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旅行/2005年

2009.07.11

05年インドネシア旅行

「おいで」と言ってくださる方がいたので、遠慮なく「行く」と決まったインドネシア旅行。久しぶりのインドネシア。12月なので、札幌は冬ですが、向こうは常夏。この温度差に何を着て行こうか?結局、上にフリースを着ていくことにしました。オーバーよりは荷物にならなくていいでしょ。

首を悪くしてから体を冷やせなくなったので、インドネシアに行き温まって体調を整え、娘のお産扱いに備えよう。

今回はシンガポールを経由してメダンに入り、メダンからアチェに行き、また戻ってくるコースです。お土産を何にしようかと選ぶのも楽しみの一つ。

スマトラ沖地震があり、巨大津波が起きたとき、「TSUNAMI留学生帰国支援」の団体が立ち上がり、北海道支部が出来ました。この団体は、被災国から留学してきている人たちに一時帰国をしてもらい、ボランティアをしてもらうための交通費を集めている所です。北海道支部では、寄付金集めの他に、アチェの子ども達にサッカーボールを送って子ども達に元気になってもらおうと、ボールを集めていました。
息子は小学生から高校生までの10年間サッカーをしていました。中学では全国大会出場の常連校でした。中3のとき、父親が3ヶ月の闘病生活の後、癌で他界しました。入院中に息子はサッカーがとても上手になったと、サッカー部のお母さんが言っていました。2日間の葬儀の翌日、全国大会に行きました。対戦相手とせっても負けてはいなかったそうです。全国大会が終わってから崩れるのではないかと思ったが、崩れなかったと教頭先生は驚いていました。
そんな思いで深いサッカーボール。手放すかどうか悩みましたが、息子が言いといったので、アチェの子供に送ることにしました。
息子はサッカーに支えられてきた。今度はアチェの子ども達が元気になる番です。
このようなことがあり、アチェには思い入れがあるのです。
アチェってどんな所なのでしょう?

2009.07.10

シンガポール

往路
12月4日
千歳発8:00⇒関空着10:10(JAL)
関空発12:50⇒シンガポール着18:40(JAL)
12月5日
シンガポール発8:40⇒メダン着9:05(シルクエアー)

復路
12月13日
メダン発9:50⇒シンガポール着12:05(シルクエアー)
シンガポール発23:35⇒関空着14日6:40(JAL)
関空発11:10⇒千歳着13:00(JAL)

乗換えだけのシンガポールですが、結構楽しかった。
往路ではシンガポールのNEW PARK HOTELに1泊。このホテルの近くは、夜になるとインド系の男性が沢山集まる場所。夕食をとるのに街に繰り出しました。

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モスクがありました。

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本当にインド系の男性が沢山いて、女性は数人しか見かけませんでした。
近くのデパートに入ってみました。ベビー用品売り場では、生まれてくる子の物を買おうと考えちゃいましたが、持って帰れないから止めました。

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道路沿いに市場がありました。反対側にもあります。

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選んで入ったレストランでの食事。久しぶりの香辛料の料理。とっても満足。

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信号機の前にこんな可愛い物が…

帰りは乗り継ぎの時間が11時間もありました。乗り継ぎが5時間以上ある場合は、無料で市内観光をさせてもらえます。観光カウンターで申し込み、順番を待ちます。このカウンターには日本語が出来る人がいました。
空港から外に出なければ、入国手続きをしなくてもいいのです。無料の市内観光の場合も入国手続きをしていません。パスポートは係りの人に預けます。
バスで市内を回り、ミュージアムの所で降りて船に乗り、又バスに乗って空港に向かいます。
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バスの中から撮りました。

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ミュージアムの奥の川沿いから。ここのミュージアムでは夜になると野外でバイキングがあるようです。

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右手の方にある船着場から船に乗り、川の上流に向ってしばらく行き、ユーターンして海に出て、ここの船着場に戻ります。

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両方の川沿いには沢山のお店が並び、きっと夜になると賑わうのでしょうね。

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マーライオンを見ちゃいました。
得した感じ。

空港に戻っても、まだまだ時間は沢山あります。おなかを悪くしてるし、正直、疲れています。でも、そこはさすがチャンギ空港。すわり心地の良いソファーがあるではありませんか。しかも、足のマッサージ器が置いてあるのです。これはいい感じ・・・
空港内を探検してみました。
郵便局・スーパー・庭園・祈祷室はキリスト教、イスラム教がありました。
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空港の飾りつけはクリスマス。

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回転寿司がありました。ピリ辛系のもあった。緑茶は黒い筒の中に入っている粉です。ミソスープはインスタントの味がしました。

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セブンイレブンがあるなんて!!

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ここのバンドは上手でした。
ピアノとサックスの演奏もしていたのですが、サックスの人、全然練習しないで初見で演奏しているって感じでした。正直、聞きたくない・・・と言うわけで、通り過ぎ。

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出入国のところです。「各国のパスポート」ではなく、「各国9パスポート」だと思うのですが・・・

チャンギ空港は、飽きないですわ。

2009.07.09

メダン

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住宅地を歩いていると、イスラムの学校があり、ちょうど下校時間でした。

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猫ちゃんが…。うちの猫と顔つきが違うから、取っちゃいました。雨季なので、道路はグチョグチョでした。

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スマトラ大学の女子大生。二人とも奨学金を受けています。黒いベールをかぶっている人が私の里子。先生を目指して大学では英語を勉強しています。

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メダンにはそごうが入っているショッピングモール「サンプラザ」があります。上のほうの階にはスケートリンクがありました。氷から湯気が立っているんですから。ここではインストラクターがいるらしいです。

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地階に書店、スーパー、イベント会場等があり、お菓子の製造販売をしているお店がありました。ここで、以前メダンに来たときに出会った元奨学生に偶然会いました。このお店で働いています。アチェから戻って帰るときにもう一度寄り、お菓子を買って帰りました。

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ショウガ味のする焼き菓子です。札幌に帰ってから3日後、「ヌサンタラ☆札幌インドネシア文化交流会」主催で忘年会がありましたので、持って行きました。インドネシア人が喜んだ!!

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イスラム人口が80%以上のインドネシアでも、スーパーではクリスマスの飾り付けがしてありました。

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ここのスーパーの前の屋台でサテを食べながら、道路を眺めていると、やっぱりメダンは都会です。車の通行量が多い。

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このお店のサテは美味しかったから、皆で写真。

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メダンの街を歩いてみて、この雰囲気なら一人でホテルに泊まっても大丈夫だと感じたので、ホテルポロニャに2泊しました。生まれて初めての一人での宿泊。夜一人でいるのが寂しかった。
このホテル内に、シルクエアーの事務所があるので、リコンファームをしてきました。私でも出来るじゃない!チョット自信がつきました。

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ホテル近く。
警察官が沢山出ています。交通整理をしている模様。なにかあったのかな?

2009.07.08

05年アチェ

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アチェは厳格なイスラムの地域。たとえ観光客といえども女性はベールの着用は必要です。今まではベール着用が必要なときは、スカーフをかぶっていましたが、アチェでそれは通用しない。そこで、メダンでベールを借りました。

アチェの空港に泊めてもらえる家の人に迎えに来てもらい、行った場所がどこかのお家。お家の人が亡くなり、沢山人が集まっていました。昼食をご馳走になりすぐに家を出ました。

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泊めてもらったお家は、大学や専門学校が沢山ある学園都市の様なところ。3回目のインドネシアで始めて夕日を見ました。満足!!
一番綺麗だった所は、アチェで一番大きなモスクの夕日でした。モスクの白い壁と青い屋根と夕日。感動しました。写真に撮ると逆光になりモスクが黒くなるだけだと思い写真は撮りませんでした。

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家と道路の間にある側溝が緑色なので、コンクリートで固めてペンキを塗ったのだと思ったのですが、小指の爪の半分にも満たない小さな葉っぱだけの植物が一面にあるのです。

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近くに幼稚園がありました。
幼稚園は可愛いネ。

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空き地では高校生がクリケットをしていました。

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道路にフィニッシュと書いてありますから、向こう側にはスタートがあります。ここで学校の運動会をするんだって。

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下校時間。
ここの道路の両脇には商店街になっていて、洋服店でブラウスを一枚購入。お値段の交渉をしましたが、もっと値下げが出来た感じがします。買ったブラウスは新聞紙に包んでくれました!
上の写真の左側に行くと↓の写真です。

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白い柱のような所は、たぶん、以前は検問だったように思いました。
この写真の道路を手前に行くと、お店がありました。

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ここでは食事が出来るようです。

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果物店がありました。

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幹線道路です。中央に分離帯があり、夜になると4~5頭づつ輪になってかたまっている牛がビッシリ!!
アチェでは、夜になると、牛は中央分離帯に集まり、人間は屋台に集まるようです。

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街の中心部にある屋台。
広場の周りにお店があり、その中に客席があります。
本当に紛争は終わったのだと実感しました。
泊めてもらったおうちのご主人は、津波があって一番良かった事は、戦争が終わったことだと言っていました。
平和はいいねぇ。

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ここでの食事。本当はアチェはコーヒーが美味しいのですが、ここのは初めての味がしました。豆が古くなっていたのでしょう。

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訪問先のおうちで・・・
ここのご主人は研修で日本に行ったことがあるそうです。

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お祈りに女性たちが集まってきました。
イスラムでは人は死んでも生きている。亡くなった方たちのために祈るのに集まったそうです。

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お家の前の道路からの景色。
こういう景色にほっとします。

05年 アチェ/津波 

一年前に地震により巨大津波がおきました。15メートルある灯台の1.5倍から2倍くらいの高さがあったそうです。
津波報告会(05年3月)
津波直後にアチェに行ったジャーナリストの報告とちょうどこの日に札幌に来ていたアチェ人の報告。
津波報告会(05年6月)4ヵ月後にボランティアで行った留学生の報告。
アチェの子ども達は今(05年8月)アチェから留学している人が一時帰国したときの報告。

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海岸線が一キロ後退して、住宅地が海岸になりました。
ここに立っていると、地面から悲しみが伝わってきます。アチェの人たちの苦しみや悲しみが、全部土が吸い込んでいる感じがしました。

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住宅地の家が何も無くなり、道路だけが残っていました。この道路はメダンに行きます。

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海岸線に魚市場がありました。取れてすぐに店頭に並ぶので、ここの魚が一番新鮮なのだそうです。マグロは生で食べられますが、身が固いって。
魚をさばいている男性は、きっと、津波があっても、なくても、こうして魚をさばいて売っているのだなと思ったら、何があっても無くても、生きる為にすることは同じなんだと思いました。

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窪地が池になりました。

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かなり離れた所ですが、半壊です。

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住宅の建設が始まります。
05年までに2,000戸、16年には20,000戸の建設予定です。

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海にあった発電所が津波の上に乗り、住宅地に打ち上げられました。発電所の下にはつぶれた車がありました。床だけが残っている住居もありました。
この発電所は壊れていないので、使われていました。
ここで働いていた人たちも無事でした。

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テント生活を余儀なくされている被災者が沢山居ます。津波直後に世界各国から支援団体が来て、テント生活をしている人たちに、生活の様子や何が必要かを聞きました。被災者は何回も同じ話をしました。訴えれば今の生活から抜け出せると考ええたからです。でも、支援団体は、○○をすると約束をして帰りましたが、その後何もしませんでした。裏切られたと感じた被災者は怒りが強く、アチェの人でさえ入るとボコボコにされます。

そんな事情は聞いていましたが、その場の成り行きで、入っていきました。

テント生活がこんなんだとは思いませんでした。何て表現したらいいのか分りません。
ダメだ
テント生活はダメだ

帰ってから、被災3ヵ月後に行った人に話すと、「人の話を聞いたらもっとだよ」と言っていました。

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2009.07.07

05年シグリ村

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アチェから車で3時間ほど山に向って走った所にシグリ村があります。
車は村の入り口までしか入れません。
ここには集会場があり、皆が集まる場所に隣接してお店がありました。ここの屋根は木の葉っぱで出来た物です。

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ビー玉遊び。
日本のビー玉と同じ模様です。
ルールを教えてもらったのですが、良く分りませんでした。

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このバナナは蒸して食べるとサツマイモのような味がします。

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この猫ちゃんを見ていると、うちで留守番をしているリリーちゃんを思い出して、ホームシックになっちゃった。

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泊めてもらったお家も隣のお家も、高床式と地床式が半分づつある家です。
この写真は隣のうち。何せ道路が狭くて、泊めてもらった家の写真が撮れなかった。

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「入んなさい」とお呼ばれしたお家。遠慮なく入らせていただきました。
ここの家は御主人が自分で建てている家です。建設途中ですが、住んでいます。
こんなに立派なおうちを自分で建てているのですから、感心しました。
日曜日の朝は、テレビでドラえもんや日本のアニメが放映されていました。インドネシア語版のアニメも面白い。
これから一人で日本まで帰るといったら、すごっく心配されちゃいました。
いくら大丈夫だからといっても、納得してもらえませんでした。
それが普通の感覚だと思う。

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やっぱりここにも牛が堂々と歩いています。ですから気をつけて歩かないと、糞を踏んでしまします。要注意!