載ですし。
多くの日本人が訪問して、ミンダナオの良さを知って欲しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

キリノ大統領の恩赦

1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾しました。ポツダム宣言はアメリカ、イギリス、中国が日本に対してのものなので、フィリピンとは9月5日に降伏調印式が行われ、多大な犠牲を払った戦争が終わりました。

戦争が終わってから戦犯裁判が始まりました。
反日感情が激しい中で、公平な裁判を行うように、フィリピン側は努力しました。
戦犯の弁護士を担当した弁護士の自宅が襲われることもありました。

1945年2月3日から始まったマニラ戦が、日本軍がアメリカ軍に相当される3月3日で終わり、解放されてから、マッカーサー将軍の軍事補佐官をしていたルロス・ロムロな、ジープでキリノ上院議員(のちの大統領)の私邸を通りかかりました。キリノの家族の死体は「奇妙な格好のまま、埋葬されることなく、散らかっていた。」と証言しています。
キリノは自宅まで行きましたが、自分の家族を埋葬することすらできませんでした。
この様な体験のあるキリノが大統領に就任し、最後の仕事が、戦犯の恩赦でした。
吉田首相はキリノ大統領に謝電を打ちました。
「閣下の崇高でキリスト教精神に基づく措置について日本の全国民は永遠に記憶に留めることでありましょう。」

キリノ元大統領の恩赦の記事が「マニラ新聞」に掲載されていましたので、リンクします。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

アキノ大統領訪日

6月2日から5日までアキノ大統領が国賓として訪日していた3日、BSジャパンを入れたら、ちょうどニュースが始まったばかりで、アキノ大統領の独占インタビューが有るとのこと。
フィリピンが私を呼んでるぅ~♪
テレビで見るアキノ大統領は知性あふれるイケメン。
写真よりもずっといいわぁ~♪♪

3日夜は宮中晩さん会、4日は首脳会談がありました。
アキノ大統領が内政で力を入れたのが経済発展で、以前は3パーセント強の伸びだったのが、現在では6パーセント強と2倍になっています。
私が大統領の業績で一番いいなと思うのは、健康保険の改革です。
フィリピンでは公務員とその家族が強制的に加入するものと、国民皆保険を目指したフィリヘルスがありますが、人口の4割いると言われている貧困層は保険の支払いが出来ないので加入できないでいました。...
そのような人たちのために、フォーピースが出来ました。
昨年11月にミンダナオ島に行ったときに、イスラームの女性たち(医師や看護師)の医療チームの巡回診療の見学をしました。フォーピースを利用しているとのこと。アキノ大統領が作った制度なので、大統領が変わったら無くなるのではないかと心配をしていました。
大統領の再選は禁じられているフィリピン。アキノ大統領の任期はあと1年です。
大統領が変わってもフォーピースが続いていますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

お食事編

今回の旅行でも、何処に行ってもお料理がおいしかった。
行く先々で3時のおやつも出る。
今までの経験から、どうもフィリピンの3時のおやつは、軽食のようなスナックのようだ。
キャッサバ、バナナ、イモ類など、おなかが膨れるものばかり。
それでも、毎日のようにプチ登山をして体張ったから、夕食はしっかりいただける。
現地の人たちがいつもはこのようなものを食べているのではないから、もてなされているのが分かる。

それでは、滞在中に食べたものをいくつか紹介します。
まずは、大韓航空の一番人気の機内食、コリアンフードから。

Photo
下の写真2枚は、レイクセブ町で宿泊した学校の研修所での食事。フィリピンのバナナは種類が豊富で、生食用のは味が濃厚です。

Cimg6732
下の写真の右上にあるのは、貝のアギヒで、アサリのような感じの貝でした。

Cimg6948
写真中央手前のお皿に盛ってあるのは、ご飯とキャッサバ。白い器に入っているのは、スープ。

Photo_2

左から、トウモロコシ、黄色と白いのはキャッサバ。キャッサバはおやつを作るときの材料にもなり、黄色いほうが品質が良いのだそうです。その下にあるのは、サトイモです。

Photo_3
ジャックフルーツをココナッツミルクで煮たもの。ジャックフルーツは生食しかしたことがなかったので、お料理に使ったのは初めてでした。
Photo_4

巡回診療の見学をした時の昼食。ジュースの下にあるのは、煮たバナナ。おパンに塗ってあるのはマヨネーズです。
Photo_6

奨学生が私たちのために用意してくれた食事とお菓子。
Photo_7

外を歩いていたらバナナを焼いていましたので、1本購入。一串にバナナが2個さしてあります。
Photo_8

レストランで、高級魚のテラピアを食べました。白身魚です。
Photo_9

レストランにて。左から鶏肉のスープと揚げたテラピア。
Photo_10

カラマンシーのジュース。多少の酸っぱさがあります。レモンジュースに近いかな?
Photo_11

沢山の人数でレストランに入ると、ご飯がこのように盛って出されました。一山が一人分です。
Photo_12

左側は上げたテラピア。テラピアを結構食べていますね。
Photo_13

フィリピンの代表的なスイーツのハロハロです。ウベのアイスクリームの下にはかき氷があり、練乳のような甘い牛乳をかけてあります。
Photo_14

ダバオに行くといつも利用している食堂Point-pointで。ここは相変わらずおいしい。
Photo_5

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Freddie AguilarのCD

Cd
市場って食品だけじゃなくて、色々なものが売っています。
CDを売っているお店がありましたので、欲しかったFreddie AguilarのCDがあるかどうか聞いてみると、あるとのこと。
1枚購入したのが写真右側のです。
23ペソだった。
帰ってから早速聞くと、mp3のコピーで、数枚のCDが入っています。
スキップが出来ないから、いつも最初から聞かなきゃならなくなります。
7枚目の途中まで聞いたのですが、最後まで聞いたことがない。

このCD、音質が悪かったら困るから、ダバオのショッピングモールで正規の物を1枚買ってきました(写真の左側)。このCDを買うのに、ショッピングモールを3軒回りました。タクシーを使ったから、CD代金よりタクシー代のほうが高くついた。
やっぱり、正規の物のほうが音質は良いわ。
1枚250ペソです。

前回も今回もCDショップにはグレース・ノノのCDはありませんでした。次回フィリピンに行った時に市場であるかどうか、聞いてみよう。
市場だったらあるような気がします。
ネットで探してみるって方法がありますが、やっぱり、行って買いたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ダバオ

Photo_13
ジェネラルサントスのバスターミナルからからノンストップのダバオ行きのバスに乗りました。
座席はとっても乗りここちいいのぉ~。

Photo_14
終点、ダバオのエコランドバスターミナルで下車。所要時間は4時間、料金は300ペソ。
ダバオ市庁舎はクリスマス~。

Photo_15

ホテルはいつも利用している、ダウンタウンにあるアルジェムスインに飛び込み成功。ホテルの予約サイトだと料金が2倍以上するのです。だから、ホテルにメールして直接予約するか、飛び込みがいいのです。
ホテルの近くに白い大きな荒れ果てた家がありました。綺麗になっていて2階はレストランになっています。
ここは、旧オボサ邸。日本軍政期にダバオ市長だった人。2階に写真などが展示されています。

Photo_16
旧オボサ邸の向かいにある食堂「Point-point」はお料理がおいしいの。食事はいつもここでするようにしています。
今回の旅行の最後の食事もここでしました。

Photo_17

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サウスコタバト州セブ湖

Photo_8
高原にあるセブ湖は涼しいのでリゾート地として開発が進んでいます。
一つの花にオレンジ系の花を咲かせる植物を見つけました。

Photo_9
ホテルやレストランがあります。

Photo_10
ここの湖では、高級魚のテラピアが養殖されています。
テラピアは美味しいわぁ~。

Photo_11

女性たちの自立のための組合「COWHED」がお店を出しています。
製作したものを個人で売っているよりも、組合で売ったほうが買いたたかれなくて済むようになったそうです。

Cowhed
チボリ民族の博物館がありました。
博物館前にはサルを飼っていました。

Photo_12
博物館の中には16世紀のゴングが展示されていました。
16世紀ですよ。
スペイン時代ですよ。
スペインは強制的にキリスト教化するとともに、土着の音楽を根絶しようとしたのです。
そのスペインからの支配を免れようと、イスラームは戦っていました。
ですから、ゴングは残っているのです。
スペイン時代のゴングを目の当たりにして、感動しました。

16

| | コメント (0) | トラックバック (0)

レイク・セブ町:セブンホールの滝

Photo_5

地元の人が、どうしても見せたいものがあるというので、セブンホールの滝に行ってきました。
土産物店が立ち並んでいます。
時間の都合上、7つの滝を全部見られないのが残念です。

1
第1の滝です。

Photo_6
川で会を取っている男性がいました。

Photo_7
貝の名前はアギヒ。アサリのような貝です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サウスコタバト州レイクセブ町:コミュニティーセンター

Photo
ここの地域は野鳥の宝庫。
その野鳥を取に来る人がいるので,写真中央にあるコミュニティーセンターは、その見張りの役割も果たしています。
ここでは、キンダーもあり、住民の教育をしたり、なんでもします。

Photo_2
民族の踊りが良く保存されているなと思いました。
子供の頃から、教わるんですね。

Photo_3
キンダーのクラスです。先生が二人で、3歳から6歳までの子どもが通います。

Photo_4

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サランガニ州ブラコン・トゥヤン村

ここはビラアン民族とマギンダナオ民族の住む、ブラコン・トゥヤン村。
宗教はイスラームとキリスト教。

Photo_5

イスラームの医療従事者の女性が中心となって、車に医療器具や薬を積んで、巡回診療をしています。
診察、医療指導や相談、妊婦健診などを行っています。
栄養指導を始めてから病気が少なくなったそうです。

Photo_6
デイケアセンターがあり、巡回診療にはここも利用します。
デイケアセンターには、キンダーがあり、子供たち40人が通っています。

Photo_7
別のところにも15人が通っているそうです。
この巡回診療をしているグループは、女性の自立のための事業もしています。そのうちの一つが屋根作りです。

Photo_8
この屋根は、結構需要があるから、収入になるのです。
ちょうどこの日はコンテスト。作る速さを競うのです。
競争が始まったら、みなさん、作る手が早く動くこと!
1位の人は商品をもらっていました。

何処の集落にも鶏がいます。
ここには、アヒルや闘鶏用の鶏もいました。

Photo_9

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サウスコタバト州ラムアフス村

前日は深夜12時ころにマニラのホテルに到着し、午前4時に起きて空港に行き、ジェネラルサントスまで飛びました。
それからの山登りです。。。
ぬかるみで車が通れなくなるところまで車に乗って行き、歩いて馬に乗れるところまで行きました。
私が乗った馬を引いていた少年の後ろ足首には大きな傷跡がいくつもあります。この道をの歩けるようになるまでに、痛い思いを沢山したのでしょうね。
馬に乗っても山道はきつかった。
馬は少し歩いては立ち止まりため息をつくんです。
私も乗っていてつらくなりましたので、降りて歩くことにしました。

Photo
傾斜はだいたい40度くらい。馬が歩けるように傾斜が緩い道なのだそです。
平らな所では余裕が出てきますので、写真が撮れます。
そりゃあ、景色は素晴らしいです。
山道を私の手を引いてくださっていた現地の人は、この山道を1日5回上り下りしているとのころ。
山登りが終わって集落に着くと、長老がいました。

Photo_2
長老は、クルアーンやハディースを勉強した村一番の賢者。
村人から尊敬されています。

Photo_3

村には小学校があります。私たちも給食を食べます。給食以外にもお料理を作ってくださっていました。鶏肉料理もあります。私たちのために外を自由に歩き回っている鶏が一羽、天国に召されました。
この日の給食はいつもよりもご馳走です。赤い容器に入っているのは、ジャックフルーツとココナッツミルクを煮たものです。これが結構おいしかった。もう一つはインゲン豆のスープ。子供たちは楽しんだことでしょう。
給食が終わってから子どもたちにはブラシを配って、簡単な歯磨き指導です。

Photo_4しばらくこの集落にいて、帰りは歩きですから、行きよりも傾斜が急で距離が短い道を行きます。
傾斜はほぼ60度。それでも降りてこられたたのは、現地の人が手を引いてくださったおかげです。
途中から車のある所までバイクに乗りました。運転手の後ろに3人!

このような過酷な環境で生活している人たちをふれていると、私の悩みや迷いって、取るに足りないことだなと思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ダバオにおけるアジア太平洋戦争①開戦

1941年12月1日、御前会議で開戦が決定されました。
日・独・伊三濃く同盟を背景に英米依存から脱却するのを目的とした大東那共栄圏建設の雨の戦争だといい、アジアの解放をうたっていました。
ですが、フィリピンはアメリカ体制期ですが10年後の独立を約束されていましたので、当てはまりません。

12月8日、台湾西部から爆撃機43機が出撃し、ルソン島とダバオ湾洋上に停泊中の米水上機母艦とダバオのササ空港を攻撃しました。
開戦直後から在留邦人は収容所に収容されました。
収容所では男女別になり、虐待があり、食糧不足、トイレにも困るなど生活は厳しく、日本人が殺害されることもありました。
そのような中、日本人学校の先生は子供たちを集めて精神鍬やゲームをし、不安を和らげていました。

12月20日早朝、日本軍は三浦支隊、坂口支隊が海軍と共同でダバオ攻略作戦を決行し、他の部隊も歩調を合わせ、その日のうちにダバオ市街を占領し、収容されたz細粒邦人は順次開放されました。
21日は、その兵力を展開し、29日までに他の部隊も合流し、配備が完了しました。

20日は3か所で虐殺が起きて、邦人犠牲者は57人になりました。
収容されている間に略奪にあっていました。
損害は、日経栽培会社の記録によりますと、トラック、自動車、牛、馬を含む機械器具、商品、現金、建物消失です。建物消失はそれほどでありませんでした。

開放された在留邦人は報復に出ましたので、ダバオ領事館は告示を出しましたが、収まりませんでした。
収容中に略奪にあった財産の没収、犯人捜し、親米・反日のフィリピン人を逮捕し各地の小学校に収容しました。
その中には二度と戻って来れなかった人たちがいました。

開放された在留邦人は軍の指導も下、居留民団を結成し、日本人会は居留民団に結合され、日本軍から歩兵銃の貸与があり、軍と行動を共にするようになりました。
居留民団は義勇隊となりました。
フィリピン人は身の安全を図るために郊外に避難をしました。
翌年1月12日にダバオに群生が施行され、ダバオ市は傀儡行政となりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«「フィリピンBC級戦犯裁判」