08年スマラン
旅行のガイドブックに載っていないスマラン。
なるべく沢山の写真を載せます。
ホテルのあるペムダ通りは歩いて、他の所はタクシーで行きました。
<ペムダ通り>
五差路が交差する所にトゥグ・ムダ(Tugu Muda:青年の碑)が有ります。その向かいにあるのがラワン・セウ。トぅグ・ムダの周りには、ラワン・セウ、カテドラル、戦争の博物館他、見所があります。
青年の碑があるところからペムダ通りを歩いてみます。
ラワン・セウ(Lawang Sewu)
建物自体は、このままにしていたら朽ち果てそうです。
昔は正面に鉄道が走っていました。
ラワン・セウ内部。
素晴らしいステンドグラスがありました。階段は立派な石で作られています。
沢山の部屋がありますが、中はがらんとしています。
ラワン・セウ内部から見たトゥグ・ムダ。
第二次世界大戦中、日本軍とスマランの青年が戦い、青年たちの活躍により日本軍は大きな犠牲を払いました。青年たちを讃えて建てられたものです。
カテドラル(Semarang Cathedral)。
日曜日はミサがあるので開いています。土曜日は門に鍵がかかっていては入れませんでした。
日曜日に行くと、敷地内では青年たちが饅頭を売っていました。肉とチョコレートがあり、肉のほうを買ってその日の昼食にしました。
ミサの流れは全世界共通なのですが、使っている曲がプロテスタントでよく歌うものだったので、カトリックとプロテスタントの中間のように感じました
歩道を歩いていると、結構盛り上がっている所があるのです。何かと思ったら、木の根が這っているのが原因でした。
とっても気になった所です。5時くらいになると、車が列を作って中に入っていきます。交通整理の警備員が出ています。
門から建物までは花や木の鉢植えとペットが売られていました。
大きなショッピングモールでした。3階にレストラン街になっています。
狭い道路の両側には住宅が軒を連ねています。
夕方になると、お店では叔母さんたちが楽しそうにおしゃべりをしていたり、バトミントンを楽しんでいる親子がいました。ほのぼのとした所です。
スマランの名物はルンピア(春巻き)。
リエン小母さんのこのお店が美味しいと言うので、3本買ってきましたが、始めの一本は美味しく食べられましたが、何せ味が濃いし大きい。3本はきつかった。タレ、ねぎ、ピクルス付です。タレ無しでいただきました。
もう少し歩いていくと、ショッピングモール、ファーストフード店、婦人服店等があり、その向こうには川があって、角に多分、コロニアル・バンクらしい建物が見えて、ペムダ通りは終わりです。
<チャイナタウン>
大覚寺(Tay Kak Sie Temple)
沢山の神様が祀ってあるそうです。
やっぱり、宗教だか独特の雰囲気があります。
大覚寺の向かいにある川沿いに住宅が並んでいる所。
ここの並びの右側には、昔祖父が勤めていた潮谷洋行があった場所です。
コンピンガール通り(Jl.Gang Pingir)。
あまり雰囲気が良くなかったので、通りの中まで行きませんでした。
<ゴンベル(Gombel)丘陵>
お天気のいい日を見計らって、ゴンベルに行きました。ここからはスマラン市内が一望できます。海に停泊している船も見えます。
レストランは貸し切りにになっていて、結婚式が終わった所だったようで、新郎新婦の写真を撮らせてもらいました。
ご結婚、おめでとうございます。
<グドゥンバトゥ(Gedong Batu Temple)>
グドゥンバトゥの中から門を見たところです。
奥の方からお経を上げているような音が聞こえてきます。
中国の鄭和の遠征のときに、鄭和がスマランに立ち寄った所から、鄭和が祭られているお寺です。鄭和はイスラム教徒だったそうです。
広々としていて、落ち着ける所です。
お寺の裏には、スマランと中国との交流のようすが、壁画の彫刻になっています。中国語、英語、インドネシア語で解説が書かれています。
<港>
港近くになると、道路が水浸しなんですから。タクシーはゆっくり進んでいきます。
昔の写真から察すると、祖父はスマランの港に入り、祖父の叔父が仕事をしていたブロラに行き、スマランで仕事を始め、その後バタビヤ(現ジャカルタ)に行ったようです。
港を見ながら、感慨深いものがあります。
フェリーに荷物を高く積んだトラックが入っていくのですが、屋根に引っかかってなかなか入れません。入ったときは、歓声が上りました。
港は見事に男の人しかいませんでした。船に乗っているのも男の人ばかり。
それでも港は見ていて面白い所です。
初めて行ったスマラン。
海が近いせいか、吹く風が気持ちが良く、街自体が大きくもなく、小さくもなく、見所も有り、いい所だなと思いました。
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