それぞれの闘病生活④
周りの協力
90歳の祖母の子供は70代前半と60代半ば。体力的に限界ですので、孫の私が手伝うことになります。その私は車の運転が出来ませんので、荷物を運ぶときなどは娘や息子に頼みます。ですから、祖母はひ孫の世話にもなっているのです。小学2年生のやしゃごはまだ手伝える年齢に達していません。
叔母は浜松に居ますが、2~3日おきに祖母と電話で話をしているので、祖母の生活を把握しています。遠くに離れていても出来ることはたくさんあり、親子の絆を強くしていけると知りました。祖母の従兄弟の奥さんは、よく気が付く人で、いつもかゆいところに手が届きます。祖母の従兄弟に当たるおじさんは、祖母が一番辛い時期を見てきているので、祖母をとても心配しています。
祖母はインドネシアが生きがいですので、インドネシアの友達が数人居ます。入院中は日本人も来ますが、インドネシア人とタイ人もお見舞いに来ました。
夫が入院中は、娘は子供を抱いて毎日病院に通いました。個室に入った1週間は私のお弁当を作って持ってきてくれました。息子はサッカー部に居てレギュラーで活躍していました。父母会の代表をしているお母さんが、全試合のビデオを届けてくださいました。最後1ヶ月間は力を振り絞って見ていたようです。
職場の方は、支社長が病院に来たときに、提出した診断書に書かれている以外のことを知らせ、職場復帰は出来ないと伝えました。職場の人たちは支社長命令でお見舞いに来てくださいました。中国に転勤になった今でも支社長とは年賀状のやり取りをしています。
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