北海道の開拓④よもやま話
幕末、東本願寺は徳川家との関わりが強かったのですが、情勢を見ていると、これじゃまずい。このままだととんだ災難が降りかかってくるかもしれないと考えて、朝廷にお手紙を書きました。その内容は「二心はありません。何でもしますから」というような内容でした(1868年)。「それじゃぁ、北海道開拓してネ」と、翌年北海道開拓を許可されました。そんな訳で、札幌市の定山渓から中山峠までの道路を作ったのが、東本願寺の本山です。
この頃、徳川家についていた人達はそうとうヤバかった。
蝦夷の地に倭人が最初に入ったのは何時、誰なのかは色んな話しがありますが、その中から二つ三つ。
鎌倉時代の書「吾妻鏡」の建保4年(1216年)6月の条に、東寺の宝物を盗み、捕まった海賊や強盗50人くらいを蝦島に流罪するように命じています。
松前藩の「新羅之記録」には源頼朝に滅ぼされた藤原泰衛の残党が蝦夷島に逃げ込んだと記されています。
この時代、蝦夷島に渡った倭人は犯罪人か時の権力者に追われた人なのかしら??
「日本書紀」には、越国の豪族 安部引田臣比羅夫が多くの舟を率いて秋田能代を征服して津軽地に入って、蝦夷島の住民を集めて友好的になったのが658年のこと。翌年蝦夷島に渡ったといわれていますが、今となっては真偽の程を確かめられません。
クリミア戦争(1854~1856年)に負けたロシアは北海道に目をつけた。“ここ、良いかもしれない。起死回生を図ろうじゃないか”。そんなんで、北の守りは重要な課題になって北海道開拓を始めたけれども、その守りを具体的に始めたのが、明治6年(1868年)屯田兵制度が出来てから。10年かかったというわけです。昔は時間の流れが今よりゆっくりだったから、これでも良かったのかもしれない。
これらの時代よりもっと大昔、たぶん氷河期。カラフトやシベリア大陸と地続きだったといわれ、マンモスやトナカイ、キツネを追って来た人が北海道に初めて住んだといわれています。
映画「アイスエイジ」の世界だ。
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