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2005.05.23

「集団学童疎開史」

 土日は面接授業がありました。
戦時中の学童疎開って空襲から子供を守るためだと思っていたのですが、そうではなくて、防空作戦の一つで、全国民が戦闘態勢に入った事なのです。児童史のなかでは、集団学童疎開は昭和19年から21年までの3年間でしたが、子供が極限状態に置かれた時期です。
学童疎開を決めた時は、関係機関が関わっていたのですが、文部省が関わっていません。内務省の決定に伴い、文部省が動いた。集団で学童疎開をし、勧奨といいながら、半ば強制的に、暴力的に行われました。
 疎開先ではどんな生活をしていたかというと、それはひどいものだった。栄養失調から子供たちの体重は半年で3キロ減り、皮膚症状が出、感染症が蔓延し、先生による殴るける。疎開地から帰ってきた子を迎えに行った親は、自分の子供が分らないくらい変わり果てた姿になっていた。疎開してどうだったかを聞いてみると、良かったという人と、そうではない人がいました。自分が疎開している間に空襲があり、家族全員が死んで自分ひとりになったと言う人は、疎開は良くなかったと言っていました。両親がいないと、侮蔑の対象なのだそうです。

 インドネシアとフィリピンに関わっています。インドネシアのアチェはインドネシア軍との紛争がり、フィリピンのミンダナオ島も政府軍とゲリラの紛争がある地。紛争や極限状態がどういうもので、何が起こっているのかは、地域・時代を超えて共通するものがあり、一つの事を掘り下げていくと、立体的な広がりが出てくるのだと思いました。
 昨年、ミンダナオの養護施設「イースタービレッジ・ミンダナオ」に行ったときに、子供たちの踊りを見ていて、一人ひとりが尊重されていて、スタッフとの関わりが良く、型にはめられずにのびのびと育っているのが分りましたから、ここに来て良かったねと思った。でも、中には事情があって兄弟と別れて暮らしている子がいます。その子は本当にビレッジに来て良かったと思うのかな。
何をする事がその子にとって良い事なのでしょうか?

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