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旅行/2002年

2009.07.06

02年 インドネシア旅行

お正月に親戚とインドネシア旅行の話が持ち上がりました。
8月16日~8月24日に決定。

膝が悪い祖母には車椅子を使うように薦めましたが、皆に迷惑かけるなどと言いますが、説得しました。昨年のインドネシア旅行のときは、祖母はとても行きたがっていたのですが、あきらめたので、今回はどうしても行かせてあげたいのです。札幌組4人、浜松組3人の7人で行きました。祖母と叔母と私と分担して準備。一番上と一番下の年齢差は83歳ですから、健康面が心配です。バリには、日本人の看護師さんが居る病院があるのですが、ジョブジャカルタには、日本語が必要なら、○○病院のドクター△△…という所まで調べました。

車椅子対応についても、一つ一つ確認。インドネシアの様子が分りませんので、航空会社に問い合わせました。ガルーダ・インドネシア空港を利用するので、日本オフィスに問い合わせ。℡:03-3240-6161
飛行機の乗り降りについては、どのゲートを使うかによる。予約時に車椅子のリクエストを。実際は、タラップを使って乗り降りをするときは、貨物用の出し入れ口からでした。
帰りは、ジョグジャカルタ⇒ジャカルタ⇒関空ですので、ジャカルタでの乗り継ぎの待ち時間でのトイレが心配です。空港のトイレに車椅子専用があるかどうか分りませんでしたので、日航に問い合わせましたが、分らないとのこと。ラウンジのトイレを使わせてもらえるかどうかは、ラウンジの受付で交渉してみてくださいという事でした。ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港は、車椅子専用のトイレがありました。
バリのホテルは、「ビンタンパリ」を予約し、日本語ガイドの人が、下見に行ってくださいました。ジョグジャカルタでは、旅行会社の方で色々調べてもらいましたが、日本では車椅子対応になっているかどうかが分らなくて、「ホテル サンティカ ジョグジャカルタ」はホテル内の写真を見る限りでは、多分大丈夫そうなので、ここに決めました。
実際は、ビンタンパリは、部屋からは車椅子で移動できるのですが、ホテルのレストラン前のスロープは急で、女3人でやっとでした。ジョグジャカルタでも、ホテル内のスロープは急でした。

車椅子の人が居ると、デンパサールの空港では、広い別室に通され、トイレも車椅子用に広かった。デンパサールとジャカルタでは、出入国の、あの長い列に並ばなくても良かったし、待遇が全然違っていました。
車椅子の旅行は最高!!

02年バリ/ウブドゥ

関空からデンパサールまでの、長い、長い、空の旅。
飛行機のトイレのドアについている禁煙マークを見て、保育園のテルは、「外に出てはいけません」だって。子供用の機内食には、あまり気乗りしない様子。
そろそろ飽きてくるかなと思ったら、前方の大きなスクリーンにディズニー映画「アイス・エイジ」が始まりました。

デンパサールの空港では、日本語ガイドの人と、先に行っていた浜松組が迎えに来て、まっすぐホテルへ。

ホテル ビンタンパリ
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経営者は日本人の鈴木さん。18日はホテルの設立記念日なので、採れたての魚を庭で焼いてお客さんと鈴木さんと皆で食べました。身がしまっていて美味しかった。
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ホテル前には水田が広がっています。田植えが終わったばかりなのでしょうか。
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ホテルで働いているお兄さんとこどもっちが一緒に竹とんぼで遊びました。

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コテージ式のホテルで、中央に食事をする場所があり、その前にプールがあります。
レストランでは、日本食も出しています。

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楽器がおいてあり、子ども達は練習です。

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子ども達はグスティーさんの取り合いです。

お呼ばれしたおうちで
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グスティーさんの水田にある椰子の木から実を取ってもらいお水を飲みました。

「おいで」と招待されましたので、遠慮なくお昼ご飯をご馳走になりました。
昨年は、口の中が焼けど状態で、美味しい物が美味しく食べられませんでしたので、この一年間、おうちで時々インドネシア料理を作って食べたかいがあり、おなか一杯食べました。
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家の奥の方には、昨年建設中だった、グスティーさんの部屋がまだ途中のままです。インドネシアではお金を借りると金利が高いので、資金が出来次第、その分ずつ建てていきます。

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洗剤で作った溶液にハイビスカスの葉を入れて混ぜると、丈夫なシャボンが出来ます。

独立記念日
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モンキーフォレスト通りの角にあるサッカー場で独立記念日の式典がしているので、行ってきました。長いオランダ時代の後に、日本時代がやってきました。短かったですが、日本時代がインドネシアの一番痛いときになりました。
母が、日本時代に発行されていた新聞の縮小版を買いました。インドネシア語と日本語でかかれていますが、終戦を迎える年になると、インドネシア語だけになっています。
小学校の教室に日本人の軍人さんが来て、生徒は軍人さんに頭を下げている写真や、防空演習の写真など、戦時中に日本でしていることと同じことをインドネシアでもしていました。
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プログラムが一段落した後のようです。サッカー場には沢山の人が集まっていました。グラウンドにはゴミが散らばっています。
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道路沿いにはバイクがずらっと止めてあります。運転しているお父さんの後ろに、子供一人と奥さん、前にも子供一人を乗せて走っている人が居ました。

踊りの練習

私たちが行く前に、浜松組は集会場で子ども達の踊りの練習を見に行ったのだそうです。そのときの踊りの先生とサッカー場で出会い、もう一度練習を見に行く事になりました。
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係りの子が授業料を受け取り、ノートに付けています。
カセットテープで音楽を流し、練習が始まりました。

この中から、将来のスターが生まれてくるのでしょうか。

モンキーフォレスト
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旅行のガイドブックに、お猿さんは帽子を狙ってくると書いてありましたから、急いでテルの帽子にゴムをつけましたが、お猿さんが狙っていたのは、お水の入ったペットボトルでした。
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係りの人がメロンをあげていました。

バードパーク
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インドネシア近辺に生息している鳥がいます。

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ジェゴグ
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ジェゴグは竹で出来ている楽器。大きな楽器から出る重低音は、おなかに響きます。
入場料が昨年より2倍になっているのに驚きました。物価が上っています。生活に必要な物はどうか聞いてみると、ガソリンは1.7倍。家を建てるときに使うコンクリートは、それ以上だそうです。

ガソリンスタンド
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バリではバイクが沢山走っています。ガソリンスタンドで給油を待つ列。

王宮のお祭り
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昼食時にレストランに入っていると、お祭りの行列。独立記念日でもお祭りをしています。

2009.07.05

ジョグジャカルタ・02年

ジョグジャカルタ特別州の州都です。第2次世界大戦が終わり、日本軍が撤退した後、再植民地化をもくろんだオランダが攻めてきて、独立戦争が始まりました(第1次インドシナ戦争)。この混乱期に一時期インドネシアの首都になり、大統領、副大統領がジャカルタから移ってきました。オランダ軍が大統領と副大統領を拉致し、インドネシア軍が威信をかけて奪還しました。

王宮
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王宮には今でもスルタンが住んでいて、居住部分以外は開放しています。
スルタンが使っていたものを展示してある所があり、8代目はスポーツや文化を愛し、日本時代の9代目は政治的な活動をしていました。現在は10代目のスルタンで、州知事をしています。知事は議員の選挙で選ばれます。

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王宮には2500人の人が王家に仕えています。庭掃除の係り、時計のねじを巻いたり、時間を合わせる係りと、担当が決まっていて、皆誇りを持って使えています。

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頑張って仕事をし、位が上がれば腰に短剣をさせるようになります。人の前を歩くときは、すり足で歩くのがしきたりになっているようです。

幹に花をつける珍しい木です。王宮にしか有りません。子ども達は、蟻の観察です。
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ボロブドゥール
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仏教遺跡で、世界遺産に指定されています。石を積み上げて作られているので、日中は暑いので、夕方近くになってから行きました。

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疲れたから、途中でお休みですわ。結局一番上まで行かなかった。

一ヶ月前、ある雑誌に、ボロブドゥールの向こう側に山があり、「ボロブドゥールのピラミッド」と、書いてありましたので、近くにピラミッドがあり、見に行けると喜んでいたのですが、ピラミッドに行く気配がありません。案内してくださっている方に雑誌の切抜きを見せて聞いてみると、「あ~、これ、ムラピ山。2ヶ月前噴火した」だって。
そんなぁ、楽しみにしていたのに・・・。エジプトに行かなくてもピラミッドが見れるはずだったのに・・・。「ボロブドゥールのピラミッド」ではなく「ボロブドゥールがピラミッド」のようです。
これなら、一番上まで行くんだった。

ガイドブックによると、象さんに乗れるはず。ボロブドゥールにいる日本語ガイドの人は、「象さんに乗りたいと言う日本人はいないから、2年前の料金しか知らない」。そこで、象さんの所に行くと、係りの人が帰ったので、乗れないとのこと。飼育係りの人が一頭連れてきてくれて、近くで見れました。危ないからと、餌を食べさせていました。こんなに間近に見たのは初めて。腰が引けました。
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その象さん、餌を食べながら、お耳パタパタ、尻尾フリフリ。

プランバナン遺跡
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ヒンズー寺院のプランバナン遺跡。中央にある3つの大きい物は、創造の神、保つ神、破壊の神が祭られています。

ラーマヤーヤ
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夜は、ライトアップされたプランバナンを背景にした野外劇場で、ラーマヤーナを観ました。ジャワ文化は洗練された美しさがあると思いました。
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終わると、お客さんが舞台の上に上り、出演者と記念写真を撮ります。

バティック工房

バティックは別名ジャワ更紗と呼ばれているろうけつ染めです。
日本にも伝わり、バティック模様の着物や帯、ショールがあります。

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手描きと型押しがあり、手描きの工程は、
1.白生地の上に鉛筆で模様を描く。
2.鉛筆で書いた模様を表と裏からロウ引きする。
3.細かい点々や線で詳しい模様をロウで両面に描き入れてゆく
4.出来上がった時白く残したい部分に両面からロウを塗る
5.第1回目の染色をする
6.今染色した部分を両面からロウで覆う
7.基本の色を染める
8.お湯の浸してロウを溶かし落す
9.点描きの部分と白く残したい部分に再びロウを塗り、最後の色と間ザ去らないようにする
10.モチーフの色を染色する
11.お湯ですべてのロウを布から落とし、仕上げる

型押しの工程

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1.布の表と裏両面に専用のスタンプを使ってロウでふち取りをする
2.細かい点描き模様のスタンプで布の両面にロウ置きする
3.最後まで白く残したい部分に再びスタンプでロウを置き厚くする
4.基本色を染める
5.次に染色したい部分のロウを取り除く
6.基本色の部分と点描き模様にロウを被せ、次の色と混合しないようにする
7.最後の染色をする
8.すべてのロウをお湯につけて落とし、仕上げをする

説明を書いてある紙の裏に、型押しをしてもらいました。
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お湯につけてから、乾かしている布が沢山乾かしてありました。

お店には沢山のバティックがあり、手描きの現代的な模様の大きな布を見せてもらいましたが、芸術作品は素晴らしい。ここで買った布の肌触りがいいのですから。

ワヤン・クリ
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皮で作った人形の影絵芝居です。一人で登場人物全員を演じます。せりふもです。
その後ろでは、演奏をしています。数人しか居なかったのですが、上演してくださいました。

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聞くと観るとでは大違い。
本当に感動しました。

2009.07.04

ジョグジャカルタ/じゃらんじゃらん02年

「じゃらん・じゃらん」はインドネシア語で、お散歩の意味。

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宿泊は、「ホテル サンティカ ジョグジャカルタ」。ここのホテルは、あまり日本人は利用しないそうですが、お値段が安くて、車椅子対応になっていそうなので、ここに決めたのです。日本語が出来る人がフロントにいますが、言葉はいまいちでした。ホテルの前に、ベチャが沢山待っていて、仕切っている人と値段と行き先の交渉をします。

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マリオポロ通りにあるショッピングモールに行きました。ここはナンパのメッカ。若い男女が手をつないで歩いています。女の人はベールをしていました。イスラムでは、年頃になると、女の人に触れる男性は夫だけのはずなのに・・・。

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独立記念日なので、国旗の色の赤と白で飾っています。
翌日、お土産を買いに行くのと、教会を見たいので、もう一度ベチャに乗りました。行き先を告げ、カトリックだと言うと前日よりも遠いのに、値段が安くなりました。

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マリオポロ通りのはずれにあるみやげ物店「ミロタ・バティック」の隣に、プロテスタントのマルゴ・ムルヨ教会があります。教会前はバイクの駐車場をしていました。門の前に机を出した受付があり、料金を払います。

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インドネシア独立の歴史が見られるベンテン博物館前にある3月1日記念碑。

聖フランシスコ・ザビエル教会
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聖堂内は掃除をしていました。「私カトリック」「韓国から来たの。」「日本から」「あ~」・・・というような会話をしました。かなり大きな教会です。奥の方に学校があるようです。