素晴らしきインドネシア
今まで、オランダ時代があって、日本時代があって、日本時代は短かったのですが、産業や経済をガタガタにしました。大陸部の方に鉄道を作るからと、沢山の人を送り、日本敗戦になると、置き去りです。インドネシアの一番痛い時です。
日本時代に発行になった新聞が縮小版で発売になり、母が買いました。インドネシア語と日本語で書かれていますが、敗戦を迎える年の5月からはインドネシア語だけです。写真から、当時、どのような生活を送っていたか、うかがい知れます。学校では天皇に向って頭を下げ、地域住民は 消火訓練など、日本で行われていた事と同じ事がなされていました。
ジョグジャカルタの王宮を見学した時に、8代目と9代目のスルタンの使っていた物や写真が展示されていました。オランダ時代の8代目は文化を愛し、日本時代の9代目は外交をしていました。
その中でも、本当にインドネシアの独立を願い、戦った日本人がいます。日本軍がインドネシアから退いても現地に残り、日本軍が使っていた武器をインドネシア側にこっそり渡したり、再び攻めてきたオランダと戦いました。独立宣言文はスカルノ大統領とハッタ副大統領と西嶋重忠氏が草案を作り、大統領と副大統領が宣言しました。宣言文に 17-8-05の日時が刻まれているのは、軍政下のジャワで使われていた日本の紀元2605年がそのままインドネシア独立宣言に盛り込まれたのです。日本が何をしてきたのかを教え、その上でインドネシアの青年達に日本に対する態度を決めさせました。公用語をインドネシア語にすると最初に宣言したのも、青年達です。
学校の教科書に「Dokuristujunbiiinkai」と、インドネシア語ではなく、ローマ字で出てくるのだそうです。学校では、日本のして来た事を、ひどかった事、評価できることの両方を教えています。
民族の数の言語があります。多民族国家では、どの言葉を公用語にするかは、進学や就職等、生活がかかっているので、どの民族の言葉を使うかは死活問題です。これで暴動が起きた国があるくらいです。
インドネシアでは、民族の言葉ではなく、貿易で使っていたインドネシア語(ムラユ語)を公用語にし、文法の整備をして国語にしました。人口の6割をジャワ人が占めているのにもかかわらず…。
インドネシアの事を知れば知るほど、好きになっていきます。
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