それぞれの闘病生活③
限りある命
限りある命だと分ると、何かを残しておきたいと思うようです。息子の小・中学校とPTAで一緒になったお母さんは、生け花の先生だったから、花を生けてみたけど、すぐ枯れる。それでは紙粘土を作ってみましたが、形あるものは壊れる。だから、家族とのかかわりを大切にしていくことにし、子供との空間を大切にしていくことにしたと言っていました。
夫は、病室から離れられません。握力が弱くなり字が書けませんし、物を持つことができなくなりました。食べたいものも食べられません。入院中の3ヶ月間で食べたものは、茶碗蒸し3口です。主治医は家に帰れるように治療をしてくださったのですが、結局帰られませんでした。したいことが出来るような状況ではないと思い知らされました。
昨年9月に祖母が入院し、主治医から肺と肝臓に転移している。後半年と言われました。退院してしばらくは体力が無いようでしたが、11月中旬には元気になったようなので、様子を見に行きました。浜松に行きたいから体調を整えているというので、急遽浜松行きを決めました。叔母や従兄弟の家に行き、楽しいひと時を過ごし、「この年になって幸せだ。」と言っていました。(カテゴリーの国内旅行参照)
帰ってきてから2週間くらいたち、発熱のため再度入院。主治医から長くはないと言われました。家に帰れるようにしてくださったので、おばが浜松から駆けつけて、滞在中に3人で会いました。食事をして「あーー、幸せ」。お茶を飲んで「あーー、幸せ」と言っていました。
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