昭和16年の新聞
東南アジアがヨーロッパ時代だった頃、まだ国家の枠組みが出来ていなくて、宗主国は何処なのかで言っていました。インドネシアは蘭領東印度です。独立してからインドネシア共和国になりました。今のジャカルタは当時はバタビヤと言っていました。現在のコタ駅のほうです。独立記念塔のある辺りはウエルトフレーデンと言っていたようです。
祖父母一家が帰ってきたと思われる昭和16年の新聞縮小版を見ました。新聞の見出しで「蘭領」と書いてあるのを拾っていきます。引き上げてきた当時の様子が分るのではないかと思ったからです。
朝日新聞を見ていると、ジャワ島やフィリピンからの引き上げ船は神戸港に行っているようなので、大阪毎日新聞も見てみましたら、ありました。
一つの船で200人くらいが乗船していたようです。食事の用意、病人が出たら看護をしたりと、10人、20人くらいの班を作って行動をしていました。船の中で亡くなった方がいて、親族に遺品だけが渡された方がいました。
子供達は日本が始めて。下船のときははしゃいでいて、それを見ていた母親は涙を流していました。
祖父母一家が引き上げてきた時は3人目の子がまだ赤ちゃんだったので、船室だったけれども、船倉だった人が沢山居た。甲板でおしめを洗っていたと祖母が言っていました。
「戦争が始まる」というので引き上げてきたと祖母は言っていましたが、そんな簡単なものではなかったようです。
3人目が生まれた直後に、輸入と輸出の規制が始まり、邦人が経営する商店のほとんどは閉店に追い込まれるであろうという記事。祖父はバタビヤで小売業をしていました。
邦人に対しての資産凍結があり、銀行から預金が引き出せなくなったため、引き上げることも出来なくなり、交渉して緩和され、日本に引き上げるくらいのお金は用立てらるようになりました。
当時の新聞からは戦局が激しくなっていく様子が伝えられています。
「フィリピン、ミンダナオ島のダバオを開拓したのは日本人なのに、フィリピン人はその恩を忘れている」という記事が載っているのを見て、同じ記事を読んでも当時と今とでは受け止め方が違うのだなと感じました。
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