サッカーの思いで
うちのセガレは、小学校3年から高校卒業するまでサッカーをしていました。小学校では楽しくサッカーをし、中学高校では勝つ為のサッカーをしました。だから今は遊びのサッカーをすると言って、時々しています。友人がスポーツクラブで仕事をはじめたのをきっかけに、スポーツクラブにも通ってトレーニングをしています。
小学校はサッカー少年団でしたので、私も役員をしていた時期がありました。試合会場の当番校の時には早めに行って準備をし、終わってからの後片付けもします。試合会場が近くの時には自転車で行き、遠い時は親の車に分乗します。シーズンが始まる開会式は全市のサッカー少年団が集まり厚別の競技場でします。芝の上でリフティングの競技をしているのを見ると、わが子が立派に見えます。試合の応援に来ているお母さんたちの挨拶は、「つかれたね」。入院をしていたお母さんには「お勤めご苦労様でした」。毎年夏の合宿がり、腕相撲大会では、勝ち進んでいく子が準決勝で対戦する私の後ろから、「おばさん、負けて…。」と言いますが、私は勝って決勝戦まで行ったね。燃えている時は相手が子供でも手加減しません。楽しい4年間でした。
中学は部活の先生が全国的に有名な先生でしたので、全国大会に行けました。定年近い先生でしたから、夏に本州に行くのはつかれる、全国大会には行きたくないと言っているその目が輝いています。セガレの在学中から全道大会5連覇を達成しました。
3年生の時の全国大会の直前、セガレは父親を病気で亡くしました。2日間の葬儀の翌日、全国大会に出発です。こんな事始めてだと、スポーツ新聞に載り、遺族の慰めになりました。多分先生の配慮があったと思います。引率で行ってくださった教頭先生が後で、対戦相手の子と競っても負けてはいなかったと言っていました。父親が入院中は、父母会の会長をしているお母さんが、シーズン中の忙しい時期にもかかわらず、全試合ビデオを届けてくれて、夫はどんなに具合が悪くても、届いたその日に見ていました。全道大会優勝の報告に、メダルを持って病院に行った時は嬉しそうでした。死までのホンの数日間は、お見舞いに来た人にメダルを見せていました。全国大会から帰ってきてから崩れるのではないかと心配していたと、教頭先生は行っていましたが、セガレは崩れることなく、サッカーに支えられて父親の死を乗り越えていきました。チームメートはセガレや私にやさしくしてくれました。
高校は特待生で入学しました。私立でしたが、授業料がないので、公立よりお金がかかりませんでした。これからチームを作っていくところでしたから、活躍を期待されていたので、大変だったと思います。3年の時に全道大会に行けました。最後の試合の審判が厳しい判定をしたので、負けてしまいました。どんな事があっても審判には服従、不利な状況も自分の方に引っ張っていけるような力が無いと勝ち進んでいけないと、スポーツってこういうものなのだと実感しました。
セガレがサッカーをしているのですが、その母はルールが分からず、試合中に笛がなると、
「今、どうしたの?」と、隣りのお母さんに聞くと
「分からない」。
そんな私がサッカー部の母をセガレと一緒に卒業しました。
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