2023年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ

旅行/2008年

2009.07.13

08年ジャカルタ

ダバオからマニラで乗り換えて、ジャカルタに飛びました。フィリピン航空を利用しました。ジャカルタ到着は夜中の12時。ジャカルタの空港はジャワ島一番の難関。飛行機から降りて、荷物を受け取って、ビザを払わなければなりません。円で支払ってルピアでお釣りです。間違っていないと思う・・・多分・・・。お金のやり取りは気をつけなければなりません。

ジャカルタで一番安全だと言われているブルーバードタクシーは営業が終わっています。そこでシルバーバードのタクシーを捜していると、寄って来る、寄って来る。

自分はシルバーバードのドライバーだと身分証明書のようなものを見せられますが、そこは全部「ノーサンキュー」。荷物から手を離してはいけません。タクシーに乗るときも、荷物をトランクに入れて、閉めるまで確認しなければ、毎日荷物のトラブルがあるそうです。

そんなんでシルバーバードのタクシーに乗り、ホテルへ。両替はしまっていたのですが、

ビザのお釣りで、タクシー代と高速代金、ホテルでのチェックインのときに預ける、お金が賄えました。

Fh010007

Fh010006

Fh010011

Fh010003

Fh010010

祖父のお店が有った所は、コタ駅よりも海側のカリ・ブサール通りです。川の両側に木が植えてあり、オランダ時代の古い建物が残っています。

この場所、いい所だわ。

デートスポットにちょうどいいよ。

だから、川を綺麗にしようよ。

Fh010014

おじいちゃん一家が住んでいたクレコットです。

静かな住宅地です。

ジャカルタ・ジャパンクラブ(日本人会)にオランダ時代の日本人の写真集、日本時代に発行になった、マレー語と日本語で書かれた雑誌の復刻版があり、滞在中は、それに目を通すのが精一杯でした。

雑誌を読んでいると、心が動きます。特に終戦の年になってからは、これでもかと、インドネシア人に要求をします。でも、これは、日本人の側から見たもの。戦争をインドネシア人は、どう受け止めて、何を考えていたのかを書いた本は無いそうです。そういう本は出してはいけないんだって。

ジャパンクラブの隣にある日本食レストランを経営している方から、札幌の方にと、月刊誌「さらさ」のバックナンバーをいただきました。

Img_0001

日本人学校に行っていました。とにかく大きい。

幼稚園から中学校まであります。

幼稚園の園長先生は札幌出身。校長先生と園長先生に案内していただきました。

子供達は、運動会のリレーの練習をしています。暑いからイヤだっていう子はいません。

教室の壁に、夏祭りで太鼓を叩いたときの絵が掲示されていました。園児が書いたものとは思えないくらい、のびのびとしていて、生命力を感じます。だって、太鼓を叩いているときの足が踏ん張っているんですもの。体験したことだから描けるんだって。

親子で作ったお神輿はとても綺麗でした。

どうしてこういう綺麗さが出るのかしら。

日本から運んできた畳の広い和室があります。子供達は手と足を洗ってから入ります。

たたみのヘリを踏まないようにと、先生たちは指導をしますから、子供達は日本文化を学びます。お茶会もしたって。

小学校と中学校は教頭先生が案内してくださいました。

小学校の低学年では、水族館に行ったときの絵が掲示されていました。インドネシアの魚は綺麗だから、絵も綺麗で、のびのびしています。

高学年になると習字があります。全員上手。作品からは落ち着いて物事に取り組んでいる姿勢を感じます。

日本の幼稚園や学校とは全然違います。敷地や教室の広さと、インドネシアの気候風土がそうしているのでしょうか。

母は、バタビヤ(現ジャカルタ)に居た時にこうして学んでいたのかと感じるものがあれば良いと思い訪問しましたが、子供達の作品を見ていると、心が満たされました。

Fh010001

カトリック教会のカテドラルです。

ネオゴシック様式で、1901年に建設。

大きくて見上げてしまいました。

聖堂の中は、壁の上のほうはぐるっとステンドグラスです。告解室の窓にまでステンドグラス。心が表れるような感じです。

その向いにはインドネシアで一番大きなモスク。インドネシアらしいなと思いました。

ベールを持ってこなかったので、外側から見るだけ。現代的な建物です。そして、とにかくでかい。

Fh010002

インマヌエル教会。

ギリシャのパルテノン神殿の影響。1939年に完成。

門に鍵がかかっていて、敷地内には入れませんでした。

ジャカルタの不思議が、独立記念塔のある公園に、ガンビル駅があることです。

公園にJRの駅があるのと同じですよ。

本当なのかどうか確かめに行ったら、地図に嘘はありませんでした。

線路は高架になっていて、駅は通り抜けが出来ます。公園側の駅前には空港行きのバス停があります。

本当に、公園ってなんだっけ。

Fh020027

ホテルの隣にあるレストランに入って、ガドガドとソトアヤム、ライスを注文。こんなに多い量だとは知らず、ホント、おなかがはち切れそうになりました。

ジャパンクラブが入っているスカイラインビルからホテルまでは、歩ける距離です。

夜は、歩道に沢山の屋台が出ています。お客さん相手に、バンドが演奏していました。

撮ったはずの写真が、現像してみるとありません。

使い捨てカメラのフイルムが無くなっているのに気付かずに、パチパチ写していたんだわ。

重ね重ね、デジカメを壊したのが悔やまれます。

2009.07.12

08年スマラン

旅行のガイドブックに載っていないスマラン。

なるべく沢山の写真を載せます。

ホテルのあるペムダ通りは歩いて、他の所はタクシーで行きました。

<ペムダ通り>

五差路が交差する所にトゥグ・ムダ(Tugu Muda:青年の碑)が有ります。その向かいにあるのがラワン・セウ。トぅグ・ムダの周りには、ラワン・セウ、カテドラル、戦争の博物館他、見所があります。

青年の碑があるところからペムダ通りを歩いてみます。

Fh020021

ラワン・セウ(Lawang Sewu

建物自体は、このままにしていたら朽ち果てそうです。

昔は正面に鉄道が走っていました。

Fh020023

ラワン・セウ内部。

素晴らしいステンドグラスがありました。階段は立派な石で作られています。

沢山の部屋がありますが、中はがらんとしています。

Fh020022

ラワン・セウ内部から見たトゥグ・ムダ。

第二次世界大戦中、日本軍とスマランの青年が戦い、青年たちの活躍により日本軍は大きな犠牲を払いました。青年たちを讃えて建てられたものです。

Fh020019 

カテドラル(Semarang Cathedral)。

日曜日はミサがあるので開いています。土曜日は門に鍵がかかっていては入れませんでした。

Fh020017

日曜日に行くと、敷地内では青年たちが饅頭を売っていました。肉とチョコレートがあり、肉のほうを買ってその日の昼食にしました。

ミサの流れは全世界共通なのですが、使っている曲がプロテスタントでよく歌うものだったので、カトリックとプロテスタントの中間のように感じました

Fh020014

歩道を歩いていると、結構盛り上がっている所があるのです。何かと思ったら、木の根が這っているのが原因でした。

Fh030004

とっても気になった所です。5時くらいになると、車が列を作って中に入っていきます。交通整理の警備員が出ています。

門から建物までは花や木の鉢植えとペットが売られていました。

大きなショッピングモールでした。3階にレストラン街になっています。

Fh030003

狭い道路の両側には住宅が軒を連ねています。

夕方になると、お店では叔母さんたちが楽しそうにおしゃべりをしていたり、バトミントンを楽しんでいる親子がいました。ほのぼのとした所です。

Fh030005

スマランの名物はルンピア(春巻き)。

リエン小母さんのこのお店が美味しいと言うので、3本買ってきましたが、始めの一本は美味しく食べられましたが、何せ味が濃いし大きい。3本はきつかった。タレ、ねぎ、ピクルス付です。タレ無しでいただきました。

もう少し歩いていくと、ショッピングモール、ファーストフード店、婦人服店等があり、その向こうには川があって、角に多分、コロニアル・バンクらしい建物が見えて、ペムダ通りは終わりです。

<チャイナタウン>

Fh020013

Fh020012

大覚寺(Tay Kak Sie Temple

沢山の神様が祀ってあるそうです。

やっぱり、宗教だか独特の雰囲気があります。

Fh030021

大覚寺の向かいにある川沿いに住宅が並んでいる所。

ここの並びの右側には、昔祖父が勤めていた潮谷洋行があった場所です。

Fh030019

コンピンガール通り(Jl.Gang Pingir)。

あまり雰囲気が良くなかったので、通りの中まで行きませんでした。

<ゴンベル(Gombel)丘陵>Fh020007

お天気のいい日を見計らって、ゴンベルに行きました。ここからはスマラン市内が一望できます。海に停泊している船も見えます。

Fh020006 

レストランは貸し切りにになっていて、結婚式が終わった所だったようで、新郎新婦の写真を撮らせてもらいました。

ご結婚、おめでとうございます。

<グドゥンバトゥ(Gedong Batu Temple)>

Fh020005

グドゥンバトゥの中から門を見たところです。

Fh020003

奥の方からお経を上げているような音が聞こえてきます。

中国の鄭和の遠征のときに、鄭和がスマランに立ち寄った所から、鄭和が祭られているお寺です。鄭和はイスラム教徒だったそうです。

広々としていて、落ち着ける所です。

Fh020001

お寺の裏には、スマランと中国との交流のようすが、壁画の彫刻になっています。中国語、英語、インドネシア語で解説が書かれています。

<港>

Fh030015

港近くになると、道路が水浸しなんですから。タクシーはゆっくり進んでいきます。

Fh030010

Fh030009

昔の写真から察すると、祖父はスマランの港に入り、祖父の叔父が仕事をしていたブロラに行き、スマランで仕事を始め、その後バタビヤ(現ジャカルタ)に行ったようです。

港を見ながら、感慨深いものがあります。

フェリーに荷物を高く積んだトラックが入っていくのですが、屋根に引っかかってなかなか入れません。入ったときは、歓声が上りました。

港は見事に男の人しかいませんでした。船に乗っているのも男の人ばかり。

それでも港は見ていて面白い所です。

初めて行ったスマラン。

海が近いせいか、吹く風が気持ちが良く、街自体が大きくもなく、小さくもなく、見所も有り、いい所だなと思いました。