それぞれの闘病生活⑤
最後のときが近づいて
主治医から「あと1週間、2週間で急激な変化があります。」と言われてから2週間後に夫は個室に入りました。骨のカルシウムが解けて出てくるための意識障害、モルヒネの副作用、出血等、想像していたあらゆる障害が出てきました。酸素が体に取り込めないための苦しさは、この世のものとは思えない表情になります。
意識がなくなっても、最後は細胞レベルでの戦いです。がくんと下がった血圧が持ち直したことがありました。
12月に入院し、1月に入ってから退院した祖母は、おなかの激痛があり再度入院しました。2~3日で急激な変化があり、あと1週間、と言うことでした。連絡を受けて駆けつけたときには、呼びかけると返事をするのですが、会話は出来ませんでした。目がうつろで、どこを見ているのか分らなく、目が覚めているのか、眠っているのか分らなかったのですが、祖母が一番頼りにしている叔母が病院に着くと、目に力が出て、呼びかけに対する反応も違ってきました。
むくみがひどくなり、足がパンパンになっていたので、「おばあちゃん、足をマッサージするかい?」と聞くと、首を縦に振りましたので、両足のマッサージをしました。これが祖母との最後の会話です。
夫との最後の会話は何だったかしら?
「やめた、やめた。」
「なにをやめたの?」
「全部やめた」
だったかな?
このときは、ろれつが回らないというような感じで、何を話しているか分らなかったのですが、この時だけは話せました。
その後夫は死を受け入れたようです。
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