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2005年2月

2005.02.28

それぞれの闘病生活③

限りある命

 限りある命だと分ると、何かを残しておきたいと思うようです。息子の小・中学校とPTAで一緒になったお母さんは、生け花の先生だったから、花を生けてみたけど、すぐ枯れる。それでは紙粘土を作ってみましたが、形あるものは壊れる。だから、家族とのかかわりを大切にしていくことにし、子供との空間を大切にしていくことにしたと言っていました。

 夫は、病室から離れられません。握力が弱くなり字が書けませんし、物を持つことができなくなりました。食べたいものも食べられません。入院中の3ヶ月間で食べたものは、茶碗蒸し3口です。主治医は家に帰れるように治療をしてくださったのですが、結局帰られませんでした。したいことが出来るような状況ではないと思い知らされました。

 昨年9月に祖母が入院し、主治医から肺と肝臓に転移している。後半年と言われました。退院してしばらくは体力が無いようでしたが、11月中旬には元気になったようなので、様子を見に行きました。浜松に行きたいから体調を整えているというので、急遽浜松行きを決めました。叔母や従兄弟の家に行き、楽しいひと時を過ごし、「この年になって幸せだ。」と言っていました。(カテゴリーの国内旅行参照)
 帰ってきてから2週間くらいたち、発熱のため再度入院。主治医から長くはないと言われました。家に帰れるようにしてくださったので、おばが浜松から駆けつけて、滞在中に3人で会いました。食事をして「あーー、幸せ」。お茶を飲んで「あーー、幸せ」と言っていました。

2005.02.27

それぞれの闘病生活②

入院

 食べ物の嗜好が変わり、豆腐など柔らかいものを好んで食べるようになった夫は、とうとう食べ物が喉を通らなくなり、N病院に入院しました。一通りの検査の後、主治医からの説明があり、口から23センチのところに腫瘍がある。良いものではない。レントゲンでは、肺、肋骨、肝臓にも影がある。喉の腫瘍は1年もの。ここでは治療できないので、K病院に転院。K病院で1週間の検査の後の主治医の説明があり、食道癌。肺・肝・骨転移。全身の癌をたたく方法はありません。あと3ヶ月、場合によってはもっと短く、というものでした。医者の説明を聞いていて、天井がぐるぐる回ってきました。
 医療のことは良く分らないので、お医者さん任せにして、私は家族とのかかわりをもっと良くする方向に持っていくことにして、夫を支える体制を作ろうと思いました。家族が患者を支えなければならないと思っていましたが、しばらくして、患者も家族を支えることができるのだということがわかりました。

 祖母は、血便がありましたのでG病院にいき、検査結果が、大腸癌。かなり大きくなっていました。このままだと、腸が詰まって食べたものが溜まっていき、嘔吐になる。高齢ですが、他はどこも悪くなく、ボケていないから、手術をすることにしました。再発まであと2年とのこと。便秘不気味だった原因がこれでした。
 夫のときに、出来ることをして、後悔がなかったので、祖母にも出来ることをしようと思いました。

それぞれの闘病生活①

 祖母が急変し、入院。9日後に他界しまし、葬儀を24日・25日にしました。
8年前には夫が入院。3ヶ月間の闘病生活でした。夫は内向的、祖母は外交的。夫は47歳で、祖母は90歳でこの世を去りました。二人とも癌です。周りの人たちに助けられて、病気と闘ってきました。

 二人とも症状の出方がぜんぜん違うのです。祖母は癌患者の壮絶さがありませんでした。
 夫のときは、私は妻ですから、精一杯のことが出来て、良くなったと思うところが何も無く終わるのだと分った時は、主治医が、私が居るだけ良いほうだと言いました。祖母のときは、私は孫ですから、出来ることが限られますが、主治医は大変ですねと言っていました。出来ることはしてきたつもりですから、夫の時も、祖母の時も、反省はありますが、後悔はありません。あの時はああしておけば良かったのではないかとか、そういう思いがありません。これは幸せなことだと思います。
 祖母が居なくなったのが、ピンと来なくて、まだ家に居るような感じです。

対照的な二人の闘病生活を振り返ってみようかと思いました。

2005.02.11

札幌雪まつり

 第56回さっぽろ雪まつりが開催されています。自衛隊の駐屯地を開放している、真駒内会場が、自衛隊の人員削減のため、今年で終わりますので、行ってきました。

 17~18年ぶりに行って驚いたのが、会場がかなり縮小されていることです。以前とは比べ物にならないくらい小さくなっていました。滑り台つきの大雪像が3基とイベント用のステージ用の大雪像が1基が一列に並んでいて、その向えに売店があるくらいです。小さな雪像はありましたが・・・。
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 どの滑り台も待ち時間が1時間です。テルが、雪像を見に来たんだと言うので、喜んで列に並びませんでした。その代わり売店で食べた、食べた。勿論外で。テルは焼きとうきびが美味しかったと、もう1本食べました。

 ステージ上では結婚式をしていました。舞台中央に司式をしている人と右側に新郎、左側に新婦が立っていて、その両側には参列者が居ました。

 食べに行ったようなものでしたが、テルが楽しかったと言っていましたので、良かったのではないでしょうか。
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2005.02.08

北海道の歴史

 明治に入り、北海道の拓を始めました。
本州や四国・九州から入植し、1軒で決まった範囲を開拓します。開拓には補助金が出て、これが今に至る「北海道の経済は自立できない」原因です。

 原始林を切り開くのですから、そりゃあ、大変です。大きな木を切り倒し、根っこを掘って、畑にします。あまりの大変さに、生家に戻った人たちも居ますが、入植した人たちは、次男、三男が多く、始めのうちはいいのですが、2ヶ月、3ヶ月とたつうちに、居場所が無くなり、北海道に戻って開拓を続けていく決心をした人たちも居ます。
 私の家から歩いて30分くらいの所にバスターミナルがあり、ここに入植した一家は、毒キノコを食べて全員死亡するという痛ましい出来事もありました。

 普段は開拓をし、有事には銃を持ち戦う屯田兵も入植し、北海道全体で37の屯田兵村がありました。詳しくは「琴似屯田」のサイトをご覧ください。

 北海道には、アイヌ民族が住んでいましたが、追い出されてしまいました。
郷土資料館で歴史を調べても、開拓以前にアイヌ民族が住んでいた記録は見つかりません。アイヌの人たちは文字を持たなくて、信仰上の理由から絵を描かないので、資料が残っていないのです。

 北海道の歴史は短いと、よく言われますが、開拓からの歴史をさしている言葉で、内地の歴史観だと、博物館や歴史的建造物を見て回ったときに気付きました。
 これからは、日本の歴史を勉強しながら、北海道の歴史も勉強していこうと思い、4月からは「考古学と歴史」を履修しました。
 北海道は、縄文文化、続縄文文化、弥生が無くて察紋文化があり、アイヌ文化に発展していきます。

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