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2008.04.05

北海道の開拓①当別町編

<未開の当別町を開拓した伊達邦直>

天保5年(1834年)仙台藩、伊達弾正義監(よしかね)の長男として陸前国岩出山に生まれました。祖父・父と続けて亡くし邦直21歳で家臣総数736人を召抱えていました。

嘉永6年(1853年)ペリー浦賀に来航し鎖国政策は動揺して幕府の勢力は急速に衰退しました。将軍家の上洛に伴い江戸市中の警備を命じられて江戸に滞在した邦直は将軍家との関わりをあまり持たずに中立的な立場を取った方がよいと判断しましたが、幕末の戦乱で朝敵とみなされた伊達邦直討伐の沙汰書が出され、仙台藩は降伏し藩主慶邦は処刑されました。領土・城・屋敷を失い、俸禄は65万石に減らされました。

新政府の2つの方針が出されました。士農工商の身分制度がなくなり、藩士は華族になりますが、それ以外の家臣は帰農を命じられました。仙台藩一門の岩出山の場合、伊達邦直が藩士で、その家中は又家中になりますから、帰農の対象になります。慶応4年、蝦夷地開拓の方針が決定されました。

邦直は旧家臣一同を集めて北海道移住計画を発表し、一同は賛同して邦直に従いましたので、北海道開拓志願書を提出し、太政官から許可が下りたのが明治2年。

明治4年、邦直に率いられた43161人は北海道に渡りました。

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樹齢350年以上といわれている木です。岩出山藩の踏査隊が当別移住に先立ちこの地に到達した折、この近くに露営したといわれています。

「西郷隆盛、枕が要らぬ。いらぬはずだよ、首がない」

開拓2代目に当たる鹿野恵造は、西南戦争についての記憶をこのような端唄を覚えていると語っていました。

<開拓の始め>

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      <伊達家別館>

開拓の経験は何もありませんでした。農地の面積の分割、家屋の構築など、分らないことばかりで、一つ一つが手探りです。

当時、米は函館辺りでしか育ちませんでしたので、とうきび、麦、芋、豆類、粟、いなきびなどを主食としていました。本格的に米の栽培は普及したのは大正2年(1913年)以降です。

太い木がたくさん生えている原始林。昼間でも太陽の光が差し込んでこなくて暗く、笹が生い茂っています。

住む家を建てなければなりません。笹ふき屋根の掘っ立て小屋です。

石狩物揚場(旧八幡町郵便局付近)から当別神社のオンコの根元までの約21kmが当別までの最初の小道です(明治4年開通)。

小道が一本しかなく、険しい坂と湿地で馬が通りません。当別川から石狩川に通じる水路はありますが、流木だらけで舟が通りませんから、冬が来る前に小舟が通れるようにして川面が凍る前に冬季数か月分の米と塩を運ぶことが出来ました。

道作りは邦直率いる第1回移住者の総力を上げた工事になりました。

邦直の弟が馬(道産子)7頭を寄贈しました。

道産子は、徳川中期頃、南部馬を北海道の漁場で使役し、漁期が終わると山へ放置し、雪中の笹などで越年したものを翌年再び捕まえて使役するということを繰り返していくうちに、小型で丈夫で、粗食に耐え、寒さや病気にも強いという特徴を持つようになりました。

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     <現在の石狩川>

石狩川、当別川の大洪水があいつで起こりました。

明治319月、3日間の大暴風雨で、最高10.5メートル増水し、441戸浸水、流された家14戸、つぶれた家61戸、浸水田畑1612ヘクタール、898ヘクタールで収穫ゼロになりました。その後も大洪水は続き、明治43年、石狩川治水工事が始まりました。この時にせっかく開拓した土地を国に取り上げられた人も居ました。

火災の多くは失火によるものです。積雪厳冬の中で生活する為に火気を使うためと、春から夏にかけて激しい季節風によるものです。消防の組織がなかったために大事に至っていました。

大正に入り、米作が安定してきた為、全道敵に造田ブームが始まりました。当別町でも大正2年、灌漑工事を完成し、年々300ヘクタールの田を開きました。

昭和410月、世界恐慌が始まりました。それに追い討ちをかけるように、昭和5年から凶作と農産物価格の大暴落が5年続きました。水田農家の収入は昭和4年の27%、畑作農家は31%になりました。

「農村ヲ瀕死ノ状態ニ陥ラシメ・・・」

農業経済はどん底に落ちいりました。

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現在の当別駅と駅左隣にある「ふれあい館」

☆ ☆ ☆

参考資料

「当別町史」

当別町史編さん委員会 昭和47年

「中央部落史」

中央部落史編集委員会 昭和53年

「とうべつ物語」

当別町 昭和55年

「北海道移民政策史」

安田泰次郎 昭和16年

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