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2009.07.13

08年ジャカルタ

ダバオからマニラで乗り換えて、ジャカルタに飛びました。フィリピン航空を利用しました。ジャカルタ到着は夜中の12時。ジャカルタの空港はジャワ島一番の難関。飛行機から降りて、荷物を受け取って、ビザを払わなければなりません。円で支払ってルピアでお釣りです。間違っていないと思う・・・多分・・・。お金のやり取りは気をつけなければなりません。

ジャカルタで一番安全だと言われているブルーバードタクシーは営業が終わっています。そこでシルバーバードのタクシーを捜していると、寄って来る、寄って来る。

自分はシルバーバードのドライバーだと身分証明書のようなものを見せられますが、そこは全部「ノーサンキュー」。荷物から手を離してはいけません。タクシーに乗るときも、荷物をトランクに入れて、閉めるまで確認しなければ、毎日荷物のトラブルがあるそうです。

そんなんでシルバーバードのタクシーに乗り、ホテルへ。両替はしまっていたのですが、

ビザのお釣りで、タクシー代と高速代金、ホテルでのチェックインのときに預ける、お金が賄えました。

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祖父のお店が有った所は、コタ駅よりも海側のカリ・ブサール通りです。川の両側に木が植えてあり、オランダ時代の古い建物が残っています。

この場所、いい所だわ。

デートスポットにちょうどいいよ。

だから、川を綺麗にしようよ。

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おじいちゃん一家が住んでいたクレコットです。

静かな住宅地です。

ジャカルタ・ジャパンクラブ(日本人会)にオランダ時代の日本人の写真集、日本時代に発行になった、マレー語と日本語で書かれた雑誌の復刻版があり、滞在中は、それに目を通すのが精一杯でした。

雑誌を読んでいると、心が動きます。特に終戦の年になってからは、これでもかと、インドネシア人に要求をします。でも、これは、日本人の側から見たもの。戦争をインドネシア人は、どう受け止めて、何を考えていたのかを書いた本は無いそうです。そういう本は出してはいけないんだって。

ジャパンクラブの隣にある日本食レストランを経営している方から、札幌の方にと、月刊誌「さらさ」のバックナンバーをいただきました。

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日本人学校に行っていました。とにかく大きい。

幼稚園から中学校まであります。

幼稚園の園長先生は札幌出身。校長先生と園長先生に案内していただきました。

子供達は、運動会のリレーの練習をしています。暑いからイヤだっていう子はいません。

教室の壁に、夏祭りで太鼓を叩いたときの絵が掲示されていました。園児が書いたものとは思えないくらい、のびのびとしていて、生命力を感じます。だって、太鼓を叩いているときの足が踏ん張っているんですもの。体験したことだから描けるんだって。

親子で作ったお神輿はとても綺麗でした。

どうしてこういう綺麗さが出るのかしら。

日本から運んできた畳の広い和室があります。子供達は手と足を洗ってから入ります。

たたみのヘリを踏まないようにと、先生たちは指導をしますから、子供達は日本文化を学びます。お茶会もしたって。

小学校と中学校は教頭先生が案内してくださいました。

小学校の低学年では、水族館に行ったときの絵が掲示されていました。インドネシアの魚は綺麗だから、絵も綺麗で、のびのびしています。

高学年になると習字があります。全員上手。作品からは落ち着いて物事に取り組んでいる姿勢を感じます。

日本の幼稚園や学校とは全然違います。敷地や教室の広さと、インドネシアの気候風土がそうしているのでしょうか。

母は、バタビヤ(現ジャカルタ)に居た時にこうして学んでいたのかと感じるものがあれば良いと思い訪問しましたが、子供達の作品を見ていると、心が満たされました。

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カトリック教会のカテドラルです。

ネオゴシック様式で、1901年に建設。

大きくて見上げてしまいました。

聖堂の中は、壁の上のほうはぐるっとステンドグラスです。告解室の窓にまでステンドグラス。心が表れるような感じです。

その向いにはインドネシアで一番大きなモスク。インドネシアらしいなと思いました。

ベールを持ってこなかったので、外側から見るだけ。現代的な建物です。そして、とにかくでかい。

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インマヌエル教会。

ギリシャのパルテノン神殿の影響。1939年に完成。

門に鍵がかかっていて、敷地内には入れませんでした。

ジャカルタの不思議が、独立記念塔のある公園に、ガンビル駅があることです。

公園にJRの駅があるのと同じですよ。

本当なのかどうか確かめに行ったら、地図に嘘はありませんでした。

線路は高架になっていて、駅は通り抜けが出来ます。公園側の駅前には空港行きのバス停があります。

本当に、公園ってなんだっけ。

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ホテルの隣にあるレストランに入って、ガドガドとソトアヤム、ライスを注文。こんなに多い量だとは知らず、ホント、おなかがはち切れそうになりました。

ジャパンクラブが入っているスカイラインビルからホテルまでは、歩ける距離です。

夜は、歩道に沢山の屋台が出ています。お客さん相手に、バンドが演奏していました。

撮ったはずの写真が、現像してみるとありません。

使い捨てカメラのフイルムが無くなっているのに気付かずに、パチパチ写していたんだわ。

重ね重ね、デジカメを壊したのが悔やまれます。

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