親業の先生の葬儀
時期は違うけれども、親業を受講した仲間から連絡が入りました。久野信先生が18日(土)亡くなられました。21日の葬儀に行ってきました。ミサでは神父さんが、「説教はしない。久野先生の思い出話をする」とおっしゃって、思い出話をしました。久野先生は話をしに来る人には、そのときに話を聞くけど、神父さんは、ミサに行かなければならないから後で…になってしまう。でも、後で電話をかけてくる人はいない。久野先生のような神父になりたいが、なれない。
遺族代表で長男が挨拶をしました。子供達3人のお父さんというよりは、苦しんでいる子供のお父さん、子供のことで苦しんでいるお母さんのお父さんだった。闘病生活10年。お見舞いに親子連れが相談に来るが、いつからかお母さんだけになった。亡くなる数日間は3人のお父さんだった。3人の子供たちが父親から受けたメッセージは、どんなときにも愛しているよ。
お父さんの愛と、神の愛が合わさり、父なる神から愛されていると感じて、涙が出てきました。私、頑張ろうって思いました。
献花の後、奥さんの芙美子先生のところに挨拶に行くと、「天国で祈っているよ」って。信先生、天国に行っても、みんなのお父さんをしているよ。
信先生がよく言っていたことは、「一人がすべて」「家庭に居場所を」。
この言葉を心に留めて15年近くたちますけれど、多少の問題を抱えつつも今、私は幸せです。
子供の命がかかっているから、先生のお勉強会は真剣そのものでした。半端な気持ちで参加すると後悔します。先生の目つきが全然違う。目くばせ一つでグサッとくるんだから。お勉強会も、人の話を聞くときも、全力投球でした。立ち話さえも・・・。
カトリック新聞の連載が終わってからすぐの葬儀。
先生の生き方の象徴のようでした。
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