北海道の開拓③浦臼町編其の弐
未開の地、北海道は原始林。木の周りに大人5~6人が手をつないでも足りないくらいの大木ばかりで下は笹が生い茂っています。3月のうちに入植して雪の上から大きな樹木を切り倒し、雪解けを待って笹と一緒に焼き払い、開墾、種まき、秋に一年分の食料を収穫するのが順序です。ですが、雪が解けてみると、高さ2メートルくらいの切り株が並んでいます。竹やぶを刈る鋸も斧も役に立ちません。1日2坪くらい開くのがやっとです。割り当てを受けた場所を3年で開墾しなければなりませんが、なかなか進みません。手の先が見えなくなるまで働き、クタクタになって家に帰ります。
入植をしても住む家がありません。雨露をしのぐ住居が必要です。壁と屋根は笹で作った土台のない掘っ立て小屋。その次は、撒き付けが終わってから、丸太を株から切り出し、屋根や壁はヨシの乾燥したものか、木の皮、縄は湿地のスゲを用い、釘は使っていません。窓は壁を小さく切り抜いただけで、ガラスをはめたのは後のことですから、外から突然家に入ると真っ暗でしばらく何も見えません。
月日が経ち夏らしくなったと喜んでいるのもつかの間、ブヨ、あぶ、蚊の大群が襲います。目、鼻、耳に入ってきて笹薮に足を踏み入れると粉をふいたように薮蚊が群がり髪の毛の中に入ってきます。川から水を汲んでくる母の後ろで子供は柳の枝で薮蚊を追い払いながら歩きます。夏になると多くの人たちがマラリヤにかかりました。
秋になり待望の収穫です。しばらくは肥料が要らないといわれていた通り、素晴らしい収穫がありましたが、道路が無い為売りに運べません。売れたとしても話にならないくらい値段が安いので、誰も沢山作る気になりませんでした。
道がないと物が運べないだけでなく、病気になったり大怪我をしても医者の所に行けません。行けたとしても、そこで手に負えなくて大きな病院に行くことも出来ないのです。
寒い冬がやってきます。幅1メートル、長さ2メートルくらいの炉を切って薪をくべるのですが、背中はゾクゾクしてきます。朝起きてみると屋根や壁の隙間から部屋の中に雪が吹き込んでいます。石狩川が厚い氷に覆われているので対岸まで歩いていけます。
交通は石狩川をアイヌ人が造った丸太舟だけです。急流ですからアイヌ人の太田三楽爺でなければ操れません。明治26年、石狩川汽船会社が出来て川蒸気船が通い、札幌、小樽方面からの物資を運搬できるようになりました。その川蒸気船も冬になれば使えません。
今の時代では考えられないくらいの生活をしていく中でも入植者は増え開拓は進んでいきます。道を作り、学校、寺、教会、神社、病院が建てられ、商店、郵便局もできました。月形村から浦臼村が分かれてから、浦臼村は発展していきました。
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