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08年旅行記

2009.07.19

ミンダナオとジャワ島旅行

明治時代、祖父の叔父がジャワ島で仕事をし、大正時代に祖父が叔父を頼ってジャワ島に行き仕事を始めました。昭和に入り、祖母が結婚のためにジャワに行き、子ども達が生まれ、戦争が始まるから引き揚げてきました。そんな事があるので、ジャワ島ではジャカルタとスマランに行き、祖父の仕事をしていた場所と住んでいた場所を尋ねに行きました。

準備段階からジャカルタとスマランに住んでいる日本人に協力していただいたので、旅行の目的は達成されました。

ミンダナオでは、養護施設の「イースタービレッジ」を訪問し、子供達とお泊り会をし、楽しいひと時を過ごし、日毎に疲れが取れるのを感じました。

ダバオは開拓の時に沢山の日本人が行き、戦前はダバオだけで2万人の日本人が住んでいました。開拓の跡地を見ました。

今回の旅行では、色々なことを考えさせられました。

さあ、ミンダナオ島に出発!!

今回は千歳からソウル経由でマニラに入りました。

コリアン航空です。

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ソウル空港到着。

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今まで乗り継ぎは、関空、成田、シンガポール、香港を利用したことがありますが、乗り継ぎの移動が少ないソウルが一番楽でした。

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外国人向けに韓国の文化を体験する伝統文化体験館があります。

毎週月、金、土曜は40番ゲートでは1100~、1700~と24番ゲートでは1215~、1815~、15分間の伝統芸術公演が行われていて、その後は参加者が伝統楽器の演奏体験もあります。

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私が行った日は木曜日だったので、伝統工芸体験だけでした。

こういう作品を作りました。

ソウルからマニラに飛びます。

マニラ空港で一番変わっていたところは、空港のタクシーです。

空港を出てすぐに、タクシーの表示に従って左、左に進みます。そうすると、空港専用の黄色いタクシー乗り場がありますので、それに乗ります。

メーターで、チップの要求もなく、マナーは以前より良いように感じました。

ホテルの名前と住所を告げて、予約していたGarden Plzaホテルに行きます。

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朝食は1階のレストランで取ります。

急いで朝食を済ませ、チェックアウト。

ホテルのフロントの人にタクシーを呼んでもらい、再び空港へ。

フィリピンエアラインに乗ってダバオまで飛びます。

イースタービレッジ①

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2年ぶりの訪問。

システムが変わり、スタッフや子ども達が変わってもイースタービレッジは変わらないなと思いました。滞在中は日毎に疲れが取れていくのを感じます。

子供達は16人。一番年下の子は1歳半。一番学年の上の子は小学校6年生。

大きい子達は親戚の家や親の家に帰ったので、平均年齢が下がりました。カメラを向けると寄って来るので、ピントが合いません。

子供達の1

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子供達は朝5時起床。朝食のしたく担当の子は、もう少し早いです。

空は綺麗な朝焼け。

シャワーを浴びて身支度を整えて、朝食。

後片付けをしてからお弁当を持って登校するのが7時。

今年度から子供達は学校が変わり、キダパワン市の中心部にあるマンモス校に通っています。学校の名前はエレメンタリー111学年10クラス。クラスは成績別です。

朝礼が済んでから各クラスに戻り、授業が始まります。

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学校の中に売店がありました。

学校が終わってから帰ってくるのは4時頃になります。

それまで幼児組はお留守番。

子ども達がお部屋に招待してくれて、覚えたハワイアンを披露してくれました。

<ハワイアンのビデオ>

以前から続けていた幼稚園が今年度からイースタービレッジの活動として正式に認められました。ビレッジの子達と近所の子達が仲良く遊んでいます。年齢別に午前と午後と二クラスに分かれて、先生二人が指導しています。

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イースタービレッジには遊具があり、みこころホールの裏の公園には動物を飼っているので、園児たちは遊ぶのに困りません。

肝心の幼稚園の建物の写真を撮るのを忘れてしまいました。

学校から帰ってからは、おうちのお手伝いです。自分の服を洗濯し、毎日お庭の掃除もします。

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庭掃除が終わったら、夕食の準備を手伝います。

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配膳が終わり、皆が席に着いたら食事です。

夕食時間は6時。

1歳半の子は大きい子が食べさせてくれます。

だって、何時までもダラダラと食べていたら、片付かないから・・・。

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食べ終わったら自分の食器は自分で流しに持って行き、皆で後片付けをします。

食器洗いの子、床掃除の子、テーブル拭きの子・・・。

夕食後は、毎週金曜日と土曜日はテレビを見る日。それ以外の日は、勉強をしたり、遊んだり、それぞれの時間を過ごします。

朝が早い子供達の就寝時間は8時。時間になるとパッと部屋に戻り、歯磨きをして寝ます。

キダパワン②

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昨年新しく建てられた「みこころホール」の裏に、公園があります。動物を飼っています。

ご夫婦でイースタービレッジの理解者である方が、ビレッジ訪問を前にして奥様が亡くなれ、御主人が奥様の遺骨を持ってこられて、埋葬しました。その上に立てられたのが、このサントニーニョ。

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日曜日は皆でミサに出かけます。

大きくなった教会から分かれて、出来たばかりの教会です。

外にまで、信徒さんが溢れています。

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ミサが終わり、神父さんが退場しようとすると子ども達が駆け寄って、祝福を受けています。

フィリピンのミサは自由で開放的で好きです。

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帰りはその場の思いつきで、ラーメンを食べにお店に入りました。

日本のラーメン丼よりずっと小さい丼に入っています。

これが結構美味しかった。

時々の子供達のお楽しみです。

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親戚の家に帰っていった3兄弟が、遊びに来ていました。

この3人じゃないよ。一番大きいお兄ちゃんです。

なんか、実家に帰ってきましたって感じです。

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カメラを向けると、すぐに寄ってきて、近づいてくるので、ピントが合わなくなること度々。

撮ったら、自分の姿を確認することを忘れません。

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子供達の顔と名前が覚えられなくて・・・。

ちょっと褒めると、天まで昇る男の子は誰??

私が日本語で一言言うと、ほぼ正確に返してくる女の子。

ちょっとの隙に私のお尻を触っていく女の子がいるよ。

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滞在中は、お泊り会をしました。床にマットを敷いて、ごろ寝です。

リンゴを食べて、遊んでの少しの時間なのですが、リュックに荷物を沢山詰めて持ってきた男の子がいました。

お手玉を一緒懸命している子、お絵かきをしている子、

消灯してから笑いのつぼに入り、笑っているのか、泣いているのか、息が止まっているのか分らなく、一人でベットの上に上り、一曲歌って踊ってして落ち着いた子がいました。

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最後に紹介するのは・・・

デェレクターの祐川神父さんが買って来たワンコちゃんです。

まだ赤ちゃん。

キダパワン市

<スダピンバランガイ>

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キダパワン市にあるスダピンバランガイ

1737世帯、8,000人位の規模です。

組織は、一番上がバランガイキャプテン。その下に、カガワッド、セクレタリー、トレジャラー、レコードキーパー(記録係り)、バランガイキャプテンの秘書がいます。

カガワットは7人いて、教育、健康問題、農業、財政、平和と秩序、健康予防促進、会計の担当に分かれています。

もめごとは、セキュリタリーからレコードキーパーに行き、最終的にバランガイキャプテンかカガワッドに回されます。もめごとで多いのは、借金、夫婦喧嘩の仲裁、夫婦以外の喧嘩仲裁。バランガイの範囲を超えて警察になる場合は、書類を出す。大きな喧嘩は警察がすぐ来る。

バランガイホールの裏に、ヘルスセンターがあり、隣にはディケァセンターがあります。

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右側は新しいディケァセンターで、左側は古い方です。事務所にするとのこと。

新しい方のディケァセンターでは、子供達の保育をしていて、中は可愛くしています。「健康問題」では、ヘルスセンターを管理していて、予防接種、妊婦さんへの指導等を行っています。

平和と秩序は、市民ボランティアが平和を監視する見張り役です。

農業は、生産者が入っていて、情報交換をしています。

毎年927日~28日はバランガイ設立を記念して、バランガイフェスティバルがあります。バスケ、ゲーム、食べたり、オカマショーもあります。

バランガイキャプテンのお給料は7,200ぺそ。

収入源は、住民税、市からは年1回多少の援助金があります。バランガイでお店を持っているので、その収益も収入になります。地方自治体から中央政府に申請しても、お金は下りてきません。ODAから多少の資金があります。

フィリピンの人にとってバランガイはごく普通のことなのでしょうが、私から見ると、世界最強の住民組織のように思います。

80歳のおばあちゃん>

バランガイホール前でバスケをしていた男性から、80歳の日本人女性がいると聞いたので、訪問しました。1960年に渡比。沖縄出身。

家はパッと見た感じ、中産階級のようですが、おばあちゃん、トイレ付きの狭い部屋にいました。私たちが行ったときに慌てて部屋の掃除をしたようです。

祐川神父さんがおばあちゃんに話しかけて始めたときは、顔がこわばっていたのですが、沖縄の話になると表情が動きました。顔が柔らかい表情になり、笑うようになりました。

最後には泣いていた・・・。

80歳といえば、戦中の激戦を潜り抜け、戦後の混乱期に耐え、そして渡比。

おばあちゃん、今まで苦労してきたんだろうな・・・

そんな考えていなかった出会いがあり、帰り道・・・

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・・・ポリスが走る・・・

<公園>

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プールがあって、温泉がある公園に行きました。開発の最中のようで、工事中の所がありました。

上の写真の中央の木の中に入っていくと、温泉源があり、ここはマノボ民族の聖地です。

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思うに・・・

民族が聖地としている所から温泉を引くってこと、していいのかな???

しない方がいいと思うんだけど・・・

・・・とか何とか思いながら、来る途中で買った昼食を美味しく食べました。

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生ルンピアです。

ルンピアですよ、ルンピア!!

ここでルンピアが食べられるなんて思いませんでしたわ!!

しかも、生ルンピア!

インドネシア語でもルンピア、日本語では春巻き、ディズニーランドではスプリングロールといいます。

感激のお味は・・・

激ウマっ!!

キダパワンからジェネラルサントスへ

スタッフがマルベル(コロナダル)で研修があるというので、一緒に行き、待っている間ジェンサンまで行きました。

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反対側からバスが走ってきます。

(オイ、オイ、これだけのコメントかい)

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マルベルまでの途中で休憩です。

ガソリンスタンドの横にコンビニが併設されています。

こちらの道路、舗装されていても、なんか、ガタガタ。

日本の道路はツルツルだね。

イースタービレッジでドライバーをしているスタッフ、

飛ばす、飛ばす。

郊外で交通量の少ない真っ直ぐの一本道なんか、ガンガン行くよ。

ひぇーー、、、こわっ、、、

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車窓から・・・

ジープニーにあんなに人が乗って・・・

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マルベルを過ぎてジェンサンに向う途中のパイナップル畑。

帰りはここによって、子供達にパイナップルのお土産を買って行きました。

味見に一個切ってくれて、芯まで柔らかくて、甘いパイナップルです。

今まで食べたパイナップルで、一番美味しかった。

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ジェネラルサントスの公園。

ドライバーのリッキー、公園の中に何のためらいもなく入っていくの。

普通、公園に車を入れちゃいけないと思うんだけど・・・

あれ??

公園に車やトライシクルが止まってる。

公園って、何だっけ??

人間よりも車が多いところだっけ???

皆さん、口をそろえてジェンサンには何も無い所だと言います。

今回、ジェンサンでは教会を見て来たかったので、いくつか見て来ました。

さすが、人口の8割以上がカトリックの国。教会が沢山あります。

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上二つの教会は、イグレシア教会。

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お昼ごはんは、ここのお店に入りました。

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お肉とルンピアを食べました。

ここのルンピアも美味しかった。

勿論お肉も。

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マルベルのカテドラルです。

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綺麗に飾り付けをして、結婚式が始まる所でした。

この聖堂の横に、もう一つ小さな聖堂があり、本当はリッキーに紹介したかったのですが、女の人しか入れないので、とても残念でした。

マルベルでの研修が終わり、スタッフと一緒に帰ります。途中、ビレッジから奨学金を受けている大学生を乗せて、帰ります。

ドライバーのリッキーが、いきなり、「写真、写真」と言って車を止めました。

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家の下に木を渡して、担いで運んでいるのです。

???この人達は、どうししたのかしら???

キダパワンが近くなってきた頃、リッキーが連れて行ってくれたゴムの工場です。

古タイヤを加工している所のようです。

工程を順番どうりに・・・

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日本に集荷します。

リッキー、今日一日、ダグハン・サラマット!

ダバオの日系人

ダバオは開拓の時に沢山の日本人が行き、戦前はダバオだけで2万人の邦人が住んでいました。サンペドロ通りは当時の日本人街の中心。今でも当時の建物があります。

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左側は、カシワバラホテル、右側はオーサカバザール(商店)がありました。

ダバオ歴史博物館が有ります。先住民族から今までの歴史をだどっています。日本人が使っていた食器、古い写真が展示されています。現在のフィリピンの画家の作品も展示してあります。

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カリナンにある「フィリピン―日本歴史資料館」。

開拓の頃の貴重な資料が展示されています。貴重な本もありました。

昭和19年8月26日夜、橋本茂から妻ロサリオと長女和枝に宛てえた2通の遺書が展示されていました。

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戦時中、日本軍のものです。

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ダバオではアバカ(マニラ麻)の生産をしていました。アバカは丈夫で耐水性があるので、パラシュートの紐やロープの材料になります。第一次世界大戦では需要がとても伸び、生産が追いつかないくらいでした。

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ミンタルにある邦人墓地です。

お墓には、生年月日、没年月日、その下にはFor Loving Family と書かれています。

いくつか見ましたが、生年月日のない人、生年月日と没年月日が同じ人が数人いました。

先住民族は時間の概念が私達と違っていて、生まれた日はいつなのかを尋ねると、「黄色い花が咲く頃」とか、「あの日は暑かった」と言う答えが返っています。ですから、邦人と現地の先住民族との間に生まれた人かもしれませんし、戦後、フィリピンに残った邦人は、フィリピン人の日本に対する恨みを一身に受けていたので、自分や親が日本人だと分ると、殺されかねない状況だったので、写真一枚残さずに棄てたのが理由かもしれません。

お墓から、亡くなられた方の人生を垣間見る思いがしました。

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記念碑もいくつかありました。

日本人墓地に行く途中に、ダバオ開拓の父と呼ばれている太田恭三氏の記念碑があります。

海側の、トリルより先にあるダリアオンに、古川拓殖会社の跡地があります。ダバオ開拓の会社は大きい所は、古川拓殖と太田興業です。

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海沿いだからでしょうか。戦時中に爆撃を受けたあとが残っています。ここに工場や倉庫がありました。中はがらんとしていて、一部生産に使っていたと思われるものが残っているだけで、何もありません。木造の建物は窓枠の木はかなり丈夫そうで、今でも使えそうです。

敷地は25ヘクタールあり、今はマニラにあるナショナル・デベロップメント・カンパニーの所有です。エントランスから入り、会社とバランガイに手続きをしてから入ります。そんなこととは知らずに、黙って入ってしまいました。

周りに住んでいる人は貧困層ですが、雰囲気は良い所です。

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ダバオ空港の近くに、日系人会があります。

日系2世と3世が中心となり設立されました。

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日系国際学校

幼稚園から高校まであります。

1991年設立、現在の生徒数1250人、外国籍の子供も入学できるようになりましたので、米国、韓国、ドイツ、日本の国籍を持つ子がいます。

フィリピンのカリキュラムの中に日本語教育が入っています。

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ミンダナオ国際大学。

・・・つまり、一つの敷地内に日系人会と、幼稚園から大学まであるのです。幼稚園から大学まで、一貫して日本語教育を受けられます。学生は日本語スピーチコンテストで優秀な成績を収めています。

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このあたりは、設立当時は何もないところだったそうですが、今では韓国の学校が出来て、商店や会社の事務所が出来て、交通量も増え、地域が活性化されました。

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ダート内田ゲストハウスに泊めていただきました。

ここには、ミンダナオで活動をしている人たちが集まります。日系リーガルサポートセンターのスタッフ、学校の先生が宿泊していました。朝食をとりながらのおしゃべりは情報交換です。

ダバオ市

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ダバオ市リサール通りにある、このホテルに宿泊しました。朝食、ホットシャワー付きで800ペソ。近くには市庁舎、カテドラル、歴史博物館、ショッピングモール、レストラン、ファーストフード店があり、とても便利な所です。

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リサール通り沿いにある食堂「PointPoint」です。信号のある十字路の2軒目、一軒目のレチョンの看板が目印です。昼食と夕食とではメニューが違い、夕食時間も毎日全く同じメニューではありません。おかず2品とご飯で44ペソ。ファーストフード店でのコーヒー2杯分のお値段です。食事時間になるとテーブルが一杯になるくらいお客さんが来ます。早めに行ってよかった。

美味しいお店を見つけると、本当に嬉しくなります。

お店の向かいに、今は誰も住んでいないような白い家があります。この家の角(信号のある十字路)を右に曲がると、カテドラル前に行きます。

お昼時になると、カテドラルと市庁舎の間にある広場は、勤め人、小学生、大学生で沢山の人がいました。市庁舎の裏側には、小学校、大学があります。

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サンペドロ教会(カテドラル)。

敷地内にはお店が出ていて、カトリックグッズが売ってあります。ここで買ったろうそくと共に祈りを捧げます。

教会の向かいは広場になっていて、その反対側には市庁舎があります。夜になるとこの広場に屋台が沢山出て、賑わいます。日曜日のミサは、外まで人が溢れ、敷地の外には沢山の出店で賑わい・・・。人口の80パーセントがカトリックのフィリピンらしい風景だなと思いました。

道路沿いにある屋台より、広場内にある屋台のほうが美味しいように思います。

茹でたうずらの卵の天婦羅にきゅうりや昆布を添えたものを塩で食べました。粉を溶いて小さい玉にして揚げたものは、甘いケチャップをかけて食べます。ジュース、果物、焼きトウモロコシは堅くて最後まで食べられませんでした。

30ペソで夕食と食後のデザートが食べられました。

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フィリピンイーグルの公園に行きました。

レストラン前に蛇が2匹檻に入っていましたので、お店の人が一匹出してきて、こんなことをしました。蛇の顔は正面から見ると結構可愛いです。だからといって、顔に息を吹きかけると、かじられるそうです。

木の枝から先のほうが赤くなっている紐のような物が下がっている木、Fir busyがありました。これがまた、綺麗です。

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ワニ公園でのこと。

ショーがあり、見ごたえがあります。

帰りの出口で蛇を出していましたので、また、してしまいました。

旅行に行くと度胸がつきます。

こちらに来たら、ドリアンを食べなければ。

マグサイサイ公園の前にあるお店が美味しいというので、案内してくださった方と一緒に行ってきました。熟れて美味しそうなドリアンを選んで、その場で食べます。お店にはテーブルと椅子が用意してあります。トローとして、濃厚なドリアン。

2人で半分づつ食べて、おなか一杯になりました。

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ジープニーに乗っていると、なにやら車のパレードです。

TV局の宣伝だそうで、先頭の車は飴をまいていました。

市場も楽しい所です。生鮮食料品の新鮮なこと。

お肉はプリプリしています。

イースタービレッジでデジカメを落として壊した事が悔やまれます。

使い捨てカメラを買ったのですが、高くて、バチバチ取れません。

市場の近くにモスクがありました。ベールにするようなスカーフを持ってこなかったので、イスラム地区には行けませんでした。

やっぱり、旅行の際はベールは必需品です。

小口で売っているお店も沢山あります。コーヒー、クリープ、シャンプー、飴、タバコ・・・。

一個づつ売っているのですが、割高になります。

・・・だから、タバコも一本づつです。

今のダバオの市長は厳しい方で有名です。路上で売っているお店にも値段が表示されている所があります。外国人だからとボッタクられる危険が少ないです。夜、女の一人歩きも大丈夫です。