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2009.07.19

日本インドネイシア文化交流会06年

楽しみにしていた文化交流会。
昨年まで着ていたメダンで買ったドレスが悲しいかなきつくなってしまいました。体重はそんなに増えていないのに、背中に肉が付いたみたいです。年と共に色々有りますわ。そんなんで、今年は着物を着て行きました。帯止めをするのに買った帯締めが短くて、やっと結べたと思ったらほどけてしまい、帯止めはあきらめました。
当日は雨。雨コートを着ていてもぬれる心配があるので、もんぺをはいていきました。

毎回趣向を凝らした内容です。今年はどんな内容になるのでしょう。とても楽しみです。

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会場では留学生たちが準備をしていて、舞台では日本人グループが踊りの練習をしていました。
踊りと歌の練習が終わってから、更衣室として用意してある部屋に行き、もんぺを脱ぎました。踊りをする人たちの着付けが、とても大変そう。バリダンスを踊る人たち、腰から胸までギュウギュウ締めるのです。

別の場所で作ったお料理の搬入も終わり、始まります。
演奏の説明は、当日配られたプログラムからの引用です。

オープニング
司会を務めるのは、日本語が流暢な留学生です。

バリダンス“レゴンージョボク”
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宮廷舞踏レゴンの中のラーマヤナに題材を求めた作品で、猿王兄弟の物語です。
ある時二人は洞窟へ逃げ込んだ魔物を退治しようと兄スバリが洞窟に入り弟スグリワに白い血が流れたら死んだものにしてくれと言い残します。流れた白い液体は実は魔物の脳でスグリワはスバリが死んだものと思い洞窟を塞いでしまいました。激怒したスバリとスグリワとの戦いが始まるのでした。

ジャイポンダンス
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ジャイポンはググム・グムビラ氏が1961年にインドネシア政府の洋楽の禁止への応答として開発した踊りです。村の踊りケトゥ・ティルと格闘技ペンチャ・シラに基づきました。ググム氏はテトゥ・ティルの基本と、女性歌手シンデンを支持しながら、ガメランオーケストラを取り入れました。ジャイポンは一時期社交ダンスとして人気がありましたが、今はステージダンスとして有名です。

私は泳ぐ魚である
日本人とインドネシア人二人の朗読です。後ろのスクリーンには海の中の映像が映し出されます。

彼は人間でした。ある日、彼は船から転落し、死んでしまいました。そしsて、魚に生まれ変わったのです。この物語では、彼は彼女に伝えました。今、人間はどんどん自然から離れます。昔彼が人間だった頃、人間の生き方がとても幸せだったのに、今の人間は悲しいです。魚の方が人間より幸せだと彼が語ります。

 
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インドネシア人、日本人の2名で歌います。
1 Mencintaimu
2 恋のバカンス

歌(ボーカルグループ)
ヌサンタラ札幌インドネシア文化交流会のメンバー。短い練習期間でしたが、楽しく歌えました。私も参加していたので、写真は無いのですから。どなたかから貰ったら、載せますね。
1 Bengawan Solo
2 島唄
3 Nona Manis(可愛いあの子は誰のもの)

来賓の挨拶
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在日インドネシア大使館と御言葉インドネシアの名誉領事のお二人から挨拶があり、インドネシア留学生協会から記念品の贈呈がありました。司会者が通訳をしました。

アンクルン演奏
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竹で出来た楽器アンクルン。
2003年に出来たインドネシア留学生で結成したアンクルングループ。
日本人も参加しての演奏になりました。

ディナー
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Yellow Rice 
Rendang 
Ayam Bakar 
Urap 
Lumpia 
Kerupuk Udang
Kelepon
インドネシア料理は9月の料理講習会以来なので、久しぶりに食べたなと感じました。おしゃべりをしながらの食事。今回、あれ?もう終わりなの??と思うくらい時間が短かったような…。

紙芝居「マリン・クタン」
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日本人の紙芝居おばさんがインドネシアにある物語を聞き、作りました。絵を写真に撮り、スクリーンに映し出されます。

西スマトラのパダンという町のアイル・マニス海岸にシティヌルバヤという名の丘があります。そこには、一艘の船の形をした石があります。この石は親不孝な息子が石になってしまったという言い伝えがあります。

ジョグジャカルタ地震募金活動レポート
今年5月27日に起きたジャワ島中部地震の被災を援助する為に、沢山の団体や個人の協力がありました。
募金活動には、留学生や日本人が動きました。ジョグジャカルタから札幌に来ている留学生からの報告です。彼も現地に行き活動をしてきました。北大からジャカルタの大学に留学していて、支援活動を続けている学生からは、文章での報告です。詳しくは後日掲載します。

ジャカルタのヤンポン踊り
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全員日本人で踊ります。時間をかけて一生懸命練習したそうです。親子で参加した方もいます。

ヤンポンはジャワのモダンダンスの一種として、ジャカルタの伝統的な女性舞踏に基づきました。ヤンポンは有名な振付師バゴン・クスディアルジョの作品で、1980年代から人気を集めました。若い女性たちが集まり、月の光の下で楽しく遊びながら踊るとの話です。ジャワのガメランをロックビートとコンビネーションされた作品です。

スマトラ・インダン踊り
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インドネシア留学生たちが踊りました。

インダン踊りは西スマトラから来ました。昔はイネの収穫祭に演奏されましたが、今は結婚式などで演奏する事もあります。他の伝統舞踏と異なり、インダン踊りは座ったまま踊ります。リズムに乗った動きで、全て同時にやらなければなりません。そうでないと、隣の人とぶつかります。

ダンドゥット音楽
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最後はインドネシアのポピュラー音楽、ダンドゥットです。
多数の参加者が舞台の上や下で踊りました。
踊っている人も、見ている人も楽しんで、一番の盛り上がりを見せました。

私、見る人だから、写真撮れた!
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これで終わりますが、音楽は続きますと、司会者の終わりの挨拶。
帰る人が居れば、踊っている人が居て、ロビーには分かれがたい人たちの交流が続いています。

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