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2009年7月

2009.07.25

料理教室/06年10月

92日(土)1000から札幌駅北口にあるエルプラザで、インドネシア料理講習会がありました。おばさん達のグループは、カンと経験で、胡椒と塩を沢山、どっさり入れ、美味しく仕上がりました。

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アンクルンの演奏。

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椰子の葉で作るのですが、うまく出来ません。とても上手な留学生がいて、すいすい作ります。10歳から1100個作って売っていたそうです。

結構難しかった。

スラウエシ島の紹介もあり、充実した内容でした。

インドネシア料理の作り方

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<オポルアヤム>

材料(8人前)

鶏肉丸ごと 1k

ココナッツパウダー 50g

レモングラス 3本

ダウンサラム 5枚

レモンリーフ 5枚

塩 適量

砂糖 適量

こしょう 適量

油 大さじ2杯

調味料

エシャロット 8個

  玉ねぎで代用する場合は1個

にんにく 8かけ

コリアンダーパウダー 小さじ1杯

クミンパウダー 小さじ1杯

ガランガル 親指の大きさ

キャンドルナッツ 10

作り方

      鶏肉を洗い、適当に切って水気を切ります。

      鍋に油を入れ、中火にかけます。調味料はミキサーでペースト状にしておき、香りが出るまで炒めます。ダウンサラム、レモングラス、レモンリーフを入れ、再び香りが出るまで炒めます。

      鍋に鶏肉をいれ、ペーストを絡めるようによく炒めます。

      ココナッツパウダーを入れよく混ぜ合わせます。鍋に水2000ccを入れ、鶏肉に充分火が通るまで中火で煮込みます。

      最後に塩、砂糖、胡椒で味を整えて、出来上がり。Ind049

<ナシクニン>

材料(8人前)

米 1k

ターメリック 小さじ半分

サラムリーフ 4

作り方

      といだ米に、ターメリック、サラムリーフを入れて混ぜ、いつも通りにご飯を炊きます。

<ブブルカチャンヒジャウ>

材料(8人前)

緑豆 200g

黒砂糖 300g

サツマイモ 1

ココナッツパウダー 50g

パンダンリーフ 2

塩 少々

作り方

      緑豆と、パンダンリーフを、水で煮ます。

      豆が柔らかくなったら、切ったサツマイモを入れます。

      サツマイモが柔らかくなったら、黒砂糖、塩を入れて味を整えます。

      最後ににココナッツパウダーを入れて、出来上がり。

2009.07.23

料理教室/08年10月

「ひかりのティールーム」の記事を、こちらに移動しようとしたのですが、うまく行きませんでしたので、ここを↓クリックして御覧になってください。

http://pikapikahikari.air-nifty.com/tearoom/2008/10/post-0de0.html

献立は、ナシゴレン、サンバルゴレン、クルプックウダン、卵焼き、サンバル、クエ、ナシ、ジャワティーです。

2009.07.20

Chantのガレージセール

今日はChntでガレージセールがありました。お店の玄関横のウッドデッキに商品を並べていて、お客さんが品定めをしていましたので、先にお昼を済ませる事にしました。祝日ですので、看板息子もいて、私たちと一緒にお昼ご飯。わたしは「今日のお任せランチ」。右のフライはラム肉で、左のフライは豚肉です。スープとご飯と漬物と、2種類のドレッシング。

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食事の後は、いつもの通りで、奥さんとのおしゃべり。一緒に行ったRUNAさんは、私も奥さんも、人が話し終わる前に自分が話し始めるので、会話に入っていけないんだそうです。いつもおとないいのは遠慮しているのかなと思ったのですが、そうじゃなかった。

ガレージセールの品物を買っている最中に、20年来の友人が来店。彼女も見にきたんだって。

最近、以前はあまり親しくなかった方たちと、関わりが出てきているのが不思議です。

欲しいと思った湯飲み茶碗が2種類あって、どれにしようか悩みました。熱燗にしたお酒が飲みたくなるのと、お茶が飲みたくなるのです。迷ったあげく、お茶が飲みたくなる方を選びました。湯のみですから・・・。

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クッキーとパウンドケーキも買いました。

3連休最後の日のひと時でした。

2009.07.19

フィリピン関係のサイト

フィリピン関係のサイトを集めてみました。

「イースタービレッジ」ミンダナオに有る養護施設のサイト

http://eastervillage.com/

「フィリピン共和国」Caviteさんのサイト
http://www10.plala.or.jp/cavite/

「ダバオ日系人会」
http://www.geocities.jp/yossanja/nikkeijinkai.htm

「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」フィリピンに住んでいる日系人の身元調査をしている団体

http://blog.canpan.info/pnlsc/2

「南の島でポン」音楽活動をしているダバシューさんのブログ

http://davashu.way-nifty.com/blog/

「ハウスクック☆フィリピン料理宅配」フィリピン料理を宅配している会社のサイト。

http://aboy.biz/house-cook-ph/

Ma e ka タガログ語教室」

http://www.h4.dion.ne.jp/~kanji/

「ヤガミ・ホステル・マニラ」マニラの空港から車で20分ほどです。日本人旅行者専門のホテル。

http://www.yagami-hostel.com/

「ICAN」海外協力をしている団体。

http://www.ican.or.jp/

「フィリピン情報総合コミュニティー」フィリピン・インサイド・ニュースのサイトが変わりました。

http://www.phil-hiroba.com/bbs/main.php

「日刊まにら新聞」フィリピンのニュース

http://www.manila-shimbun.com/

フィリピンのテレビ局の放送がネットで見れるリンク集
http://ikaten.squidtv.net/worldtv/asia/philippines.html

日本外務省のフィリピン共和国のページ
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/philippines/index.html

「アジア太平洋戦争とフィリピン」
http://www.ne.jp/asahi/stnakano/welcome/apwar/apwar_docs.html

ミンダナオのクリンタン

クリンタンは、フィリピン全土にありましたが、スペイン時代に、スペインがキリスト教化を徹底的に進めていく過程で、土着の踊りや音楽を無くしていきましたが、ミンダナオではイスラム王国が抵抗した為に、残っています。

クリンタンの動画を見つけました。

ミンダナオとジャワ島旅行

明治時代、祖父の叔父がジャワ島で仕事をし、大正時代に祖父が叔父を頼ってジャワ島に行き仕事を始めました。昭和に入り、祖母が結婚のためにジャワに行き、子ども達が生まれ、戦争が始まるから引き揚げてきました。そんな事があるので、ジャワ島ではジャカルタとスマランに行き、祖父の仕事をしていた場所と住んでいた場所を尋ねに行きました。

準備段階からジャカルタとスマランに住んでいる日本人に協力していただいたので、旅行の目的は達成されました。

ミンダナオでは、養護施設の「イースタービレッジ」を訪問し、子供達とお泊り会をし、楽しいひと時を過ごし、日毎に疲れが取れるのを感じました。

ダバオは開拓の時に沢山の日本人が行き、戦前はダバオだけで2万人の日本人が住んでいました。開拓の跡地を見ました。

今回の旅行では、色々なことを考えさせられました。

さあ、ミンダナオ島に出発!!

今回は千歳からソウル経由でマニラに入りました。

コリアン航空です。

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ソウル空港到着。

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今まで乗り継ぎは、関空、成田、シンガポール、香港を利用したことがありますが、乗り継ぎの移動が少ないソウルが一番楽でした。

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外国人向けに韓国の文化を体験する伝統文化体験館があります。

毎週月、金、土曜は40番ゲートでは1100~、1700~と24番ゲートでは1215~、1815~、15分間の伝統芸術公演が行われていて、その後は参加者が伝統楽器の演奏体験もあります。

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私が行った日は木曜日だったので、伝統工芸体験だけでした。

こういう作品を作りました。

ソウルからマニラに飛びます。

マニラ空港で一番変わっていたところは、空港のタクシーです。

空港を出てすぐに、タクシーの表示に従って左、左に進みます。そうすると、空港専用の黄色いタクシー乗り場がありますので、それに乗ります。

メーターで、チップの要求もなく、マナーは以前より良いように感じました。

ホテルの名前と住所を告げて、予約していたGarden Plzaホテルに行きます。

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朝食は1階のレストランで取ります。

急いで朝食を済ませ、チェックアウト。

ホテルのフロントの人にタクシーを呼んでもらい、再び空港へ。

フィリピンエアラインに乗ってダバオまで飛びます。

イースタービレッジ①

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2年ぶりの訪問。

システムが変わり、スタッフや子ども達が変わってもイースタービレッジは変わらないなと思いました。滞在中は日毎に疲れが取れていくのを感じます。

子供達は16人。一番年下の子は1歳半。一番学年の上の子は小学校6年生。

大きい子達は親戚の家や親の家に帰ったので、平均年齢が下がりました。カメラを向けると寄って来るので、ピントが合いません。

子供達の1

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子供達は朝5時起床。朝食のしたく担当の子は、もう少し早いです。

空は綺麗な朝焼け。

シャワーを浴びて身支度を整えて、朝食。

後片付けをしてからお弁当を持って登校するのが7時。

今年度から子供達は学校が変わり、キダパワン市の中心部にあるマンモス校に通っています。学校の名前はエレメンタリー111学年10クラス。クラスは成績別です。

朝礼が済んでから各クラスに戻り、授業が始まります。

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学校の中に売店がありました。

学校が終わってから帰ってくるのは4時頃になります。

それまで幼児組はお留守番。

子ども達がお部屋に招待してくれて、覚えたハワイアンを披露してくれました。

<ハワイアンのビデオ>

以前から続けていた幼稚園が今年度からイースタービレッジの活動として正式に認められました。ビレッジの子達と近所の子達が仲良く遊んでいます。年齢別に午前と午後と二クラスに分かれて、先生二人が指導しています。

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イースタービレッジには遊具があり、みこころホールの裏の公園には動物を飼っているので、園児たちは遊ぶのに困りません。

肝心の幼稚園の建物の写真を撮るのを忘れてしまいました。

学校から帰ってからは、おうちのお手伝いです。自分の服を洗濯し、毎日お庭の掃除もします。

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庭掃除が終わったら、夕食の準備を手伝います。

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配膳が終わり、皆が席に着いたら食事です。

夕食時間は6時。

1歳半の子は大きい子が食べさせてくれます。

だって、何時までもダラダラと食べていたら、片付かないから・・・。

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食べ終わったら自分の食器は自分で流しに持って行き、皆で後片付けをします。

食器洗いの子、床掃除の子、テーブル拭きの子・・・。

夕食後は、毎週金曜日と土曜日はテレビを見る日。それ以外の日は、勉強をしたり、遊んだり、それぞれの時間を過ごします。

朝が早い子供達の就寝時間は8時。時間になるとパッと部屋に戻り、歯磨きをして寝ます。

キダパワン②

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昨年新しく建てられた「みこころホール」の裏に、公園があります。動物を飼っています。

ご夫婦でイースタービレッジの理解者である方が、ビレッジ訪問を前にして奥様が亡くなれ、御主人が奥様の遺骨を持ってこられて、埋葬しました。その上に立てられたのが、このサントニーニョ。

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日曜日は皆でミサに出かけます。

大きくなった教会から分かれて、出来たばかりの教会です。

外にまで、信徒さんが溢れています。

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ミサが終わり、神父さんが退場しようとすると子ども達が駆け寄って、祝福を受けています。

フィリピンのミサは自由で開放的で好きです。

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帰りはその場の思いつきで、ラーメンを食べにお店に入りました。

日本のラーメン丼よりずっと小さい丼に入っています。

これが結構美味しかった。

時々の子供達のお楽しみです。

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親戚の家に帰っていった3兄弟が、遊びに来ていました。

この3人じゃないよ。一番大きいお兄ちゃんです。

なんか、実家に帰ってきましたって感じです。

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カメラを向けると、すぐに寄ってきて、近づいてくるので、ピントが合わなくなること度々。

撮ったら、自分の姿を確認することを忘れません。

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子供達の顔と名前が覚えられなくて・・・。

ちょっと褒めると、天まで昇る男の子は誰??

私が日本語で一言言うと、ほぼ正確に返してくる女の子。

ちょっとの隙に私のお尻を触っていく女の子がいるよ。

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滞在中は、お泊り会をしました。床にマットを敷いて、ごろ寝です。

リンゴを食べて、遊んでの少しの時間なのですが、リュックに荷物を沢山詰めて持ってきた男の子がいました。

お手玉を一緒懸命している子、お絵かきをしている子、

消灯してから笑いのつぼに入り、笑っているのか、泣いているのか、息が止まっているのか分らなく、一人でベットの上に上り、一曲歌って踊ってして落ち着いた子がいました。

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最後に紹介するのは・・・

デェレクターの祐川神父さんが買って来たワンコちゃんです。

まだ赤ちゃん。

キダパワン市

<スダピンバランガイ>

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キダパワン市にあるスダピンバランガイ

1737世帯、8,000人位の規模です。

組織は、一番上がバランガイキャプテン。その下に、カガワッド、セクレタリー、トレジャラー、レコードキーパー(記録係り)、バランガイキャプテンの秘書がいます。

カガワットは7人いて、教育、健康問題、農業、財政、平和と秩序、健康予防促進、会計の担当に分かれています。

もめごとは、セキュリタリーからレコードキーパーに行き、最終的にバランガイキャプテンかカガワッドに回されます。もめごとで多いのは、借金、夫婦喧嘩の仲裁、夫婦以外の喧嘩仲裁。バランガイの範囲を超えて警察になる場合は、書類を出す。大きな喧嘩は警察がすぐ来る。

バランガイホールの裏に、ヘルスセンターがあり、隣にはディケァセンターがあります。

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右側は新しいディケァセンターで、左側は古い方です。事務所にするとのこと。

新しい方のディケァセンターでは、子供達の保育をしていて、中は可愛くしています。「健康問題」では、ヘルスセンターを管理していて、予防接種、妊婦さんへの指導等を行っています。

平和と秩序は、市民ボランティアが平和を監視する見張り役です。

農業は、生産者が入っていて、情報交換をしています。

毎年927日~28日はバランガイ設立を記念して、バランガイフェスティバルがあります。バスケ、ゲーム、食べたり、オカマショーもあります。

バランガイキャプテンのお給料は7,200ぺそ。

収入源は、住民税、市からは年1回多少の援助金があります。バランガイでお店を持っているので、その収益も収入になります。地方自治体から中央政府に申請しても、お金は下りてきません。ODAから多少の資金があります。

フィリピンの人にとってバランガイはごく普通のことなのでしょうが、私から見ると、世界最強の住民組織のように思います。

80歳のおばあちゃん>

バランガイホール前でバスケをしていた男性から、80歳の日本人女性がいると聞いたので、訪問しました。1960年に渡比。沖縄出身。

家はパッと見た感じ、中産階級のようですが、おばあちゃん、トイレ付きの狭い部屋にいました。私たちが行ったときに慌てて部屋の掃除をしたようです。

祐川神父さんがおばあちゃんに話しかけて始めたときは、顔がこわばっていたのですが、沖縄の話になると表情が動きました。顔が柔らかい表情になり、笑うようになりました。

最後には泣いていた・・・。

80歳といえば、戦中の激戦を潜り抜け、戦後の混乱期に耐え、そして渡比。

おばあちゃん、今まで苦労してきたんだろうな・・・

そんな考えていなかった出会いがあり、帰り道・・・

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・・・ポリスが走る・・・

<公園>

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プールがあって、温泉がある公園に行きました。開発の最中のようで、工事中の所がありました。

上の写真の中央の木の中に入っていくと、温泉源があり、ここはマノボ民族の聖地です。

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思うに・・・

民族が聖地としている所から温泉を引くってこと、していいのかな???

しない方がいいと思うんだけど・・・

・・・とか何とか思いながら、来る途中で買った昼食を美味しく食べました。

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生ルンピアです。

ルンピアですよ、ルンピア!!

ここでルンピアが食べられるなんて思いませんでしたわ!!

しかも、生ルンピア!

インドネシア語でもルンピア、日本語では春巻き、ディズニーランドではスプリングロールといいます。

感激のお味は・・・

激ウマっ!!

キダパワンからジェネラルサントスへ

スタッフがマルベル(コロナダル)で研修があるというので、一緒に行き、待っている間ジェンサンまで行きました。

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反対側からバスが走ってきます。

(オイ、オイ、これだけのコメントかい)

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マルベルまでの途中で休憩です。

ガソリンスタンドの横にコンビニが併設されています。

こちらの道路、舗装されていても、なんか、ガタガタ。

日本の道路はツルツルだね。

イースタービレッジでドライバーをしているスタッフ、

飛ばす、飛ばす。

郊外で交通量の少ない真っ直ぐの一本道なんか、ガンガン行くよ。

ひぇーー、、、こわっ、、、

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車窓から・・・

ジープニーにあんなに人が乗って・・・

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マルベルを過ぎてジェンサンに向う途中のパイナップル畑。

帰りはここによって、子供達にパイナップルのお土産を買って行きました。

味見に一個切ってくれて、芯まで柔らかくて、甘いパイナップルです。

今まで食べたパイナップルで、一番美味しかった。

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ジェネラルサントスの公園。

ドライバーのリッキー、公園の中に何のためらいもなく入っていくの。

普通、公園に車を入れちゃいけないと思うんだけど・・・

あれ??

公園に車やトライシクルが止まってる。

公園って、何だっけ??

人間よりも車が多いところだっけ???

皆さん、口をそろえてジェンサンには何も無い所だと言います。

今回、ジェンサンでは教会を見て来たかったので、いくつか見て来ました。

さすが、人口の8割以上がカトリックの国。教会が沢山あります。

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上二つの教会は、イグレシア教会。

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お昼ごはんは、ここのお店に入りました。

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お肉とルンピアを食べました。

ここのルンピアも美味しかった。

勿論お肉も。

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マルベルのカテドラルです。

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綺麗に飾り付けをして、結婚式が始まる所でした。

この聖堂の横に、もう一つ小さな聖堂があり、本当はリッキーに紹介したかったのですが、女の人しか入れないので、とても残念でした。

マルベルでの研修が終わり、スタッフと一緒に帰ります。途中、ビレッジから奨学金を受けている大学生を乗せて、帰ります。

ドライバーのリッキーが、いきなり、「写真、写真」と言って車を止めました。

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家の下に木を渡して、担いで運んでいるのです。

???この人達は、どうししたのかしら???

キダパワンが近くなってきた頃、リッキーが連れて行ってくれたゴムの工場です。

古タイヤを加工している所のようです。

工程を順番どうりに・・・

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日本に集荷します。

リッキー、今日一日、ダグハン・サラマット!

ダバオの日系人

ダバオは開拓の時に沢山の日本人が行き、戦前はダバオだけで2万人の邦人が住んでいました。サンペドロ通りは当時の日本人街の中心。今でも当時の建物があります。

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左側は、カシワバラホテル、右側はオーサカバザール(商店)がありました。

ダバオ歴史博物館が有ります。先住民族から今までの歴史をだどっています。日本人が使っていた食器、古い写真が展示されています。現在のフィリピンの画家の作品も展示してあります。

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カリナンにある「フィリピン―日本歴史資料館」。

開拓の頃の貴重な資料が展示されています。貴重な本もありました。

昭和19年8月26日夜、橋本茂から妻ロサリオと長女和枝に宛てえた2通の遺書が展示されていました。

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戦時中、日本軍のものです。

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ダバオではアバカ(マニラ麻)の生産をしていました。アバカは丈夫で耐水性があるので、パラシュートの紐やロープの材料になります。第一次世界大戦では需要がとても伸び、生産が追いつかないくらいでした。

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ミンタルにある邦人墓地です。

お墓には、生年月日、没年月日、その下にはFor Loving Family と書かれています。

いくつか見ましたが、生年月日のない人、生年月日と没年月日が同じ人が数人いました。

先住民族は時間の概念が私達と違っていて、生まれた日はいつなのかを尋ねると、「黄色い花が咲く頃」とか、「あの日は暑かった」と言う答えが返っています。ですから、邦人と現地の先住民族との間に生まれた人かもしれませんし、戦後、フィリピンに残った邦人は、フィリピン人の日本に対する恨みを一身に受けていたので、自分や親が日本人だと分ると、殺されかねない状況だったので、写真一枚残さずに棄てたのが理由かもしれません。

お墓から、亡くなられた方の人生を垣間見る思いがしました。

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記念碑もいくつかありました。

日本人墓地に行く途中に、ダバオ開拓の父と呼ばれている太田恭三氏の記念碑があります。

海側の、トリルより先にあるダリアオンに、古川拓殖会社の跡地があります。ダバオ開拓の会社は大きい所は、古川拓殖と太田興業です。

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海沿いだからでしょうか。戦時中に爆撃を受けたあとが残っています。ここに工場や倉庫がありました。中はがらんとしていて、一部生産に使っていたと思われるものが残っているだけで、何もありません。木造の建物は窓枠の木はかなり丈夫そうで、今でも使えそうです。

敷地は25ヘクタールあり、今はマニラにあるナショナル・デベロップメント・カンパニーの所有です。エントランスから入り、会社とバランガイに手続きをしてから入ります。そんなこととは知らずに、黙って入ってしまいました。

周りに住んでいる人は貧困層ですが、雰囲気は良い所です。

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ダバオ空港の近くに、日系人会があります。

日系2世と3世が中心となり設立されました。

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日系国際学校

幼稚園から高校まであります。

1991年設立、現在の生徒数1250人、外国籍の子供も入学できるようになりましたので、米国、韓国、ドイツ、日本の国籍を持つ子がいます。

フィリピンのカリキュラムの中に日本語教育が入っています。

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ミンダナオ国際大学。

・・・つまり、一つの敷地内に日系人会と、幼稚園から大学まであるのです。幼稚園から大学まで、一貫して日本語教育を受けられます。学生は日本語スピーチコンテストで優秀な成績を収めています。

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このあたりは、設立当時は何もないところだったそうですが、今では韓国の学校が出来て、商店や会社の事務所が出来て、交通量も増え、地域が活性化されました。

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ダート内田ゲストハウスに泊めていただきました。

ここには、ミンダナオで活動をしている人たちが集まります。日系リーガルサポートセンターのスタッフ、学校の先生が宿泊していました。朝食をとりながらのおしゃべりは情報交換です。

ダバオ市

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ダバオ市リサール通りにある、このホテルに宿泊しました。朝食、ホットシャワー付きで800ペソ。近くには市庁舎、カテドラル、歴史博物館、ショッピングモール、レストラン、ファーストフード店があり、とても便利な所です。

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リサール通り沿いにある食堂「PointPoint」です。信号のある十字路の2軒目、一軒目のレチョンの看板が目印です。昼食と夕食とではメニューが違い、夕食時間も毎日全く同じメニューではありません。おかず2品とご飯で44ペソ。ファーストフード店でのコーヒー2杯分のお値段です。食事時間になるとテーブルが一杯になるくらいお客さんが来ます。早めに行ってよかった。

美味しいお店を見つけると、本当に嬉しくなります。

お店の向かいに、今は誰も住んでいないような白い家があります。この家の角(信号のある十字路)を右に曲がると、カテドラル前に行きます。

お昼時になると、カテドラルと市庁舎の間にある広場は、勤め人、小学生、大学生で沢山の人がいました。市庁舎の裏側には、小学校、大学があります。

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サンペドロ教会(カテドラル)。

敷地内にはお店が出ていて、カトリックグッズが売ってあります。ここで買ったろうそくと共に祈りを捧げます。

教会の向かいは広場になっていて、その反対側には市庁舎があります。夜になるとこの広場に屋台が沢山出て、賑わいます。日曜日のミサは、外まで人が溢れ、敷地の外には沢山の出店で賑わい・・・。人口の80パーセントがカトリックのフィリピンらしい風景だなと思いました。

道路沿いにある屋台より、広場内にある屋台のほうが美味しいように思います。

茹でたうずらの卵の天婦羅にきゅうりや昆布を添えたものを塩で食べました。粉を溶いて小さい玉にして揚げたものは、甘いケチャップをかけて食べます。ジュース、果物、焼きトウモロコシは堅くて最後まで食べられませんでした。

30ペソで夕食と食後のデザートが食べられました。

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フィリピンイーグルの公園に行きました。

レストラン前に蛇が2匹檻に入っていましたので、お店の人が一匹出してきて、こんなことをしました。蛇の顔は正面から見ると結構可愛いです。だからといって、顔に息を吹きかけると、かじられるそうです。

木の枝から先のほうが赤くなっている紐のような物が下がっている木、Fir busyがありました。これがまた、綺麗です。

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ワニ公園でのこと。

ショーがあり、見ごたえがあります。

帰りの出口で蛇を出していましたので、また、してしまいました。

旅行に行くと度胸がつきます。

こちらに来たら、ドリアンを食べなければ。

マグサイサイ公園の前にあるお店が美味しいというので、案内してくださった方と一緒に行ってきました。熟れて美味しそうなドリアンを選んで、その場で食べます。お店にはテーブルと椅子が用意してあります。トローとして、濃厚なドリアン。

2人で半分づつ食べて、おなか一杯になりました。

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ジープニーに乗っていると、なにやら車のパレードです。

TV局の宣伝だそうで、先頭の車は飴をまいていました。

市場も楽しい所です。生鮮食料品の新鮮なこと。

お肉はプリプリしています。

イースタービレッジでデジカメを落として壊した事が悔やまれます。

使い捨てカメラを買ったのですが、高くて、バチバチ取れません。

市場の近くにモスクがありました。ベールにするようなスカーフを持ってこなかったので、イスラム地区には行けませんでした。

やっぱり、旅行の際はベールは必需品です。

小口で売っているお店も沢山あります。コーヒー、クリープ、シャンプー、飴、タバコ・・・。

一個づつ売っているのですが、割高になります。

・・・だから、タバコも一本づつです。

今のダバオの市長は厳しい方で有名です。路上で売っているお店にも値段が表示されている所があります。外国人だからとボッタクられる危険が少ないです。夜、女の一人歩きも大丈夫です。

06年ミンダナオ旅行

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ミンダナオに行こうと決めてから1年半の準備し、4月から具体的に始めました。日本人がよく行く観光地なら情報量が多いのですが、それ以外の地域は極端に情報量が少ないです。それでもミンダナオに行っている日本人や、ミンダナオ在住の日本人のサイトを見つけたり、ほとんどがネットでしたので、メールのやり取りが130件超えました。それでも知り合いが出来たり、周辺の情報が入ってきて、意味のあるものでした。

石井正子著「女性が語るフィリピンのムスリム社会」を読み、ジェネラルサントスに行きたいと思いました。それが現実になり、モスクも見にいけました。

一人で行く予定でしたが、リタイア組みの知り合いと一緒に行く事になり、夜ホテルの部屋で一人でいる寂しさから開放されました。彼女は、今まで病院で検査技師をしていて、検査をしながら色々な事を考えたそうです。そして、将来今までの経験を生かして海外協力をしたいと希望があり、自分には何が出来るかを探す旅です。

9月は台風の季節。一度台風で旅行の帰り大変な思いをしたことがあるので、台風を避けるために千歳から香港経由で行く事にしました。ちょうど、キャセイパシフィックでキャンペーンをしていて、日本発券分に限り、香港乗り継ぎの為のホテル代は無料でした。得した気分です。

9月6日 千歳発16:45CX581
     香港着20:50
     香港発22:00CX
     マニラ着23:55
9月7日 マニラ発7:00
     ジェネラルサントス着8:50
9月15日 ダバオ発14:30
     マニラ着16:15
     マニラ発20:05CX902
     香港着22:05
9月16日 香港発9:45CX580
     千歳着15:35

千歳からジェネラルサントスまで

出発前の1時間半前に待ち合わせ。キャセイのカウンターは無いので、国際線のJALカウンターで搭乗手続きをします。カウンター前は長蛇の列。今は観光シーズンだったかしら?
コンピューターの故障のため、搭乗手続きが遅れているのです。全て手書きでしていました。ハイテクの時代ですが、最後は手書きになるのですね。早めに待ち合わせてよかった。
キャセイに乗るのは始めてですから、なんか、ワクワクしてきます。
こんな張り紙を見つけました。
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「経済各位」って、エコノミークラスのことかしら?
キャセイは他の航空会社とのサービスの違いはあまり無いように感じました。でも、座席ごとにあるヘッドホンは、あらかじめ置いてあるのではなく、お客さんが乗ってから客室乗務員の方が持ってきます。ビデオを見ていると、字幕は香港の言葉。漢字なので、なんとなく分ります。

乗り継ぎのチャンギ空港は広い広い。人の流れに身を任せ、カンで移動します。途中で掲示板を発見。東アジアですもの、地名は漢字です。マニラは麻尼拉になっていました。
あ~、なるほど…。
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レベル5の到着ロビーから、レベル6の出発ロビーに行くはずなのに、なぜか下に下りていき、地下鉄みたいなのに乗って行くのです。空港の人に聞くとこれでいいと言います。チョコッと不安になりましたが、矢印通りに行ってみる事にしました。乗り換えの時間があまり無いので、あせってしまいましたが、これでいいのです。
無事にマニラ行きに乗り、マニラ到着です。
入国審査までに行く通路では、バンド演奏でお迎えです。
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入国手続きを終わり、荷物を取り、これからが勝負です。フィリピンで一番危ない所はマニラだと信じて疑わない私。思いっきり緊張しています。
ホテルまでのタクシーを拾うと、ひどい料金を請求されたりするらしいので、空港の出口辺りにある、タクシーカウンターに行き、ホテル名を告げて、タクシーを手配してもらいます。宿泊ホテルのNew Solanieまで500ペソ。高くても安全を買っているのです。乗ったタクシーの運転手は日本語が上手でした。朝7時の便でジェンサンに行く事を言うと、ホテルに4時に迎えに行くというので、頼みました。ホテル到着1:30位。この時間、結構きついのですけど…。ホテル前の道路は真っ暗で誰一人いませんでした。恐ろしくなって、さっさとホテルに入りました。このホテル、あまり良くなかったですが、ベッドで寝られただけで良しとしましょう。朝早い出発なので、空港で寝いた方が安全だと考えていたくらいですから。

タクシーの運転手さん、本当に4時に迎えに来ました。時間を守るフィリピン人って貴重な存在かもしれない。空港に行く前に、両替商で円をペソに換えました。ここはレートが良くない雰囲気が漂っていたので、とりあえずの分だけね。

7時発フィリピン航空のジェネラルサントス行きに乗り、空から見るマトゥトゥン山は綺麗ですね。
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ジェンサンに近づいてくると、それまでの風景が一変し、はげ山です。所々、木が一列に並んでいるので、人の手が加わっているのが分ります。
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ジェンサンの空港に着いたときは、チョット感動しました。だって、準備に苦労したから…。空港前には装甲車がありました。
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先住民族のために活動をしている日本人女性と、ミンダナオの女性で、イスラムの女性の為に活動をしているナプサさん達がこの日一日私たちを案内してくださいます。車の中で、石井正子先生の著書を読んでジェンサンに行きたいと思ったといったら、石井さん、さっき空港まで送った。私に紹介してもしょうがないかと思ったから、紹介しなかったのだそうです。私たちが到着ロビーにいた時に、石井先生は出発ロビーにいたのですから。滞在中はナプサさんの家に泊まっていたんだって。これならもっと早くに言っておけば良かった。

ジェネラルサントス/ディアス村

ジェネラルサントス
モスクを見たいと強く希望していましたので、モスクを見て回りました。
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手前にある広場のような場所が新しい形のモスクです。メッカに留学した人が、メッカにあったモスクを見てまねて作ったのだそうです。これでほぼ完成です。写真の奥の方が正面になります。イスラムでは祈るときはメッカに向って祈るので、向こう側がメッカになります。自然と一体となって祈るのです。
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今まで使っていたモスクです。

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近くに織物を織っている人がいるので、寄ってみました。素材は化繊です。イスラムでは動植物は描かないので、幾何学模様になります。

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ジェンサンで一番大きなモスクです。1階が洗う場所、2階が女性が祈る所、3階が男性が祈る所です。顔、耳、手、足を洗ってから祈ります。中には入れませんでした。

皆はまだ朝食は食べていませんでしたので、レストランに入りました。
ここの料理は美味しかった。
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ディアス村
ディアス村に到着。村の女性たちはクリンタンの演奏で迎えてくれました。
演奏は、とにかく早い。目で追っていけなくなりました。
みんぱくのサイトで、ゴングが聞けるので、時々聞いていましたが、本物の演奏が聴けて感動しました。音楽が体に染み付いていると感じました。
スペインは徹底してキリスト教化を進めていき、土着の音楽を絶滅に追いやりましたが、最後まで抵抗してきた少数民族によりかろうじて伝えられてきた、スペイン時代を生き延びた文化の代表格です。イスラムのクリンタンは、演奏形態、表現方法、衣装に、イスラムに対しての偏見が入っているそうです。スペインからの抑圧の痕。

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後ろの方では、竹を裂いて作ったバチで、ゴムで作られたような感じのバケツのようなものを叩いてリズムを刻んでいます。なんでも楽器になります。
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ゴングです。

柱と屋根だけがある集会所で昼食です。
たぶん、私たちが行くというので特別の料理が出されたと思うのです。いつもはこのようなものを食べているのではないようです。
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食事の後は、楽器をこの場所に移動して演奏と踊りです。
クリンタンは音楽と踊りとが一体となったもの。ディアス村はいくつかの民族の人が住んでいて、それぞれの踊りを披露してくださいました。
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ディアス村のモスク
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ディアス村を後にして、ジェンサンに戻ります。
建設途中のモスクがありましたので寄ってみたのですが、以前写真を撮って商売をした人がいたので、写真を取るのをとめられました。海沿いでしたので、海岸に行きました。ここは近々開発の為、住民は立ち退きをさせられます。
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次はマルベル(コロダナル)市に行きます。

マルベル(コロダナル)市

マルベルは地図上ではコロナダルと記載されていますが、ミンダナオ関係の人たちはどなたもマルベルと言っていますので、「マルベル」で統一します。
マルベルには、チボリ、マノボ、ビラアン、カラガンなど多くの先住民族が住んでいます。
2000年10月に構成要素市に昇格し、2007年の人口は約14万9千人で、2万7千世帯です。サウスコタバト州の州都です。
7つのバランガイが都市部を、20のバランガイが郊外の農村部を形成しています。
国際漁港があるジェネラルサントスからコタバトを結ぶ幹線道路の中心に位置しているので、農業だけでなく商業も発達しています。
ジープニーの乗り入れが禁止になっているので、庶民の足はもっぱらトライシクルです。
主要道路沿いに出る屋台は午後5時以降と決まっています。
家庭のゴミは市役所がうまくやっているので、清潔な街並みです。

そんなマルベルにある知り合いの家に荷物を一旦置かせてもらい、1泊だけの用意をして、ミンダナオ1泊目はマルベルにある御受難会です。ここは観想会で日本人シスターが二人います。マザー松田はミンダナオに30年。
高い塀に囲まれていて、門の前に修道会の看板がありました。
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中に入って行くと建物があります。玄関のチャイムを鳴らすとシスターが出てきます。
右側には聖堂があります。
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正面の建物と聖堂の間に、マリア像がありました。

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お客さんの泊まる部屋です。

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裏側に庭があり、28年前アメリカ人でイエズス会の神父さんが黙想指導に来たときに神父さんが造った枯山水のような一角があります。日本に居た時期があるので、このようなものを作ったそうです。イエズス会の創立者であるイグナチオが考えたお祈りの仕方(霊操)の宿泊霊操に始めて参加したのをきっかけに日本CLCに入り、札幌の助言司祭の勝谷神父さんに出会い、神父さんから祐川神父さんを紹介され、神父さんからマザーを紹介された事をマザーに言うと、二人で人との出会いの不思議に感動しました。その勝谷神父さんは「イースタービレッジ・ミンダナオを支える会」の代表者をしているので、今は私の上司です。

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この建物は、神父さんのお部屋があるのだそうです。

夕食はお部屋でしました。とても美味しかったのですが、全部食べ切れなくて、主食を残してしまいました。一緒に行った人が、「写真とっておけばよかった」と言います。空の皿をとっても仕方が無いので、写真は無しです。

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翌朝、朝ミサに参加しました。聖堂の前にシスターたちと私たち。半分から奥が近所の人たち。

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朝食は玄関近くの部屋でいただき、帰る支度です。
玄関近くのケースにシスターたちが作ったカードやしおりが置いてあります。買いに来る人があまりいないので、私たち、持って帰り、札幌で売ることにしました。丁度これからならクリスマスに間に合います。

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知り合いの人が迎えに来てくれて、一度戻り、ポロモロックで先住民族のお祭りがあるので、行く事にしました。本当はメインイベントが見れるはずだったのですが、直前になって日程の変更があり、見れなくなりました。直前の日程変更は、ミンダナオの人たちにとってなんら問題は無いのかしら?

マルベル市内を少し見て回りました。
朝市です。
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タマリンがありました。生タマリンを見たのはなじめてなので、チョット感動です。

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朝市で仕入れてきたものと、隣のおばさんからもらったもので、食事です。

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マルベルで一番大きな教会、カテドラルです。写真では良く分りませんが、玉座のイエスです。圧巻でした。

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隣に小さな聖堂があり、ここでお祈りをしている人たちがいました。正面には祭壇があり、御聖体が置いてあります。荘厳な雰囲気です。

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信号機の無いミンダナオで、歩道橋があるのですから。道路が放射線状になっていて近くに二つも。でも、誰も使っていません。歩いている人が見かけないのです。何の意味があるのでしょう。

ビラアン民族のお祭り

ポロモロックでビラアン民族のお祭りがあるので行きました。マルベルのバスターミナルからジェネラルサントス行きのバスに乗り、途中のポロモロックで下車。マルベルのバスターミナルは、バス会社毎にあり、そのほかにバンのターミナルがあります。

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このバス(イエローバス)に乗りました。フロントガラスの運転席側に行き先が書いてある紙が有りますので、行き先を確かめます。乗って、出発してまもなく車掌さんが回ってきて、行き先を告げると、券に何処で乗り、何処で降りて、料金はいくらかと穴を開けて渡されます。35ペソ。
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そのすぐ後に別の車掌さんが来て、この切符を見せて料金を支払います。

どうも、このバスは日本車のようです。前に向って左側は3人がけ、右側は二人がけの椅子に取替え、運転席と出入り口を反対にしているのです。窓と窓の間に、下りるときに押すボタンが付いています。おまけに、ドアは開け放して走っています。
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ターミナル近くの、札幌で言えば大通公園のようなところで開催されていました。
広場では、小学生の鼓笛隊の演奏をしていました。今まで一生懸命練習してきたのが分ります。

果物を売っている所、木製の製品を作って展示販売している所等、沢山の小さな建物があり、私たちは織物の所に行って見ました。
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ビラアンの織物は、素材はアバカ(マニラ麻)。染料は色により種類が違うのですが、植物です。アバカから糸を取り、数本束ねて糸で縛り、染めます。糸で絞った所は染まらないで白く残る所で織った時に模様を出します。縦糸で模様を出す縦絣です。

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刺繍をしている女の人がいました。

ここでもクリンタンを演奏してくれました。

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大きいゴング。低音で旋律を支えます。

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小さいゴング。旋律を担当します。
Aの音を中心に展開していき、しばらく演奏します。その後は、イ、ロ、ハの音で短く演奏し、上に上って、Bの音が中心に又しばらく演奏になります。それから全体を使って演奏し、始めに戻ります。この繰り返しなので、単純なのですが、とても素晴らしい。

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船のような物は打楽器。棒で上からつつくようにリズムを刻みます。良く見ると、ワニの形をしています。織物にもワニの模様があります。昔はこのあたりにワニが住んでいたのだそうです。

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踊りも踊ってくれました。後ろの男性が演奏しているのは、弦が2本くらいの楽器です。演奏中に弦が一本切れました。

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最後に皆で記念撮影です。
ビラアン民族の皆さん、貴重な文化を見せてくださり有難うございました。

近くの商店街で昼食を取りました。お店の中は込んでいたので、玄関前にあるテーブルを陣取りました。
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コピーを取りたかったので、現地の人に案内してお店に行きました。コピーを取る事をゼロックスと言います。写りがあまり良くなかった。知り合いの家に戻ってから、薄い所を見ながら書いたのですが、家に帰ってからは、書いていないところが読めなかった。

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運動服を製作販売しているお店がありました。正面にドアも壁も無くて、お店の中が丸見えです。

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バスターミナルに行く途中、テントを貼った出店が沢山並んでいました。おもちゃ、CD、服…。洗っていない靴下が山積みなっていました。

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帰りはこのバスに乗って帰りましょう。

マルベルからキダパワンへ

マルベルからキダパワンまでは、バス一本で行けなのと、荷物があり4人で行くので、バンを借りました。車のレンタル料金は、一日1,500ペソ+ガソリン代800ぺそ。
この日も行く先々でモスクを見て回りました。
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道路沿いにあるモスクに立ち寄る事にしました。男性が出てきて、「これからキダパワンにあるイースタービレッジに行く」と言うと、ここも養護施設、入っていきなさいと言ってくださったので、遠慮なく入っていきました。
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モスクがあり、奥の中央に学校があり、その両側に、左側は男の子、右側に女の子の部屋があります。男の子の部屋と女の子の部屋の間に柱と屋根の東屋のような所があり、ここで男の子が魚を揚げていました。テーブルとベンチもあります。

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女の子の部屋

男の子の部屋の中をのぞいてみましたが、薄暗く、床が無い様に思いました。何処に行っても子ども達は無邪気です。白い粉の塊が入った箱を持っていた女の子がいて、この粉をつけると綺麗になるんだって。私も付けてみました。サラサラした粉です。
わたし、綺麗になった?

又しばらく車で走っていると、ぴかぴかのモスクがありました。
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お祈りの時間を書いてあるのでしょうか?
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回りは芝生で綺麗で、右側には、ここら辺の地主さんのお墓がありました。
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マルベルの知り合いが、行きたい所があると、農業指導をしているドン・ボスコに行きました。山の方にあるのですが、細い道で急な下り坂。そのすぐ向こうは車が一台通れる位の幅で、欄干も何も無い橋を渡ります。橋の先には急な上り坂。すっごく緊張した。この日は土曜日。担当の人が休みで、説明が受けられませんでした。とても綺麗に手入れされています。
フィリピンの人って、畑の土作りをしないんだって。
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さあ、また来た道を戻り、一路キダパワンへ。
前のトラック、豚を運んでいるの。
トラックがカーブするたびに、
ぶひー、ぶひーって鳴いてる。
おかしかったから写真に撮った。
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イースタービレッジ・ミンダナオ

ドンボスコに着いたところで、神父さんに電話。
「あと1時間くらいで行きます」。
初めの予定では、夜になり、はっきりした時間が分りませんが、晩御飯を食べさせてください、と伝えていたのですが、4時に到着。本当はジェンサンの近くのビラアン民族のコミュニティーにトラックで行くのでしたが、大雨の後で山道に車が入らず、ぬかるみを歩くこと2時間に挫折。チボリ民族の所に行くのも、トライシクルも入らず、バイクだって。私、バイクに乗ったこと無い。しかも、運転者の後ろだけでなく、前にも乗るとの話しに、挫折。
…という訳で、予定どうりに行かないのが個人旅行の常。
ツァーなら何も無く楽なんだって。
祐川神父さんは、「先住民族のところは何処もそうだ」と言い、
帰ってから支える会の人に言うと、「そうよ、奥さん」だって。
沢登りをした人に言うと、「その位誰でもすぐだ」と言う。
奥さんの最大の弱点は、気力・体力がついていきません。

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そんなんで、到着したイースタービレッジ・ミンダナオ。
門が閉まっていて、どうやって開けたらいいか分からないのですから。だから、大声で叫びました。
何て叫んだっけ?
わすれた!
中から神父さんとソーシャルワーカーのチェチェと、子ども達が何人か出てきて、開けて貰いました。
あら、簡単に開いたわ。
車を駐車場に移動して、中から荷物を出します。子ども達が手伝ってくれました。
ティナが車の影で見ています。
「ティナ」と声をかけたら、顔がぱっと明るくなり、寄ってきて、荷物運びを手伝ってくれました。

建物の中央に一番広い部屋、リビングがあり、向って右側は子ども達の部屋で、左側は事務所や神父さんとロロ中島の部屋があり、こちらの方は子ども達は入っていけない決まりがあります。でも、お客さんに興味があるようで、小さい子たちは外からのぞいています。
建物の前に在る渡り廊下のようなところで、手すりの内側と外側とでのやり取り…。
私が持っていった目覚まし時計は、おばQに出てくるOちゃん。スイッチを押すと、
「ジリリリーーーー、ばけらった、ばけらった、おきらった、ジリリリリーーーーー」と鳴ります。子ども達は、スイッチを押しては止め、止めては押し…。神父さんの、もうおしまいの一言で終わりました。
これ、結構うけてた。

私たちおばさん3人は、お土産の袋詰めをし、浴衣を着て出て行きました。

この日はスタッフが休みで、一番年上のウィナリンが料理担当です。ウィナリンの作った料理は美味しかった。
食事の後は、歓迎会。子ども達の踊りが始まります。
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2回目のビレッジ訪問。前回来た時にいた子達は個性がそのまま伸びているように感じました。落成式の後から入ってきた子もいますが、全体的に見て、心の開放が進んでいるようです。
それにしても、すごい!!
圧倒されました。

無芸大食の日本人のおばさんたち、行く前に何をしようかと考えて、これなら簡単だと思い、北海道教育委員会の肝いりで作った「子供盆踊り」を披露する事にしました。
歴史を調べ、札幌から一緒に行った方の御主人が町内会連合の会長をしていた関係で、町内会連合の人に盆踊りの曲をテープに録音してもらい、私の息子からカセットのスピーカーを借りて、気合を入れて踊ったのです。

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始めたとたん
…………… しらーーー ………
一気にしらけ鳥の生息地と化してしまいました。
完全な文化摩擦。
まっ、これも、してみなければ分りません。
それでもウイナリンが曲に合わせて即興で踊ったのには驚きました。

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上のまぶたを両側ともひっくり返して、見て、見てと言ってきます。カメラを向けると近づいてくのですから、ピントが合いません。

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それを見ていた子が、カメラの前でガッツポーズです。

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翌日の朝食もいつもどおり皆でいただきました。
この日、午前中にミサに子ども達と一緒に行き、教会ではすっかり子ども達に面倒を見てもらいました。神父さんは、別の2つの教会でミサです。
マルベル組は、この日に帰っていきました。
朝食では、お客さんだけに目玉焼きが出されていました。お客さんが来るとどうするかは神父さんは指示していないのですが、スタッフが自分で考えたのだそうです。その心遣いが嬉しくて…。目玉焼き一個に感動してしまいました。

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平日は、学校に行っている子たちは、登校です。
ビレッジには就学前の子ども達がいます。午前中は、近くの子も交えて、先生に来てもらい、幼稚園が始まります。幼稚園が終わったら、他の子達は親御さんが迎えに来ます。

ビレッジの幼稚園組の子達は、午後からは学校に行っている子が帰ってくるまでお留守番。

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お花をさして、かわいいネ。
おばさん達、子供と一緒に遊ぶのには体力がついていかないのですが、それでも交流はあります。

滞在中に、ビビがサイエンスの大会に学校代行で出場し、2位を獲得し、メダルをもらってきました。

ビレッジには、色々な種類の花が沢山咲いています。建物沿いの花壇に咲いている花は、午前中が一番綺麗です。
塀沿いの隣の公園との境目には、午前中は白く、午後から赤く変わる花があります。
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滞在中に、北海道から一人と、大学で看護学を教えている女性の先生が来ました。
到着の日は、9月生まれの子ども達の誕生会がありました。
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ケーキ、ソーセージ、焼きバナナ…おなか一杯食べました。

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ビレッジに行ってから、キダパワンのわが町探検をしようとか、色々計画を立てていたのですが、ビレッジは居心地が良くて、誘われると行きますが、自分からここから出て行こうとしないのですから。自分から出ようとしたのは、帰るときくらいです。これは予想外でした。今度行くときは何か、対策を立てなければ…。

帰る前日夜、送別会をしてくれました。
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この2年間で子ども達は成長しました。お庭に沢山の花が咲き、公園もできて、外側も内面も進化を遂げているのを感じました。これから益々ビレッジは成長していくのでしょう。

キダパワン市

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フィリピン社会福祉局(DSWD)の養護施設を訪問してきました。ここにいる子ども達は、次に行く所が決まるまでの一時預かりのような所です。率直な感想を言わせてもらうと、他の養護施設を指導できるだけのノウハウを持っているのなら、なぜ自分の所で実践しないのかなと思いました。

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滞在中に大学で看護学を教えている先生が来たので、一緒に病院に行きました。看護師長さんの案内です。お金持ちの人が行く外来・病棟の所と、そうでない人たちがいく外来・病棟のところが分かれています。お金持ちの人たちがいく所は患者さんは少なく静かでしたが、そうでない所は沢山の患者さん達であふれかえっていました。ICUが有りましたが、中に機械は入っていません。ですから、この病院ではI See Youなのだそうです。分娩室には、分娩台が一つあり、カーテンで仕切られているだけです。お産の入院は1泊。廊下の両側にずらっとベットが並んでいます。病棟は、大部屋一つずつ心臓の人、呼吸器の人等と別れています。一部屋8人~10人くらいで、ベッドだけが壁沿いに置かれています。物を置く台や、カーテンで仕切られているような事はありませんでした。

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キダパワンマルベルの方に向う途中にあるM’langのビラアン民族のコミュニティーに行ってきました。丁度お米の収穫の時期で、皆出ていませんでした。貴重な現金収入なのです。居たのは女の人2~3人と子ども達が数人です。この家の屋根の素材はコゴンクラス。

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どこかの支援によりコミュニティーセンターが建てられました。

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家の中ではゴザを作っていました。素材はパワで竹の種類なのだそうです。普通の竹だと硬い。色つきの物はムスリムから買っているそうです。
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この木がゴザの材料になっています。

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崖を降りていくとヤギが居ましたので、ヤギと記念撮影です。

札幌組のおばさんたちは、お汁粉を作るために材料を仕入れてきます。スーパーで、小豆と金時の間くらいの大きさのお豆を見つけ2袋、ナタデココの瓶2個、ナタダココの売り場の隣にあったなんか良く分らない、果物のような缶詰2個、砂糖一袋、市場で煮て食べるバナナ2房を購入。これで30人分を作ります。
私の大好きな市場です。でも、キダパワンの市場は隅々見て歩いていません。次回こそ、くまなく見たいです。
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市場の外では、男の子二人が人参を洗っていました。

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市場の裏にはバスターミナルがあります。建物の右側がダバオ行きで、左側がコタバト行きです。

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ここは、旧イースタービレッジ。借家住まいをしていた頃の家です。2年間借りていました。今は住んでいる人がいます。ビレッジ開設した年の秋に、札幌で祐川神父さんと出会い、翌年3月にチャリティーコンサートを開き、主催した団体を辞めて、支える会に入り…、色々な事を思い出してしまいました。

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司祭会議があるから、行ってみるかいとの誘いに乗り、司教館に行きました。ここは修道会が4つ入っています。

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この絵は、殉教した神父さんたちの絵です。中には身代わりになった神父さんもいるそうです。戦いの歴史の一端です。

会議室に行ってみると、司祭会議が始まる時間の40分後ですが、まだ始まっていませんでした。バリエス司教様がいましたので、神父さんが紹介してくださいました。3年前のチャリティーコンサートでは、出演を札幌子どもミュージカルにお願いしました。出演依頼をするときに、ミンダナオは対立が多い分、対話も進んでいる所ですと、言うと、いい話だ。日程の調整をしましょうと、出演を受けてくださり、実現しました。その対話をしている方がバリエス司教様です。あのときの御礼が出来て、胸のつっかえが取れました。

私たちは、神父さんが司祭会議に出ている間、そこら辺で待っているのでしたが、お客さんが来ているから出なくてもよくなったと、司教館を後にしました。

夜、神父さんとスタッフ達と焼き鳥屋に行きました。行くとまだ開店前でしたので、迎えのレストランで飲み物を頼んで開店時間を待ちました。スタッフ達は子どものお手伝いについて熱く語っていました。スタッフは子ども達のこととなると熱くなるのだそうです。

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ここの焼き鳥、美味しいのですから。飲みねぇ、食いねぇをしました。

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ダバオ

キダパワンからダバオまではバスで行きたかったのですが、神父さんの大反対に合いました。この路線はウィナーバスで、事故が多くて悪名高い所なのだそうです。事故が起きたり、故障をしたりしても帰れるようにダバオで1泊する事にしたのですが、事故ったら、乗ってる私は怪我をするのだとこの時始めて気付きました。もしかしたら、大事な事抜けてない?

…というわけで、スタッフに送ってもらいました。ダバオで案内してくださる人と会い、あちこち回ってきました。

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祐川神父さんと中島さんが関わっている、ディケアーセンター。
就学前の子ども達が来ている幼稚園のような所です。9:00~11:30までで、33人が来ています。親の負担を考えて、保育料は1日2ペソです。
図書室には、英語と日本語の本が沢山ありました。

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教室は子どもらしく可愛い。

ダバオ博物館は、インシュラービレッジの中にあります。タクシーで行きました。
インシュラービレッジの入り口に、警備の人がいて、運転手さんは身分証明書か運転免許証を預けて、番号札を受け取ります。その間、車の下やトランクの中を調べられます。
何も無ければ入れます。走っている車が無く、とても静かな高級住宅街。話には聞いていましたが、ここがそうなんだと…。

博物館は午後から開館でしたので、時間がありますから、一度外に出て、インシュラーホテルのバイキングに行きました。一人600ペソ。超豪華版。
インシュラーホテルとインシュラービレッジは経営は同じだったのですが、爆発事件があり宿泊客が減り、倒産。ホテルはサマール島にあるパールファームビーチリゾートが買い取り、インシュラービレッジは別の会社になったとのこと。ホテルは海岸に有り、広い庭に、お店がいくつも出ています。
ここらへんにマンダヤ民族の織物の実演をしている所があるとガイドブックに書いてありましたが、パールファームに移ったって。2年前に行ったときに見たのだ!

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開館時間になりましたので、ダバオ博物館に行きました。
1階は、マルコス時代のピープルパワーまでの歴史です。ヨーロッパ時代、アメリカ時代が写真が展示してあるのに、日本時代がありませんでした。なぜなのか聞くに聞けなかった。
2階は文化です。楽器、織物、民族衣装、食器などが展示してありました。

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ここを経営しているフィリピン人は、以前日本で仕事をしていた経験から、日本で使わなくなった家電製品をダバオに運んできて、修理をし、販売をしています。日本とフィリピンの新聞でも紹介されていました。

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残った部品でこのようなものを作っています。

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高校を卒業した子達が週に一度英語と日本語の教室で勉強をしています。
今は英語。日本語は土曜日だそうです。
会計や、家電製品の修理を教えるクラスもあります。

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プラハの幼きイエスの神殿。
広くて、綺麗に手入れがされています。柱と屋根だけの聖堂が沢山あり、自然と一体となっているところです。高台にありますので、ダバオ市内を一望できます。

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芝生の所にはこんな看板が立てられていました。デートをしている人が居るのですね。

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ミンダナオについてから、多少のくしゃみと鼻水が止まらないのです。案内してくださった人が、「アレルギーじゃない?」
あ~、そうだ。どうも風邪ではないと思っていたら…。
薬局でアレルギーの薬を買うことにしました。1日1回夜飲む薬です。薬局では薬を1日分づつ売っているようです。

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ホテルを予約したときは、ダバオで何をするか決めていなかったので、移動を考えて中心部にあるマルコポロ・ホテルを予約しました。5つ星だとは知りませんでした。
なんか、ほんとに、豪華な旅行をしている自分が信じられません。
ダバオ市内を案内してくださった方の娘さんが、フロントで仕事をしていました。

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宿泊した部屋です。

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13階からの景色は素晴らしい。
アポ山が見えます。

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結婚式があるようで、1階のロビーで写真撮影をしていました。
どうぞ、お幸せに!!

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ホテルの向かいにブラックマーケットがあります。お店の商品に値段がついていないのと、雰囲気がボッタクラレそうな気がしたので、買い物はしませんでした。でも、ここの両替商はレートがいいのです。チョット足りない分を両替してきました。道路沿いに看板が出ているので、場所は分りやすいです。

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交差点に警備をしている人が居ました。
銃口が下を向いているからいいんだ。銃口が真横に向けて警備をしている地域には絶対に、何があっても行かないんだ。

ショッピングモールで買い物をして、一旦ホテルに戻り、空港へ向かいました。2年前と比べて、空港は検査が厳しくなっていました。靴、上着を脱いでベルトの上に乗せます。
空港使用料40ペソ。

今回の旅行では、ミンダナオが好きになりました。

ダバオから千歳/各種料金表

ダバオからマニラへはフィリピン航空で、マニラから香港まではキャセイですから、ターミナルが違います。以前は乗り継ぎのタクシーは無料だったらしいのですが、期待していたようには行きませんでした。カウンターでタクシーチケットをもらい、タクシーに乗ります。降りるときに運転手さんに料金150ペソを払います。

フィリピンの言葉に「きゃ」の発音が無い為、「キャセイ」は「カタイ」になると聞いていたのですが、本当に、カタイ、カタイと言っていた。

飛行機の時間まで結構あるのと、丁度夕食時だったので、昼食を空港で済ませました。中華のファーストフード店と、食堂みたいな所に入りましたが、本当に美味しくないのですけど…。喫茶店はまあまあだったけど…。ターミナル間の移動も面倒だし、マニラの空港、何とかならないのかな?

マニラから香港までは2時間。乗り継ぎの時間の都合で、一泊です。
空港からホテルまではバスが出ています。入国手続きをして、荷物を取り、地図を見ながらカウンターまで行きます。そこで係りの人の指示に従い、バス乗り場まで行きます。
待合室まで行くと、係りの人にバス券を見せて何処で待てばいいか教えてくれます。順番が来たら案内がありますので、バスに乗ります。
バスから見る香港風景は、港はコンテナばかり。
街は鉛筆のようなノッポビルが沢山建っています。道路は狭く、初めての香港におのぼりさん状態。

宿泊したホテルは、ノボテル・センチュリー・ハーバービュー。ちょうど、キャセイのキャンペーンで、香港乗り継ぎホテル無料でした。部屋は狭かったのですが、文句ありません。
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せっかく香港まで来たのですが、真夜中のホテルの回りは、暗くてひっそり…。あたりまえか。
外に出るだけの勇気も無く、ホテルで寝ただけ。
翌日朝早くにバスで出発。

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世界の空港ランキングベスト3に入っている香港空港。広いね。

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トイレを「お手洗い」と言うけど、香港では「手洗間」なんですね。なるほど・・・

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この表示は何かなと、深く考え、良く考えた結果、非常口だと思う。中は階段しかなかった。

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ホントに、地下鉄に見える

乗っている時間が一番長い、香港⇒千歳間。
飛行機に乗り、座席番号を確かめて、客室乗務員に毛布を持ってきてもらうように言うと、びっくりしていた。そうなのです。私は寝る体勢。
そうしたら、飲み物のサービスがあるのですから。それも、グラスに入って!
あれ??
周りを見渡すと、前の座席の幅が広い???
もしかしたら、ビジネスクラス?
私、エコノミーで航空券買ったよ。

一緒の人と、どうするか話していると、若い日本人女性が来て、エコノミーなのだけど、快適だからいたい。どうしますか?との問いに、
私は即座に「黙ってる」と答えました。
たぶん、搭乗手続きのときに間違えたのだと思う。それともダブルブッキングかな??

座席のすわり心地は良いし、サービスは違うし、キャセイ、気に入った!!
機内食だって違う。写真に撮ろうかと思ったのですが、ビンボー臭いからやめました。
最初で最後の経験だと思う。
快適な空の旅でした。

今回のミンダナオ旅行のメモを取った分だけですが、料金を書きます。

レート
 マニラ市内:1万円⇒4,200ペソ
 ダバオ市内:1万円⇒4,270ペソ

空港使用料
 ジェネラルサントス:到着時200ペソ
 ダバオ:出発時40ペソ
 マニラ:出国時に550ペソ

乗り物
 マルベルでのトライシクル初乗り:6ペソ
 マルベル⇒ポロモロック バス:35ペソ
 バンの貸し切り運転手付:1日1500ペソ+ガソリン代800ペソ
 ダバオ市内タクシー:42~120ペソ
 マニラ空港からホテルまでタクシー:500ペソ
 マニラ空港のターミナル間のタクシー:150ペソ

食事/食べ物
 ジェンサンで7~8人分の朝食:571ペソ
 ポロモロックで6人分の昼食:277ペソ
 キダパワンの市場でバナナ2房:24ペソ

ダバオのショッピングモールで
 マンゴードライ:97.35ペソ
 ジャックフルーツドライ:39.90ペソ
 ドリアンスティック:15.50ペソ
 UBEココナッツ10個入り:27.70ペソ
 MANGO PUREE:85.25ペソ

その他
 キダパワンから日本まで、大きい絵葉書の切手代:30ペソ
 マルベルから日本まで封書の切手代:20ペソ
 ダバオでの日本語ガイド:1日1000ペソ

04年ミンダナオ旅行

 イースタービレッジ・ミンダナオが、それまで借家だったのですが、手狭になり、新しい土地と建物を取得し、落成式があるので、支える会の人達と訪問しました。
この際だからと思い、我が家では家族旅行にしました。小学校2年生の暉は、始めのうちは乗り気ではありませんでしたが、ビレッジに行くとお友達が沢山いるよと説得に成功。息子は仕事が休めない為にいけませんでしたが、娘とその子供も同行しました。

 ビレッジから送られてきた写真を見ると、建物の裏には木が沢山あり、虫の生息地になっていそうです。虫取りのアミと虫かごを持っていこうかと毎日家族会議が始まりました。テルが、キダパワンに虫かごと虫網を売っているかどうか神父さんに聞いてみてと言いますが、恥ずかしくて聞けません。協議の結果、荷物になるからやめました。

 ビレッジの子ども達へのお土産を、みんなで手分けして持って行き、いざ、出発。
集合場所は千歳空港のJALカウンター前。総勢8人のちょっとしたツァーになりました。

2004年8月5日(木) 
千歳発14:20 成田着15:55(JAL)
    成田発19:15 マニラ着22:30(ノースウエスト)
8月6日(金)
    マニラ発10:25 ダバオ着12:10(フィリピン航空)
8月12日(木)
    ダバオ発14:25 マニラ着???(フィリピン航空)
8月13日(金)
    マニラ発8:10 成田着13:30(ノースウエスト)

キダパワンへ

成田からマニラまではアメリカ発日本経由マニラ行きのノースウエストに乗りました。機内食はここが一番美味しかった。
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インドネシアに行くよりもずっと近いから、その分楽でした。
マニラの空港の、入国手続きの、あの長い列に並び、荷物の受け取り・・・。
やっと空港から脱出し、タクシーに分乗して、トレーダーズホテルへ。
翌日は、天気予報どおりどんよりした曇り空。ホテル15階からは遠くに海が見えます。
1階ロビーの隣にあるレストランでの朝食はバイキング。
ホテルから出ているバスに乗り、空港へ。

マニラを飛び立ってすぐ、下を見ると、海岸線から桟橋のような物が伸びて、その先に家が建っています。その向こう側にも、海の中に家が建っています。インドネシアでもこういう家があり、別荘なのだそうです。フィリピンでも別荘なのかしら?
雲の上から見える風景は綺麗だね。
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ダバオ空港に着いたら、イースタービレッジのデェレクターをしている祐川神父さんとスタッフが迎えに来ていました。昼食がまだなので、海岸沿いにあるレストランに入りました。ここは、魚料理が美味しかったです。

途中、ガソリンスタンドがあるコンビニのようなスーパーに立ち寄りました。

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肉まんが美味しかったです。ガソリンスタンドにジープニーが給油に来ていました。

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自分で撮った写真を良く見ると、お客さんが乗っているのですから。日本では考えられません。お客さんが乗ると運賃が入って、そのお金で給油なのだそうです。
なるほど。

ダバオからキダパワンまでは車でノンストップで2時間くらい。

サマール島/マニラ

サマール島
ダバオにあるインシュラーホテルの中を通り、海側に歩いていくと船が出ている桟橋があります。ここから船に乗ること40分でサマール島に到着。パールファームリゾート・ホテルの前に着きます。
海は澄んでいて熱帯魚が泳いでいるのが見えます。
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レストランの前にプールがあり、海と続いているように見えるのですから。プールは大人用と子供用とがあります。テルは浮き輪を持って子ども用です。
レストランで昼食を済ませてから部屋へ。お昼寝している間に皆は船で向かいの島に行っていました。床下からピチャピチャ魚が泳いでいる音がします。ここのウニは襲ってくるんだって。石がゴロゴロしているからサンダルを履いて海に入ります。

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夕食はレストランでバイキング。テルはバイキングが大好きです。理由はただで好きな物が食べられるから。本当は宿泊料金に含まれているのですが、テルは知りません。
女性シンガーと男性ギタリスト二人が回ってきて歌を歌っています。リクエストにも答えてくれます。プロは上手。祐川神父さんは「デスペラード」とミンダナオの現状を歌った「ミンダナオ」をギターの伴奏で歌いました。祐川神父さん、プロ並みに上手。他のお客さんも聞き入っていました。昔取ったきねずかだって。

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翌日、レストランの裏の方に、マンダヤ民族の織物の実演をしてるのを見つけました。床に座って織る織り機です。向かいにお店があり、織物の反物や製品を売っていました。触った感じではマニラ麻ではないようです。帯にするのにいいナと思ったのですが、帯の寸法を測ってこなかったのであきらめました。

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ここで同行したスタッフたちとはお別れです。
ダバオ空港からマニラへ飛びます。国際線の時間の都合で、マニラで1泊します。

マニラ
マニラの空港からタクシーでホテルへ。行きに泊まったトレーダーズホテルです。ホテル側の手違いがあったらしく、「あなたたちは幸運だ」とホテルの人はいいます。予約してある部屋より上のランクの部屋になりました。
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お土産を買いにショッピングモールへ行きました。フィリピンのクラッカーって、日本のより美味しかった。ここにもごく自然にオカマさんがいました。

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日本食レストランに行き食事です。伊勢えびも食べました。
皆で飲みねぇ、食いねぇの楽しいひと時を過ごしました。家に帰ってからしばらくして気付いたのですが、この日は、夫の七回忌の命日だったのです。忘れていた!!

翌日8:10マニラ発のノースウエストに乗り成田まで。成田からJALで千歳到着が夜8時過ぎ。空港解散。
さてと、次はいつ行けるかな?

イースタービレッジ落成式

 フィリピン共和国南部のミンダナオ島。北海道の1.3倍ほどの面積の島に約1400万人の人が住んでいます。フィリピン最高峰のアポ山と山々が連なっており、そこは熱帯の大自然。美しい海が広がり、キダパワンはミンダナオのフルーツバスケットと呼ばれるほど果物の豊富な所です。

 ミンダナオはモロ族(イスラム教)、山岳地帯に追いやられた多数の山岳民族、ルソンやビサヤから移住してきたキリスト教が共生する地域です。分離独立を願うモロ開放戦線やモロ民族開放戦線と政府軍の争いで多くの血が流されてきました。現在も多少の衝突を繰り返しながら対話と和解が進められています。

 札幌司教区の祐川神父さんは、マニラ、ミンダナオ島の東ダバオ州のサンイシドロ市を経て、北コトバト州キダパワン市に渡り、02年8月10日に養護施設「イースタービレッジ・ミンダナオ」を開設しました。借家で手狭になったため新しい土地と建物を取得し、2年後の8月8日、無事落成式を迎えました。
 お祝いに「イースタービレッジを支える会」から8人が出席しました。
前日は、皆で飾り付けの準備です。

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 テープカットから始まった落成式。DSWDの1番上の方の参列があり、社会に認められていると感じました。
男の人、女の人、年齢は1才から60代までいて、複数の民族がいて、宗教はカトリック、プロテスタント、イスラム教の人がいて、今まさに「共生の時代」を生きていると思いました。

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 子供達の歌は、いつ聞いても感動します。歌声はとても綺麗です。

餅まきならぬ飴まきをして、お食事。
フィリピンでの1番のご馳走は豚の丸焼き。豚サンがこちらを見ているの。顔を見ないようにして、肉を切ったわ。

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 日が沈みかけても、皆で踊り、ゲームをしたり、とても楽しい1日でした。
私達が帰る前日、お別れ会をしました。今まではこのような時は、男の子は泣きたいのをぐっとこらえていたそうですが、この時ばかりは皆泣きました。

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最後に全員で記念写真を撮りましたが、その後も夜遅くまで別れを惜しんでいました。

小学校

 イースタービレッジの子供達の朝は早く、5時起床、7時登校です。
朝、子供たちと一緒に学校に行って来ました。
生徒は校舎前の庭を掃いていました。ビレッジの責任者である祐川神父さんが、先生と交渉をして下さって、テルが1年生のクラスに入って1時間授業を受けました。誰でも受け入れるのです。
朝は朝礼から始まります。クラスごとに並んで、国旗掲揚をし、国家を歌うところから始まります。フィリピンでは愛国心高揚のために映画館で、映画が始まる前に国家が流れるのだそうです。

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学年ごとのクラスは3クラスあり、学力で分けられています。

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朝礼が終わり、教室に戻って授業が始まります。1時間目が終わる頃、学校に迎えに行くと、テルは校庭でビレッジの子と遊んでいました。
 校舎の裏側にも広い庭があります。野外劇場のような所があり、卒業式などをする時に使うそうです。池には魚が泳いでいて、敷地は広いです。照壁のような物が立ててあり歴代のトップで卒業した子の名前が書いてありました。ゴムの木が植えてあり、樹液を採って学校の収入にするのだそうです。

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キダパワン市

 北コトバト州は危険度3に指定されています。確かに危険な地域はあるのですが、それは一部の地域ですから、他の地域はいたって安全。銀行、スーパーマーケットがあり、前に2人、後に4人乗れるバイクタクシーのようなトライシクルに乗って市場に連れて行ってもらいました。どこにでもある東南アジアのごく普通の町並みでした。
下の写真は、市場前を走っているトライシクルです。

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 市場を中心にして、沢山のお店がのきを連ねています。洋品店には服が山積みになって店頭にあります。1つ1つの服の山の上には数字が書いてある札が天井から下がっていて、この山の服は1枚〇〇ペソです…という意味なのかなと勝手に解釈してしまいました。美容院があり、雑貨店があり、道路はトライシクルがひっきりなしに走っていて活気があります。
 美容院にはオカマがいました。マニラでも見ましたが、フィリピンのオカマは自然体で回りに溶けこんでいます。オカマは市民権を得ていると感じました。

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 市場は食品中心でした。八百屋さんは野菜の山。やきそばにするような麺もありました。お魚屋さんは魚の山。お肉屋さんは肉の塊で骨付き。豚の足がぶら下がっていました。鶏肉は、鶏の形そのまま。

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大自然で遊ぶ

大自然があるミンダナオ。とにかく驚きの連続。
イースタービレッジの子供達が楽しみにしているという滝壷に行きました。
山の中に滝があり、川が流れている…。私の生活感覚ではこのような風景は鑑賞するもの。
滝壷についたら、「さあ、泳ぐぞ!」と、水着に着替えて滝壷の中に入っていく。ここまでならまだ受け入れられたけれども、反対側の崖を上って、途中にある平らな所からドボン、ドボンと飛びこみを始めたのには驚いた。大人の背よりも高い所と、もう少し高い所から、勇気に応じて飛びこみます。

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 夜になると、電気の光に虫が集まってきますので、色々な虫が網戸に止まっています。
スタッフの方が持ってきたのが、アトラスオオカブト。
虫は取りにいくものだと思っていました。だから、行く前日まで我が家では虫かごと網を持っていくかどうかと話し合っていました。結局持って行きませんでしたが、そういうものは必要が無い。虫の方から飛んでくる。アトラスオオカブトも飛んでくるのです!!
 私は子供の頃は、飛んで来たトンボの尻尾を紐で縛って飛ばして遊んでいましたが、イースタービレッジの子供たちはそれと同じ事をアトラスオオカブトでしているのです。つまり、飛んで来たカブトムシを取って、角のところを紐で縛り、振り回すと飛ぶのです。絶句してしまいました。

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 夜の訪問者は虫だけではありませんでした。玄関の前の階段に大きなカエルが鎮座しているではありませんか。しかも、1匹や2匹ではない。

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 自然の中で遊ぶレベルが違いすぎ。こんなカルチャーショックは生まれて始めて。人生の全てを否定された気持ちになりました。ひどい混乱。気持ちの整理を付けるのに帰ってから日にちがかかった事。

ミンダナオの子供たち

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「イースタービレッジ・ミンダナオ」の新しい建物が出来て、開設式前日。
飾り付けの準備をしている最中のひとこま。

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 バナナ農園に行く途中に立ち寄ったところ、ちょうど小学校がお昼休みのようでした。
家に帰る途中の子、校門の前にある出店で食べ物を買っている子、校庭で遊んでいる子…。
 上の写真は、校庭で遊んでいる子にビデオを向けると、沢山集まってきて、押し合いへし合いの歓声を上げていました。

インドネシアの紙幣⑥

100000ルピア

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表:スカルノとハッタ

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裏:国会議事堂とインドネシア地図

スカルノ

本名:Sukarno

1901~1970

民族主義運動、独立運動において大きな足跡を残した政治家。初代大統領。

ハッタ

本名:Mohammad  Hatta

1902~1980

民族主義運動、独立運動において主導的役割を果たした。初代副大統領。スカルノとは対照的であり、鋭い批判者でもあった。

スカルノとハッタ

太平洋戦争が始まり、ジャワ島上陸した第16軍司令官の今村均は、オランダに囚われていたスカルノとハッタを解放し、民生の安定の為に協力を要請。

日本敗戦の2日後、1945年8月17日、スカルノとハッタは独立を宣言。それを認めないオランダが攻めてきて独立戦争となる。1949年ハーグ協定により独立国家としての第一歩を踏み出す。

インドネシアの紙幣⑤

50000ルピア

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表:ングラライ将軍

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裏:バリ島ブラタン湖

ングラライ将軍

本名:Gusti Ngurah Rai(グスティ ンクラライ)

1917年バリ島生まれ。1946年没。

国軍の前身である人民治安軍の将軍(中佐)。インドネシア独立戦争では、バリ島のゲリラ戦術で8ヶ月間戦い、オランダ軍補充部隊の兵舎を襲撃し、成功を収めた。その数日後、オランダ軍と遭遇し玉砕。この時、オランダ軍に送った返答文書の最後には「Merdeka atau mati」(自由か死か)と書かれてあった。この戦闘には12人の残留日本兵も含まれていた。

バリ島のデンパサール空港は、彼の名をとって「ンクラライ空港」と名付けられた。

インドネシアの紙幣④

20000ルピア

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表:イスカンダル・ディナタ

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裏:西ジャワの紅茶農園

イスカンダル・ディナタ

インドネシアの英雄。

詳しいことは只今調べています。分り次第アップします。

インドネシアの紙幣③

10000ルピア

表:スルタン・マフムド・バダルディンⅡ世

裏:南スマトラ・パレンバンの伝統家屋

この紙幣は、持っていないために、写真をアップできませんでした。いつの日かインドネシアに行ったときに、持って帰ります。

スルタン・マフムド・バダルディンⅡ世

詳細は調べている最中です。分り次第アップします。

スマトラ島、パレンバンの空港は、彼の名にちなみ「スルタン・マフムド・バダルディンⅡ世」と名付けられた。

インドネシアの紙幣②

5000ルピア

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表:イマーム ボンジョール

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裏:西スマトラ州タナ・ダタールの機織をする女性

イマーム・ボンジョール

本名は『MUHAMMAD SYAHAB』。

1772TanjungBungaに生まれる。父はイスラム教師。

西スマトラでオランダ軍に抵抗し、捕らえられる。彼の釈放を要求する運動が激しく、最初はブキット・テインギーの監獄に収容されていたが、彼を西ジャワのチアンジュールに移送さた。イスラムの教師として教えることがオランダ軍により許可されたが、生徒は増え、他の地方からも集まった。オランダ軍は影響力に脅威を感じ、アンボンに移した。そこではオランダ軍はわずかな生活費を渡すだけで、一切の活動を禁止した。その後はスラウエシ島のマナドに移され、一農民として生活を送り、1864(92)に流刑のまま亡くなった。

インドネシアの紙幣①

1000ルピア

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表:キャプテン パティムラ

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裏:マイタラ島とティドレ島

大航海時代には香料諸島として知られたマルク(モルッカ)諸島にあります。

キャプテン パティムラ

1783(?)年~1817年。

本名はトーマス・マツレイシ。

キリスト教徒で英国の傭兵をしていたが、英国統治からオランダに返還されるときに反乱を起こし、サパルア島の砦を占拠した。捕らえられたオランダ兵を処刑にした際にオランダ指揮官の子供を首刈り族の部下から守ったことから、「パティムラ(優しい人)」とあだ名が付いた。

インドネシア語と放送局のサイト

東外大インドネシア語モジュール

http://www.coelang.tufs.ac.jp/modules/id/

インドネシア語辞典

http://81jp.asia/indonesia/

こつこつインドネシア語

http://kotsu2indonesia.blog.so-net.ne.jp/

NHK World Indonesia  インドネシア語のラジオ放送が聴けます。

http://www.nhk.or.jp/nhkworld/indonesian/top/index.html

インドネシアのテレビ局リンク集

http://www.lyngsat.com/freetv/Indonesia.html

リンク集の中から…わりと動画がいいものを紹介します。

バリTV  急に音が聞こえてきますが、サイトの中ほどにある動画です。画像はよくないですが、その割には音声はいいです。

http://www.lyngsat.com/freetv/Indonesia.html

METRO TV   ニュースの動画がいくつかみれます。

http://www.metrotvnews.com/

インドネシアのサイト

インドネシア関係のサイトを集めてみました。

「ヌサンタラ☆札幌インドネシア文化交流会」ブログ

http://nusantara.blog.so-net.ne.jp/

「地球の歩き方」ホームページ

http://www.arukikata.co.jp/

バリ島への切符|バリ島現地旅行会社サンセットバリツァー&トラベル

http://sunsetbalitravel.blog87.fc2.com/

鉄道時刻表(インドネシア語)

http://infoka.soluzen.com/cari/?id_station1=2&id_station2=19&x=40&y=15

ガルーダインドネシア航空

http://www.garuda-jpn.com/

かたかたインドネシア(インドネシア語のお勉強)

http://kata2indonesia.dtiblog.com/

Bahasa Indonesia(インドネシア語のサイト)

http://www.coelang.tufs.ac.jp/modules/id/

昔のジャカルタ(旧バタビヤ)の写真

http://www.youtube.com/watch?v=-DfmkBM1Q0U

1941年のバタビヤ(現ジャカルタ)とウェルトフレーデンの地図

http://www.lib.uchicago.edu/e/su/maps/asian-cities/G8074-J3-1914-T6.html

じゃかるた新聞

http://www.jakartashimbun.com/

TOKADA

http://www.tokada.net/index.html

ジャカルタ新旧あれこれ

http://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/

スマラン(ジャワ島)写真(古い写真から現在のものまで)

http://www.semarang.nl/

スマランとその周辺

http://www.geocities.jp/indo_ka/semarang/index.html

日本人クラブ

http://www.jjc.or.id/

日本人学校

http://www.jjs.or.id/

インダプトゥリ(アンクルンのプロのグループ)

http://www.juno.dti.ne.jp/~assm/index.html

ラグラグインドネシア(インドネシアの音楽)

http://www.81-62.com/lagu/

インドネシア専科http://www.jttk.zaq.ne.jp/bachw308/index.html

田中ゆう子のロウケツ染め絵画の世界

http://www.batik-yuko.com/

バティックの割烹着

Img_0669 この生地は、多分型染めのバティックだと思います。

ずっと押入れに眠っていたのですが、割烹着を作りました。

割烹着といえば、白が定番です。白以外のものを探していたのですが、売っていない。手持ちの割烹着はシミだらけになるし。

鎖国をしていた日本は、黒船が来たのをきっかけに、海外に目を向けました。そこでびっくり仰天。近代化をしなければと、家族も見直しました。そこで登場したのが主婦です。

主婦の仕事は、掃除、選択、食事の支度、子守です。これはみな女中さんの仕事。

女中さんは、前垂れだけの前掛けをしていますから、割烹着と形が違います。色は清潔感を表す白にしました。つまり、主婦は女中さんと同じ仕事をしているけれども、女中さんではありません、という意味なのです。だから、割烹着は主婦のステータスシンボルなのです。

そのステータスシンボルも、今になっては困りものです。

古い写真

お盆におばあちゃんのお墓参りに行ったからでしょうか。やたらおばあちゃんが懐かしいのですから。

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祖母が亡くなったときに持って帰ったアルバムを出してみるのですが、大正生まれの祖母のはずが、明治44年の写真がある。インドネシアでお店の開店をしたときのものらしい。お店の名前が「MIKADO」
写真の台紙の裏に説明が書いてあるのですが、準備が大変だったらしいという事しか分りません。日本語が読めなかった。

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おじいちゃんが仕事をしていたお店です。ジャワ島にいったばかりのときに勤めていた所か、その後独立した店かは分りません。おばあちゃんに聞いておけばよかった。

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ボロブドゥールの遺跡にも行っているようですが・・・
おーーい、おじいちゃん、世界遺産だゾ。
そんな所に登っちゃいけないよ。

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日本人学校の生徒と母親。
この時代、日本人が沢山住んでいたのかしら。

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紀元2600年の大運動会。
やっぱり沢山住んでいたみたい。
右下の写真にはインドネシア人女性も写っているから、お手伝いさんなのかしら?

おばあちゃんの戸籍謄本を見ると、ジャワ島バタビヤ市クレコット街に住んでいたようです。バタビヤはジャカルタの昔の名前。
ジャカルタに行って、昔祖母が住んでいた所に行ってみたい。
ジャカルタには最近まで札幌に住んでいた家族が帰っていったから、その人にも会いたいし、日本人会にも行ってみたい。
来年にミンダナオに行く準備をしているから、この次はインドネシアにしようかな??

行きたいな。
ジャカルタに行きたいな。

イスラムの結婚パティー

インドネシア人の男性と日本人女性が先月東京のモスクで結婚式をしたので、報告のパーティーが札幌のモスクで開かれました。

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札幌マスジド(モスク)

札幌市北区北14条西3丁目7

1階は男性のお祈りの場所、シャワー室&トイレがあり、2階には女性のお祈りの場所、文化交流室があります。

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1階男性のお祈りの部屋です。絨毯の模様が斜めになっているでしょ。斜め奥の方に向って祈ります。太陽の沈む方向です。毎週金曜日に集まります。「ムスリムの砦」の小冊子をいただきました。お祈りの本のようです。うすい本、大好きです。

2階の女性のお祈りの部屋では、別の集まりが開かれていました。文化交流室でパーティーです。会場内には日本人とインドネシア人で部屋一杯になりました。

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美味しそうな鶏肉。

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心づくしのお弁当、右上はご飯、左上はソト(スープ)。

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お鍋に入っているのは、冷たいミルクティーです。インドネシアのミルクティーは大好きです。香辛料の葉っぱが入っているんだよね。何が入っているのか、何回聞いても忘れます。

男性は私の元インドネシア語の先生で、素晴らしい感性と頭脳の持ち主。女性は根性入っている人で、なんでも挑戦しています。お2人との出会いは私にとって宝です。なにせ、イスラムに対しての抵抗が無くなったのは、この方たちのおかげです。イスラムの事をきちんと説明してくれるからです。

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長いなが~い交際期間を経て結婚です。大人の結婚ですので、安定感があります。なんか、ほっとしました。

来月はインドネシアでパティーだって。

ご結婚、おめでとうございます。

CD「チィルボンのガムラン」

Gamelan of Cirebon

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曲目:①ジパン・ワリック ②キセル ③ドゥルマヨン~ベンドロン~オヨン・オヨン・バンコン ④クンバン・スンサン~オウェット・オウェタン~ロンタン・グデ 

チルボンはインドネシア ジャワ島の西にあります。ジャカルタから飛行機か列車で行きます。バティックも有名です。

チルボンのガムランは、元々あった王朝文化のものに、イスラムの影響を受けて変化し、民衆の手によって生き生きとしたものになりました。

写真の仮面は、ガムランを演奏しながら踊る時につけるものです。

アンクルンでクラシック演奏

アンクルンでクラシックを演奏するプロのグループがあります。

グループ名は「インダ・プトゥリ」。三人で演奏しています。

竹で出来ているアンクルンですが、オーケストラを聴いているみたい。

アンクルンの可能性って、こんなにも広いものかと感嘆しました。

アンクルン演奏

アンクルンはインドネシアの伝統的な竹で出来た楽器です。一音一個で、振って音を出します。このビデオは北大留学生協議会主催の「国際文化祭」(08年)の様子です。インドネシアから来た留学生たちが演奏しています。留学生と日本人のアンクルンのグループもあります。

アンクルン演奏

ヌサンタラ☆札幌インドネシア文化交流会の新年会(09年1月)で、日本人とインドネシア人のグループ「アンクルン札幌」が演奏しました。

バリ舞踏

【PANJI SEMIRANG パンジスミラン】  

チャンドラキラナ姫がパンジスミランと名を変え男装し婚約者パンジ王子を探して旅に・・・・

昭和16年の新聞

東南アジアがヨーロッパ時代だった頃、まだ国家の枠組みが出来ていなくて、宗主国は何処なのかで言っていました。インドネシアは蘭領東印度です。独立してからインドネシア共和国になりました。今のジャカルタは当時はバタビヤと言っていました。現在のコタ駅のほうです。独立記念塔のある辺りはウエルトフレーデンと言っていたようです。

祖父母一家が帰ってきたと思われる昭和16年の新聞縮小版を見ました。新聞の見出しで「蘭領」と書いてあるのを拾っていきます。引き上げてきた当時の様子が分るのではないかと思ったからです。

朝日新聞を見ていると、ジャワ島やフィリピンからの引き上げ船は神戸港に行っているようなので、大阪毎日新聞も見てみましたら、ありました。

一つの船で200人くらいが乗船していたようです。食事の用意、病人が出たら看護をしたりと、10人、20人くらいの班を作って行動をしていました。船の中で亡くなった方がいて、親族に遺品だけが渡された方がいました。

子供達は日本が始めて。下船のときははしゃいでいて、それを見ていた母親は涙を流していました。

祖父母一家が引き上げてきた時は3人目の子がまだ赤ちゃんだったので、船室だったけれども、船倉だった人が沢山居た。甲板でおしめを洗っていたと祖母が言っていました。

「戦争が始まる」というので引き上げてきたと祖母は言っていましたが、そんな簡単なものではなかったようです。

3人目が生まれた直後に、輸入と輸出の規制が始まり、邦人が経営する商店のほとんどは閉店に追い込まれるであろうという記事。祖父はバタビヤで小売業をしていました。

邦人に対しての資産凍結があり、銀行から預金が引き出せなくなったため、引き上げることも出来なくなり、交渉して緩和され、日本に引き上げるくらいのお金は用立てらるようになりました。

当時の新聞からは戦局が激しくなっていく様子が伝えられています。

「フィリピン、ミンダナオ島のダバオを開拓したのは日本人なのに、フィリピン人はその恩を忘れている」という記事が載っているのを見て、同じ記事を読んでも当時と今とでは受け止め方が違うのだなと感じました。

固まる日本人(05年)

文化ナイトの打ち上げパーティーがありました。
この日は、インドネシア語教室があり、その後の参加です。
私たちが行ったときには、お手伝いする事もなく、ヌサンタラからジュースの差し入れをするのに、インドネシア語教室の人たち数人が買い物に行き、調理室の冷蔵庫にしまっておきました。

ジュースを飲んでいる人がいたので、ぼちぼち始まったようです。
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わたし、かき揚が、こんなにサクサク揚らないんだよね。
うるち米の粉とココナッツミルクで作った、お焼き風のお料理も美味しかった。
作り方と。12月インドネシアに行くから、焼き型の名前を教えてもらって、来年焼くぞ!

主催は在日インドネシア留学生協会。
だから、インドネシア人と日本人が参加しているのです。
だけどね、
ここは日本だと思うよ。
それでも、日本人のグループが出来上がった。
留学生が、「ばらけて」といっても、
誰も動こうとしなかった。・・・わたしも・・・

70年前のおばあちゃんのアルバムを見れば、当時のジャカルタの町並みやどんな服を着ているのか分ると思ってかのしみにしていたのに、日本人、固まっているもんだから、分らないの。

私が死んだ後、子孫が、ご先祖様は何をしていたのかなと、アルバムを見ると、
「日本にいても日本人は固まっているんだ」って、言うよ。

体質改善したほうがいいと思う。
来年以降の課題です。

スマトラの猫・うちの猫

メダンの猫
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顔がうちの猫と違う。

シグリの猫
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この猫見ていたら、うちの猫を思い出して、ホームシックになっちゃった。

うちの猫
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この子がうちの猫です。スマトラの猫はスマートなのに、うちの猫はお腹がタップンタップンしています。
だから、旅行から帰ってきてから、ご飯の量を少なくしました。でも、その効果は表れていません。

インドネシア語教室で、kucing(猫)の単語が出てきたので、「野良猫ってなんて言うんですか?」と質問した人がいました。「家の周りには野良猫がいます」を先生は「Disekaliling rumah add bamyak kucing(家の周りには沢山猫がいます。)」と訳しました。日本には飼い猫、野良猫の区別がありますが、インドネシアにはその区別が無いのかなって思いました。

黒いベールとナシゴレン

インドネシア語教室が終わってから、とあるお店に行きました。
一度行ってみたかったから・・・。

エ??
ほんと???
黒いベールが500円だって!
そういえば、キダパワンの近くにあるイスラムの地域は、黒いベールだって言ってたような・・・。
もしかしてこれって、お買い得商品??
ジェネラルサントスは、色々な色だっていってたよ。
コトバト市はどんな色なのかな??
で・・・私は何色のベールを用意すればいいわけ??

ここのお店、お料理も出していて、夕食をここで済ませようとナシゴレンを注文。
5人で行って、2人は甘い方。後の3人は辛い方。
私は辛い方を注文。
一口食べて・・・
からーーーい!!
激からだ!!
だって、インドネシア人が汗かきながら食べてたよ。
ケチャップマニスを沢山かけて食べたけど・・・
タマリンのジュースを飲みながら、舌を落ち着けながら、完食。

お店の人が、お腹が痛くなるか、お尻が痛くなるか、どっちかだって言うの。
帰り道は、胃が辛がっていました。

翌日の体の変調がどうなるか・・・

何でもなかった・・・

丈夫なお腹・・・

「黒いベールとナシゴレン」って映画のタイトルになりそう。

全ての始まりはインドネシアから

      ジョグジャカルタにマリオポロ通りがあります。

マリオポロがなまって、タバコの銘柄「マルボロー」になりました。

      スラウエシ島にマナド(メナド)があります。

メナード化粧品の名前は、ここから来ています。

これは本当のようです。

      インドネシア人は、出かける前にマンディ(体を洗う)をします。

日本人は、夜に一日の汚れを取ります。最近は朝にシャワーをする人が増えてきました。日本人はインドネシア化しました。

      ○○通りの“通り”はJalan。お散歩は通りから通りに行くのでJalanJalan

  雑誌の「じゃらん」はここからきているような。

インド人も全ての始まりはインドからと思っているそうです。

インドネシア語教室の一こま。

インドネシアのファーストフード店(06年)

最近は国立民族学博物館のサイトにはまっています。
面白い記事を見つけました。
インドネシアにあるチェーン店で、Hoka-Hoka Bentoがあるのだそうです。
日本ではお弁当屋さんですが、インドネシアでは、持ち帰りも出来ますが、ファーストフード店なんだそうです。人気メニューは「カニロール」。春巻きのような物。

メダンに行ったとき、そごうが入っているショッピングモールのサンプラザに行ってきました。地下にファーストフード店が2件あり、そのうちの一軒で、「Hot Coffee with Cream」を注文。出てきたものが、一人分のインスタントコーヒーの袋とクリープの袋と、カップにはお湯が入っていた。驚きました。別の日に、向かいにあるもう一軒のファーストフード店に見学がてら入ってみました。マクドナルドかケンタッキーのどちらかです。この日はおなかを悪くしていましたから、紅茶を注文。カップの中はティーパック入りです。注文するカウンターと客席の間には、サンバルがあります。ハンバーガーにサンバルです。食べて動くとおなかが痛くなることを考えると、挑戦できませんでした。ファーストフード店も国によって違うのだなと思いました。

スマトラ島で再び地震/07年3月

インドネシア・スマトラ島の西で、昨日地震が発生。死傷者が出たようです。
スマトラ沖地震、ジャワ島中部地震、今回の地震とインドネシアは最近大きな地震が続きます。

西スマトラ島パダン付近で現地時間午前10時49分、日本時間午後0時49分、マグニチュード6.3の地震が発生。2回目はマグニチュード6.1。死者70人、負傷者215人。重機が追いつかず、瓦礫の下にいる人の救出が遅れているとの事。学校も壊れ、生徒4人が死亡。病院は負傷者であふれかえり、パダンでは使者が出なかったですが、津波を恐れた住民が外に出てパニックになったとか。

インドネシアでは、地震が起きたら、「外に出る」と教えられているそうです。
詳しくは「じゃかるた新聞」の記事をご覧下さい。

インドネシア日本文化交流会07年

毎年開催されている在日インドネシア留学生協会北海道支部(PPI)主催の「インドネシア・日本文化交流会」が、9月9日、札幌市男女共同参画センター(エルプラザ)3階ホールで開催されました。

今年は、例年とは随分違っていて、中身が濃かった。踊りや音楽等の一つ一つが時間を長く取り、じっくり観賞できました。そして、ただひたすら楽しめました。会場が札幌駅北口向かいにある立地条件が良かったし、参加者が予想を超える人数になり、お料理が足りなかったという、嬉しい予想外の事態が起きました。踊りがうまく踊れないと言っていた日本人たちは、昨年よりも上手に踊れているではありませんか。
見入っていたから、あまり写真が撮れなくて、撮った写真もチョットいまいちだったけど、様子が伝わればと思います。

第1部:ヌサンタラナイト
オープニングの後は、PPI側から二人と、北ガス代表の挨拶。北ガスの方に記念品贈呈。

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孔雀の踊り==留学生二人の華麗な踊り。

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インダンダンス==インドネシア人と日本人とで踊りました。昨年も踊りましたが、上手になっていました。

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紙芝居==日本人女性がプランバナンの伝説を題材にして作りました。

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アンクルン演奏==となりのトトロの曲で登場。3曲披露しました。ピンクの着物を着ている人はインドネシア人です。

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ファッションショー==6地域のそれぞれの男女の民族衣装。一つ一つに解説があります。

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歓迎の踊り==バリの踊りです。日本人女性が踊りました。

ディナータイム
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3階のホールから4階に食事用で借りている部屋へ移動です。早めに行って写真を撮っている間に沢山の人が来て、自分の分のお料理が取れない。それでも根性で、出された料理の全部の種類を食べました。ガドガド(ピーナッツ味のタレにつけて食べる温サラダ)は久しぶりです。押し合いへし合いで、テーブルがずれる場面も…。チマチョゴリを着ている女の子3姉妹と一緒に記念撮影。久しぶりの人、一週間前にあった人とおしゃべりをして、楽しい時間を過ごしました。

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近くにいた人たちと記念写真。

第2部:バリナイト
食事の後はホールに戻り、第2部が始まりました。

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チョンドンの踊り==日本人女性が踊りました。この人、すっごく上手。

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バリの結婚式の再現です。(ダイジェスト版)
①新郎と両親が新婦の家に結婚の承諾を得に行きます。
②承諾が得られたら、結婚式。左側の祭壇に供え物をして、その周りを新郎と新婦が3回回ります。参列者に聖水をかけてます。
③新婦が両親や先祖にお別れをします。

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ケチャ==インドネシア人男性ばかりで踊りました。01年にバリに行って以来のケチャに懐かしく感じました。

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出演者全員が舞台に出て、フィナーレです。
3時間がとても短く感じました。
準備をした留学生と日本人の方たち、楽しい時間を有難うございました。

インドネシア日本文化交流会のご案内/06年

今年も文化ナイト(通称)が開催されます。毎回楽しみにしているのです。
歌、踊り、民族衣装、お料理、・・・盛り沢山の内容です。
仕立ててからまだ着ていない訪問着を着ていくかな?
2001年にメダンで買ったドレスがきつくなったし・・・。
今回も10月から歌の練習があります。曲目は以下の4曲です。1ヶ月間、頑張って練習をしましょう。

曲目:ブンガワンソロ:インドネシア語
島うた:日本語
可愛いあの子は誰のもの:インドネシア語
さよなら さよなら

   ----記----
日時:11月11日(土)17:30
             17:00~19:30
場所:クラーク会館(北海道大学構内)
リフレサッポロ(札幌市白石区本通16丁目4-26)
主催:在日インドネシア留学生協会
チケット取り扱い:秘密結社あじと・みんたる・ワルンジャワ
           当日券あり
参加費:前売り 大人2000円 子ども1000
     当日券 大人2500円 子ども1250円

日本インドネイシア文化交流会06年

楽しみにしていた文化交流会。
昨年まで着ていたメダンで買ったドレスが悲しいかなきつくなってしまいました。体重はそんなに増えていないのに、背中に肉が付いたみたいです。年と共に色々有りますわ。そんなんで、今年は着物を着て行きました。帯止めをするのに買った帯締めが短くて、やっと結べたと思ったらほどけてしまい、帯止めはあきらめました。
当日は雨。雨コートを着ていてもぬれる心配があるので、もんぺをはいていきました。

毎回趣向を凝らした内容です。今年はどんな内容になるのでしょう。とても楽しみです。

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会場では留学生たちが準備をしていて、舞台では日本人グループが踊りの練習をしていました。
踊りと歌の練習が終わってから、更衣室として用意してある部屋に行き、もんぺを脱ぎました。踊りをする人たちの着付けが、とても大変そう。バリダンスを踊る人たち、腰から胸までギュウギュウ締めるのです。

別の場所で作ったお料理の搬入も終わり、始まります。
演奏の説明は、当日配られたプログラムからの引用です。

オープニング
司会を務めるのは、日本語が流暢な留学生です。

バリダンス“レゴンージョボク”
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宮廷舞踏レゴンの中のラーマヤナに題材を求めた作品で、猿王兄弟の物語です。
ある時二人は洞窟へ逃げ込んだ魔物を退治しようと兄スバリが洞窟に入り弟スグリワに白い血が流れたら死んだものにしてくれと言い残します。流れた白い液体は実は魔物の脳でスグリワはスバリが死んだものと思い洞窟を塞いでしまいました。激怒したスバリとスグリワとの戦いが始まるのでした。

ジャイポンダンス
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ジャイポンはググム・グムビラ氏が1961年にインドネシア政府の洋楽の禁止への応答として開発した踊りです。村の踊りケトゥ・ティルと格闘技ペンチャ・シラに基づきました。ググム氏はテトゥ・ティルの基本と、女性歌手シンデンを支持しながら、ガメランオーケストラを取り入れました。ジャイポンは一時期社交ダンスとして人気がありましたが、今はステージダンスとして有名です。

私は泳ぐ魚である
日本人とインドネシア人二人の朗読です。後ろのスクリーンには海の中の映像が映し出されます。

彼は人間でした。ある日、彼は船から転落し、死んでしまいました。そしsて、魚に生まれ変わったのです。この物語では、彼は彼女に伝えました。今、人間はどんどん自然から離れます。昔彼が人間だった頃、人間の生き方がとても幸せだったのに、今の人間は悲しいです。魚の方が人間より幸せだと彼が語ります。

 
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インドネシア人、日本人の2名で歌います。
1 Mencintaimu
2 恋のバカンス

歌(ボーカルグループ)
ヌサンタラ札幌インドネシア文化交流会のメンバー。短い練習期間でしたが、楽しく歌えました。私も参加していたので、写真は無いのですから。どなたかから貰ったら、載せますね。
1 Bengawan Solo
2 島唄
3 Nona Manis(可愛いあの子は誰のもの)

来賓の挨拶
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在日インドネシア大使館と御言葉インドネシアの名誉領事のお二人から挨拶があり、インドネシア留学生協会から記念品の贈呈がありました。司会者が通訳をしました。

アンクルン演奏
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竹で出来た楽器アンクルン。
2003年に出来たインドネシア留学生で結成したアンクルングループ。
日本人も参加しての演奏になりました。

ディナー
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Yellow Rice 
Rendang 
Ayam Bakar 
Urap 
Lumpia 
Kerupuk Udang
Kelepon
インドネシア料理は9月の料理講習会以来なので、久しぶりに食べたなと感じました。おしゃべりをしながらの食事。今回、あれ?もう終わりなの??と思うくらい時間が短かったような…。

紙芝居「マリン・クタン」
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日本人の紙芝居おばさんがインドネシアにある物語を聞き、作りました。絵を写真に撮り、スクリーンに映し出されます。

西スマトラのパダンという町のアイル・マニス海岸にシティヌルバヤという名の丘があります。そこには、一艘の船の形をした石があります。この石は親不孝な息子が石になってしまったという言い伝えがあります。

ジョグジャカルタ地震募金活動レポート
今年5月27日に起きたジャワ島中部地震の被災を援助する為に、沢山の団体や個人の協力がありました。
募金活動には、留学生や日本人が動きました。ジョグジャカルタから札幌に来ている留学生からの報告です。彼も現地に行き活動をしてきました。北大からジャカルタの大学に留学していて、支援活動を続けている学生からは、文章での報告です。詳しくは後日掲載します。

ジャカルタのヤンポン踊り
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全員日本人で踊ります。時間をかけて一生懸命練習したそうです。親子で参加した方もいます。

ヤンポンはジャワのモダンダンスの一種として、ジャカルタの伝統的な女性舞踏に基づきました。ヤンポンは有名な振付師バゴン・クスディアルジョの作品で、1980年代から人気を集めました。若い女性たちが集まり、月の光の下で楽しく遊びながら踊るとの話です。ジャワのガメランをロックビートとコンビネーションされた作品です。

スマトラ・インダン踊り
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インドネシア留学生たちが踊りました。

インダン踊りは西スマトラから来ました。昔はイネの収穫祭に演奏されましたが、今は結婚式などで演奏する事もあります。他の伝統舞踏と異なり、インダン踊りは座ったまま踊ります。リズムに乗った動きで、全て同時にやらなければなりません。そうでないと、隣の人とぶつかります。

ダンドゥット音楽
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最後はインドネシアのポピュラー音楽、ダンドゥットです。
多数の参加者が舞台の上や下で踊りました。
踊っている人も、見ている人も楽しんで、一番の盛り上がりを見せました。

私、見る人だから、写真撮れた!
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これで終わりますが、音楽は続きますと、司会者の終わりの挨拶。
帰る人が居れば、踊っている人が居て、ロビーには分かれがたい人たちの交流が続いています。

ジャワ島地震現地から①/06年6月

地震があったジョグジャカルタの大学に留学している学生が、友人たちと救援活動を始めました。現地から続々と連絡が入りますので紹介します。

物資を届けた一集落の状況です。

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この集落、わずかの家屋を残してすべてこのように崩壊しました。

今日は、車を2台見つけることができたので、きのうよりもはるかに物資を運ぶ量が増えました。

まだまだ政府からの援助が届いていないところが多いです。

今日は、(同じ大学で学ぶ)日本人の被災者からいただいた助言にしたがって、新聞も運ぶことにしました。インドネシアは、どこの家庭でも新聞があるような習慣ではないのですが、このような状況では、あれこれ情報を知るための道具として、大きな威力を発揮することが分かりました。

被災をまぬがれた地域は、すでにふつうの生活を取り戻していますので、ここで必要とされる物資を購入して、被災地に向かっています。あちこちのスーパーは、混雑しています。

集落に物資を届けているところです。車が立ち止まると集落のひとびとが次々にやって来ます。

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今日は、10箇所の集落を朝から日が暮れるまで、訪ねることができました。被害の状況ですが、けっして平均的でないということが分かりました。被害がひどいとされている地域でも、ほとんど被災を免れている集落もあれば、その反対(ほとんど家屋が倒壊)もあります。

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今まだ、電気が通じていない集落で、大きな問題になっていることがあります。あちこちで泥棒が現れていることです。不遇な生活に加えて、泥棒に警戒しなければならない生活です。このことは、新聞、テレビでも報道されています。どうしてこんなことをするひとがいるのでしょうか。まったく非道な行為です。今日は、夜まで活動を続けたのですが、電気が通じていない集落は、ランプ(オイルランプがほとんど)を使っているとはいえ相当に暗いです。

ジャワ島地震現地から②/06年6月

ジョグジャカルタに留学している学生から、メールが届きました。

      ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

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被害が相当にひどかった集落です。周辺集落も同じような状況です。写真左側の男性(頭に傷を負っています)の家屋です。この男性の母親がここで亡くなっています。

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今日の物資を購入後、仕分けしているところです。新聞も支援物資です。

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被災者から集落の様子を尋ねているところです。写真後ろの家屋は、完全に倒壊です。

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上の写真と同じ集落の避難テントの様子です。ここに相当数の世帯が避難しています。幼児用の食事が不足しています。

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夜に訪れた集落です。フラッシュをつかっているので、写真は明瞭ですが、男性が持っている(小さな)ライトだけが明かりを灯しています。一歩先は、闇です。

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テント内に相当数のインスタントラーメンが備蓄されているように見えますが、一日に一回だけの配給です。写真左側にて配給されています。この集落、車が行き交う道路に相当のひとがテントを張って溢れかえっています。

ジャワ島地震現地から③/06年6月③

ジョグジャカルタから、現地の様子が届きました。

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

今日の活動が終わり、被災地から戻ってきたところです。今日は、車を使って物資を届ける予定でしたが、今朝になり急に車が手配できなくなってしまい、バイクを使うことになりました。車を使えないことをまったく誰も予想していなかったので、急遽、今日の予定を練り直しでした。出発は、すっかりお昼をこえてしまいました。

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闇夜を照らすためのランプです。小さな光ですが、今、とても大切な道具です。

少し大きめのランプです。これでも(オイルランプなので)明かりは、小さいです。それに加えてオイルが不足しています。

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今日は、きのう最後のほうに訪ねた地域、それから同じ集落を再び訪ねることにしました。今日は、全部で4箇所を訪ねました。きのうに比べれば、半分以下ですが、その意図としては、聞き取り調査(ニーズ調査)に時間を置くでした。今の状態では、被災したひとびとは、とりあえず何でも不足していると云います。今度いつやって来るか分からない援助を考えれば当然の答えなのかもしれません。ただしインスタントラーメンは、別のようです。もう飽き々してきているようです。

幸いにもインドネシアは、井戸水を使う家庭がほとんどです。今、水不足に見舞われていることはありません。しかし、水を汲むために倒壊した家屋に入っていかねばなりません。

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:きのうも訪ねた集落です。きのうは、無かったビニールテントが(政府からでなく)届けられたようです。ここに人々が集います。

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聞き取り調査に時間を置くことにしたのは、きのうまでの活動からの反省です。当たり前のことですが(きのうまで気づかなかったのですが)、女性と男性とでは、必要としているモノが異なるということです。やはりこんな災害に見舞われても性別分業は、しっかりとしています。たとえば、食料物資に関して聞き取りをすると、男性は、もう十分にあるという回答が案外に多かったのですが、女性は、まだまだ不十分と回答します。その回答の背景は、料理の準備は、女性が行なうからです。男性の回答は、もしかすると表面的なモノなのかもしれません。今後、被災生活の質をいかによくするかが問題になってきます。今後の活動の標を決めるためには、このような問題に配慮することは大切だと思います。

今、インドネシアの国旗の掲揚のされかたです。

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今日は、帰路、バイクのタイヤが二回もパンクしてしまいやれやれな気分(といっても後部に座っているだけ)でした。

明日もバントールの北に向かう予定です。

それでは、また。

ジャワ島地震現地から④/06年6月

ジョグジャカルタの学生から報告が届きました。

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

3日の活動の報告です。地震が起こってから一週間が過ぎました。被災地へ向かう車やバイクの量が目に見えて減ってきました。以前のような大きな渋滞がほとんどなくなっています。

今日は、被災地に運ぶ物資をある教会に求めることにしました。毎日、物資を出発前に準備しては、運ぶ作業をしていたので、その時間を節約するためでした。ここには、多くの寄付によってモノが豊富に揃っているように見えます。ここに物資を求めるには、一定の手続きが必要です。それは昨日に承知済みでしたが、いざ手続きを進めようとすると、案外に時間がかかってしまいました。今日は、バイク3台を使っての活動でした。被災地で(簡単な)調査をして、その結果を教会に持ち帰り、説明を済ませた後に、物資を手にすることができます。必要なモノを必要な場所に届けるうえでは効果があるかもしれませんが、少々時間を要するのです。この教会、物資を運ぶ人手が足りないといっていました。

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今日は、被害がひどいとされるバントゥールのイモギリに向かい五箇所の調査を手分けして行ないました。予想していた以上に被害は、ひどかったです。調査を終えて教会にたどり着いたころには、すっかり日が暮れ始めていたので、止む無く二箇所だけに物資を届けることにしました。一部報道によれば、先日イモギリで物資の略奪行為があったということで、少し心配しながら、そして無事を祈りながら道を進めました。田舎道の多くは、まだ、明かりが灯っていません。バイクの灯すライトだけが頼りです。明日もイモギリに向かうつもりです。

ジャワ島地震現地から⑤/06年6月

ジョグジャカルタからの報告です。

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

65日の報告です。インドネシアの家屋、とくに貧しい世帯の家屋ほど、レンガだけを積み上げた、そして少しだけのセメントを使った構造です。鉄筋を使うことはありません。だから、地震が起こるともろくも崩れてしまうのです。皆さんが、映像で目にされた光景は、そのような家屋ばかりです。

今日は、一週間ぶりに大学に向かいましたガジャマダ大学は、被害がほとんどなかったのですが、しかし一週間休みでした。

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今日は、夜、バントゥールのセオンに向かいました。今、専門高校で日本語の授業の手伝いをしているのですが、そのひとりの生徒から、被災したという連絡をもらっていたのです。セオンは、すでに国軍が支援に入るほどの地域でした。おそらくセオンは、バントゥールの被災各地に向かう幹線道路沿いに位置するからではないかと思います。とはいえ、ほかの集落と大きな違いが目に見えてあるかといえば、そうではありません。しかし大切なことは、政府がやって来てくれたという標しではないでしょうか。彼女の集落には、テント、毛布、懐中電灯を運びました。きのうまで、彼女の集落まで届いていなかった電気ですが、すでに街灯が灯っていました。

ジャワ島地震現地から⑥/06年6月

ジョグジャカルタからの報告です。写真がうまくアップできなくてごめんなさい。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

67日の報告です。今日のニュースによると、政府から被災者ひとり当たり一日3000ルピア(およそ40円)が支給されると発表されていました。すでに一部地域では、この支給が始まったようですが、詳しいことについては分かりません。

今日の夕方、日本人会の方からテント(ビニールシート)を手にすることができたので、それをきのう訪ねた運転手の方の集落に運ぶことにしました。そのまえに、ほかの集落と日本人の被災者を訪ねました。今日、訪ねた集落は、ジョグジャカルタ(市)のコタグデでした。バイクを走らせながら集落近くまで来たときには、状況を眺めながら、大丈夫ではないかと思っていましたが、これは間違いでした。この集落に入るまでの道がそのような状況であって、集落に入ると状況はまったく異なっていました。ひどい状況です。支援の状況を尋ねると、今は、ほとんど知り合いに求めているといっていました。私たちが集落にたどり着くまえに持った印象が政府を含めたほかの支援者にも持たれてしまっている可能性が大きく、この集落は、通り過ごされているかもしれません。

日本人の被災者ですが、今は、すでに(親戚)家族のところに避難していました。被災した家屋の写真を見せてもらいましたが、完全に倒壊してはいませんでしたが、おそらく取り壊して再建ではないかという印象を持ちました。さて、運転者の方の集落にテントを届けたころには、すっかり夜が深けていました。やはり借りていたテントが返されていました。ビニールシートと竹で作り上げたテントには、窮屈な状態でひとびとが眠っていました。私たちが運んだテントが今の窮屈さを少しでも和らげることを願っています。

ジャワ島地震現地から⑦/06年7月

ジョグジャカルタから、報告が届きました。

 

            ☆~~☆~~☆~~☆~~☆

今、被災地は、緊急支援の時期を脱して、復興の時期に入っています。今、ぼくたちが進める支援活動ですが、仮設住宅の支援です。この支援活動に入った理由ですが、2、3ヶ月後にやって来る雨季への大きな心配です。こちらの雨季、皆さんもすでにご存知かと思いますが、ものすごい量の雨が一日に何度も降り注ぎます。

今、被災地したひとびとが暮らす急ごしらえのテントでは、(構造的、またひとびとの精神的にも)、この雨季にとても耐えられないと考えています。雨季がやって来るまでになるべく多くのひとびとが丈夫な屋根の下で暮らせるように支援することがぼくたちの活動です。

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グデック(竹を編んだモノ)を運んでいるところです。これを仮設住宅の壁にします。

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まだまだこのような急こしらえのテントで生活するひとびとがたくさんいます。これから支援予定の集落です。

ジャワ島地震現地から⑧/06年8月

ジョグジャカルタから報告が届きました。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

地震が起こってから二ヶ月が過ぎました。その間にもランプン、西ジャワ、バリと続きと地震が起こっています。今、インドは、地震の季節とどこかで耳にしました。

これから、私たちのグループが支援活動(仮設校舎)を始めるスレマン県のブレベル小学校の写真を送信します。この小学校、すべての生徒(150人ほど)が屋外のテントで勉強を余儀なくされています。テントは、日本政府とドイツの団体から贈られたモノです。校舎は、倒壊していませんが、もう使えないと判断されました。私たちのグループですが、ようやく名前(Paguyuban Handarubeni)をつけました。これまで、たびたび、どこから来たのかと方々で尋ねられて、答えに窮していたのですが、ようやく答えられるようになりました。

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テントのなかの様子です。太陽熱をまともに吸収するので、テントのなかは、熱がこもってとても暑いです。

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生徒たちがテントで勉強しているところです。校庭にテントを張っています。このテント、日本政府からのモノです。

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校庭には、みっちりとテントが張られています。校庭には、遊ぶ場所など、まったくありません。

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ガジャマダ大学工学部(土木工学科)がユニセフと協力して校舎の緊急調査をした結果です。赤色のシールは、もう使用できないマークです。この校舎、いずれ解体が始まります。

ジャワ島地震現地から⑨

ジョグジャカルタで活動している学生から、報告が届きましたのでお知らせします。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

明日かあさってで今年の断食月が終わります。お正月に向けて、ジョグジャカルタの街は、だんだんと静かになってきました。

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写真を添付します。私たちのグループ(Paguyuban Handarbeni)が仮設校舎の支援を行なったチャンディサリ小学校です。ボロブドゥールと並んで世界遺産に指定されているプランバナン遺跡から山手に上がったところにこの小学校があります。先月初めに仮設校舎の建設が完了しました。現在、つぎの仮設校舎の建設に向けて計画を進めているところです。

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現在、私たちのグループは、仮設校舎300軒、仮設校舎5校を目標にして活動を進めています。仮設住宅の支援の様子については、後日、インドネシア・日本文化交流会のときになるかと思います。

<写真がうまくアップできません。ごめんなさい>

ジャワ島地震現地から⑩

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今、イモギリのギリロヨと呼ばれる集落において子どもたちとのレクレーション活動を行なっています。このイモギリは、地震(ジョグジャカルタ)の被害が他の地域と比べると大きかったところです。私たちのグループ代表がこの集落に縁があったことから、活動場所として選びました。レクレーション活動のひとこまを写真にてお送りします。子どもたちがジャワ更紗(バティック)の絵つけを行なっているところです。
完成したバティックを見ることが楽しみです。

北大祭・TSUNAMI報告/05年6月

 毎年お楽しみの北大祭。模擬店が沢山出ていて面白いのです。色々な国の味が楽しめます。今年は、インドネシアとフィリピン、イスラムのお店、どこかの国の焼き鳥を買ってきました。今日の夕食をこれで済まそうと思い息子の分も買って来たのですが、息子は夕食は外食したって。残念!
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 今年は、「TSUNSMI留学生帰国支援」の集会があり、アチェとスリランカの報告を聞きました。
二つの地域とも、子供たちの心の傷が癒されないままです。スリランカの子供を対象にした調査報告を聞き、この子達が学校に行けるように奨学金の必要性を訴えていいました。

 やっぱり、私はインドネシアが気になるので、アチェの事を書きます。
津波で犠牲になった人たちの遺体の収容は、今はしていないようです。くぼ地が出来て水が溜まり、ここに遺体があるなと思っても、そのまま埋めるそうです。
被災者の話では、支援金が出ているのですが、2ヶ月滞納している。軍部の監視が強いため、訴えられなかったので、困っているが話を持っていけない。

訪問した養護施設では、紛争の犠牲になった子と、津波の犠牲になった子がいます。津波で心の傷を受けているのはいいほうで、紛争による傷の方が深刻だそうです。
 親が政府軍側で、反政府軍に殺された子。反対に、政府軍によって殺された親が反政府軍側の子。その戦闘に巻き込まれて殺された親の子と、一つの施設で3つのグループに分かれているそうです。

 世界中から支援団体が入るのですが、支援の競争をしているという事でした。
救援物資は横流しがあり、市場で売られているって。誰が横流ししたの?

 復興は全然進んでいないように感じました。津波が引いたそのままの状態のように思われます。私は行けなかったのですが、TUNAMIの1回目の集会は、津波直後に行った医師の報告で、「今まで色々なところに行ってきた。戦地にも行った。こんなひどいところは初めて。復興に100年かかる」と言っていたそうです。

いろいろな事を考えちゃいました。

スマトラ沖地震①

スマトラ沖地震の報道を見ていると、日にちがたち被害状況が分るにつれ、あまりのひどさに息を呑みます。01年にメダンに行ったときにお世話になった方たちは無事だと分りました。昨年、断食のときは大学が休みだからと、アチェの大学の先生がこちらに来ていた時に会いました。その方も無事だと連絡が入りました。一安心です。
来年は、震源地近くにあるニアス島に行きたかったのですが、止めにしようか。ニアス島には世界最大級の住居があるのです。どんな事になっているのかなと思うのですが、いくら観光地でも日本人があまり行かないところは報道がありませんので、様子がわからないのです。
それにしても、被害にあった地域の痛手はあまりにも大きすぎる。ここからどうやって復興していくの?

ユニセフからメールが届きました。各国の被害状況と、支援状況が分ります。

スマトラ沖地震②

 スマトラ沖地震の記事が、文化交流会のホームページにアップされたと連絡が入りました。
インドネシアで報道されたものを日本語に訳した記事です。日本では分らないことが出ています。もうすでに2次被害の犠牲者が出ているそうです。日本の報道では、感染症の心配でしたが、餓死者が出ています。
 アチェの大学から留学生が沢山来ていて、教官には元留学生やその家族たちも被害にあいました。中にはJICAの元研修生も居ます。元北海道大学の留学生が、日本医師団の通訳をしている姿をテレビで見たと言う連絡があったりすると、インドネシアと日本とは近い国なのだと感じました。

 札幌でも留学生たちが募金活動を始めました。竹で出来ている楽器“アンクルン”を演奏し、募金を募っています。どうか、このサイトをご覧になった方は、お勧めのホームページの中にある「ヌサンタラ・札幌インドネシア文化交流会」のサイトをご覧くださり、支援を切にお願いします。

「TSUNAMI留学生帰国支援」被災国をもっと知ろう北海道大会/05年3月

 3月19日(土)に開催されました集会に参加しました。
パネル展
 バンダアチェの写真が展示してありました。同じ場所での被災前と被災後の航空写真は、家がなくなって茶色になっています。まるで原爆投下後の広島のようでした。民家の屋根の上に乗った船。陸地にはセメント運搬船。津波が襲った後の家の残骸と共に、遺体が無数に・・・。残された人々の悲しみ・・・。モスクでは小学生の勉強会。

航空券贈呈
 TSUNAMIはスマトラ沖地震の津波の被災国から留学している学生を、ボランティア活動のために一時帰国する為の交通費を集めています。今までに13人の留学生が一時帰国しました。航空券が高いので、ガルーダ・インドネシア航空と交渉し、格安で往復できるようになりました。
 今回はバンダ・アチェから北海道大学に留学している男性が1ヶ月間一時帰国します。目的は①政府がしようとしている事と住民の要望との間に格差があるので、それを埋める。
②学校が流されてしまったので、モスクでお勉強会を開いているので、学校を建てるため。
③全部流されてしまい、仕事が無くなったので、新しい仕事を作るため。(例えば、鶏の飼育)

「被災後のアチェ・知らされない事実」 
上記の題で、フリージャーナリストの志葉 玲(しば れい)さんの講演です。
アチェはインドネシアからの独立を目指しているので紛争が続いていて、軍の監視体制が敷かれています。避難所では監視する人がいて、住民はおびえて暮らしていますので、早く元の住んでいた場所に戻りたいと願っています。アチェでは天然ガスが取れるので、採掘しているところでは、守りを目的に軍部が居ます。根拠が無くても政府に反抗していると疑いがかかると、連れて行かれ、皮膚や肉が削げ落ちるほどの暴行や生きたまま焼かれるなどの拷問が、ここで行われています。

 志葉さんが、夫と兄弟一人が根拠の無い疑いをかけられ、軍に誘拐され帰ってこないという女性と出会ったそうです。その女性に、生活が大変だろうからと、お金を渡した男性が連れ去られ、拷問を受け帰ってきた。男性は恐怖心のあまり、家に居られなくて、夜は椰子の木の上に上り体を縛り付けて寝ていた。ある日、強い雨が降り、木の上のほうが倒れ、男性は亡くなったそうです。
 災害が起きてから、多数の外国からジャーナリストが行っていますが、災害の取材ならいいのですが、こと人権に関わったものなら軍部は困るので、監視が厳しいそうです。独立派ゲリラの居る地域で人権で取材しているのが分ると、軍部が連れ去ると国家間の対立になるので、射殺し、ゲリラがしたことにする。これで犠牲になった外国のジャーナリストは2人。だから、志葉さんは、かなり慎重にしていたそうです。
 カンボジアのポルポトと同じ事をしているなと思いました。

 志葉さんが写したビデオと写真を見せてもらいました。
遺体をそのままにしておくのはかわいそうだと、地域の住民が回収作業をしています。腐敗が進み泥まみれになっています。誰かわからないので、そのまま土葬にしていました。半日で25体葬っているそうです。避難所側から、物資はここに置いて下さいと言われたので、毛布を400枚置いたら、200枚しか行き渡っていなかった、と言う例があるため、必要な人に直接渡さなければなりません。被災者に直接渡している日本人のNPO団体の活動の様子も分りました。

 残された人たちは、この津波は神がしたことだと理解しています。軍部によって弾圧され、辛い生活を強いられているので、神様が、もうこれ以上苦しまなくてもいいよ。こっちにおいでと、大きな津波を起こしたと、言っているという事です。

志葉 玲さんのサイト
http://homupage2.nifty.com/rei-repoet/
http://reishiva.exblog.jp/

被災者が語る「津波の脅威」
 バンダアチェの大学で講師をしているシャーリアルさんが、自身で写したビデオを上映しながら、説明をしてくれました。

 まず、津波1時間後の映像です。大きな道路を友人のバイクの後ろに乗って撮影したものです。日本の報道では、津波の被害を重点的に報道されていますが、地震の被害があります。10年前の阪神の地震に津波が押し寄せたような状況でした。地震は、横揺れとドンと下の落ちる揺れとがあったそうです。
 その1週間後の映像では、大きな通りでは、道路沿いと中央のグリーンベルトに沢山の人・・・。インドネシアでは地震があると逃げて、家から離れるように教えられているので、建物から離れた所に居るのです。途方にくれていると言う感じを受けました。
 ほとんどの橋が壊れているので、ドラム缶でいかだを組んで、川の端と端を渡したロープをたぐり寄せながら渡っていました。
 津波で何もかも無くなっている地域でも、モスクだけは残っていました。
 海に発電所があり、その大きな船が陸地にあります。これはそのままにしておいて、モニュメントとして使うそうです。
 報道されているテレビの映像より、もっと悲惨な状況でした。

アチェの子供たちは今/05年8月

3月にアチェにボランティアに行った留学生の報告会がありました。
目撃者の話によると、津波は15メートルある灯台の1.5~2倍の高さがあった。

アチェ州での被害状況。
☆死亡 18万人
☆非難 50万人
☆被害にあった住宅
  半壊 20%
  全壊 21%
☆被害にあった学校
  幼稚園 239園
  小学校 1137校
  中学校 263校
  高校 143校
  専門学校 143校
  イスラムの学校 248校
  大学 18校
☆孤児が住んでいるところ
  親戚
  親戚とキャンプ
  イスラム学校
☆子ども達が勉強している所
  テントの中
  普通の学校
  イスラムの学校

テントの中というのは、テント生活を送っている人たちの居る場所の外の広場で、子ども達が集まって、ボランティアの先生が教えています。イスラムの学校から普通の学校に通っている子もいる。イスラムの学校は定員が100人だが、今は300人いる。
7kの道を、行きはバスで、帰りは歩いて通っている子もいる。

水田には海の塩で使えない。降雨により塩が無くなる事を期待している。
村は泥沼になった。残骸の中から使えるものを探して、家を建てている人がいる。
政府が建てた仮設住宅、外国が建てた住宅、大小のテント。
復興はなかなか進んでいません。

アチェの平和への動き

アチェの和平の動きがあります。和平への骨子が出されました。
オランダ時代から何らかの形を取り自分たちは支配を受けないと戦い続けているアチェですが、インドネシアはアチェを一つの国家とは認めないようです。軍が動いているようですが、国会での調整が無いようです。

EUとASEANモニタリング・チームは、300人ほどになり、アチェで15カ所に配置され、流通チーム、武器解体チーム、復興のためのチーム、法的解決と政治参加に取り組むチームに分かれる予定。

自由アチェ運動(GAM)への恩赦が8月31日、刑法犯罪者以外の2503人の活動家のみを対象。

地方政党の設立の可能性は、この後の1年半で以内で国会で審議する。

2005年9月から12月までの3カ月半のあいだに、GAMの武器の徴収と破壊がおこなわれ、国軍と国家警察の増派部隊は撤退する。

読んでいて、これでいいのかな?って感じます。地方政党の設立ができない可能性だってあるし、GAMの武器の徴収と破壊がなされるけど、国軍と国家警察はアチェに残る事になり、拷問センターがそのまま残されるのであれば、どう考えても不公平だと思うんだけど・・・。
モニタリングチィームが1年間いる事から、今度こそ和平が来る様な気がするし・・・。

詳しくは、NIND JAのブログをご覧下さい。

アチェの子供たちにサッカーボールを送ろう

復興に100年はかかるのではないかと言われているアチェ。
TSUNAMI留学生帰国支援・北海道では、今までインドネシアからの留学生2人が一時帰国し、ボランティアをしながら、日本人が出したお金や物が直接必要な人に届くようにルートを作ってきました。
住む家が無い、学校が無い、仕事が無いアチェですが、子ども達が元気になっていくのを見た大人たちも元気になれるようにと、アチェのこどもたちにサッカーボールを送ろうと企画し、準備を進めています。
プロのサッカーチィームのコンサドーレ札幌が協力をしてくださり、サッカーボールを提供し、家に眠っているボールを寄付してくれるように試合前に呼びかけてくれたり、コンテナにつんで送るのは、協力してくれる企業が現れました。
マスコミに取り上げられて、市役所で記者会見を開いたり、広がりを見せています。

皮のサッカーボールは高価で憧れの的です。我が家にも眠っているボールがありますので、「夢は必ず実現する」と書いて、送ろうかと思います。

アチェの子供たちにサッカーボールを

「TSUNAMI留学生帰国支援」では、アチェのこどもたちにサッカーボールを送ろうと、プロジェクトを立ち上げました。

我が家にあるサッカーボール、息子が使っていたものですからボロボロです。
六角形の辺のところがすれているのです。
こんなになっちゃったものをプレゼントするなんて・・・、と思ったのですが、目的は夢とか希望ですから、ボールにメッセージを書く事にしました。
ま、ボロボロになった言い訳ですわ。

インドネシア語教室に行ったら、先生が日本語の達者な方だったので、教えてもらいました。「8年前、正和が15歳のときに、このボールを使って練習をして全国大会に行った」。こんな内容の文章です。

このボールを受け取った子、頑張れよ!!

ハラルのバイキング/05年11月

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北大の生協の食堂で、ハラルのバイキングがありました。
イスラムの人達は豚肉やアルコールは飲食しませんし、他の肉も正規の屠殺方法でなければ食べることは出来ません。だから、ラーメンだって食べられないのです。

そこで、生協では、学食のメニューにイスラムの人達が安心して食べられるハラルのお料理を出そうと、今回の企画になりました。
醤油味のハラルラーメンがありましたよ。管理栄養士さんが編み出したスープなんだって!
水炊き、から揚げ、ホタテの野菜炒め・・・
いろいろなお料理を食べました。

以前、食べ物アレルギーで、食事制限をしていた経験があるので、生協の取り組みは嬉しくなりました。

ハラルフードデー/07年7月

毎年開催されている北大生協の中央食堂での「Halal Food Day」。参加費大人500円、子供250円で、バイキングです。
ハラルのお料理とは、イスラムでは豚肉は食べないし、アルコールは飲まないことになっています。お醤油はアルコールの入っていないものを使わなければなりません。お肉もイスラム教徒がアラーの名を唱え頚動脈を切るなどの屠殺方法を用いた肉でなければ食べられません。これらの条件を満たした料理がハラルフードです。
一昨年の1回目は、イスラムの人たち、ラーメンを食べたことないと言うので、栄養士さんが醤油ラーメンを開発しました。
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毎年趣向を凝らしているようで、今年のテーマは「日本の夏をたのしもう」。
各国の郷土料理では、エジプトのババガヌーグ(つぶした焼きナスのサラダ)、レバノンのタヒーナ(ヨーグルトとゴマのソース)、イランのクク(ジャガイモ入り卵焼き)、インドネシアのサンバル(唐辛子ペーストソース)、クルプック・ウダン(えびせん)、インドのチャパティ(薄焼きパン)。
日本の料理では、冷やしそうめん、鶏のから揚げ、鶏つくね、鮭の焼き魚、かぼちゃの天婦羅、卵豆腐 等など。

遅く行ったから、各国の料理はあまりなかった。
それでも、こうやって食べていると、ハラルのお料理って普通だと思います。
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最後の方では、何人かの人にプレゼントがあり、盛り上がっていました。

料理教室/09年4月

インドネシア料理教室がありました。今日の午前中は、急用が入りましたので、作ったお料理を食べる所からの参加です。

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今日の献立は、Ayam Kucap(アヤムケチャップ)、Sawi Kuah(野菜スープ)、Kurupuk Udang(えびせん)、Tea Java(ジャワティー)、Pisang Goreng(あげバナナ)、Nasi Putih(ご飯)。肉と野菜スープはいつもよりも辛かった。

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後片付けが終わってからは、里親会の説明をスライドでしました。インドネシアでは学校に行けない子供たちが沢山居ます。奨学金を受けている子供たちの写真や手紙から、本当は学費全部をまかなうには足りない金額ですが、奨学金があるから学校に行って勉強できるのです。現在84人がヌサンタラ会からの奨学金を受けています。

スマトラ島のバタック地方の紹介です。2001年に初めてインドネシアに行った時にスマトラ島のトバ湖を見て感動したのを思い出しました。大型バスを貸し切り、50人で行きました。楽しかった思い出がよみがえってきます。

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ポコポコの踊りの練習する前の準備たいそうです。田植えの時の踊り、収穫の踊りを紹介してくださいました。この踊りを指導してくださった方は、スラウエシ島のメナド出身です。メナドは海が綺麗で近くにダイビングスポットがあります。伝統的な家は屋根が船の形になっています。一度は行ってみたいところです。

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そこで、もう一度バタック地方の紹介をしたかたが、バタックの踊りをしました。バタックの踊りは、あまり動かないそうです。

インドネシアと関わって8年が経ちます。何かの形でずっと関わっていきたい国です。

ヌサンタラの新年会/09年1月

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日時;1月18日(日)14:00~21:00

場所:男女共同参画センター内料理実習室

毎年、忘年会か新年会を開いています。今年度は新年会。

Cimg2133 インドネシア料理作りから始まりました。献立は、ソトアヤム、クルプック・ウダン、小さな緑色の豆で作った、お汁粉みたいなスイーツ、ミルクティー、ご飯。春雨を茹でて、茹でた鶏肉を素揚げして裂き、キャベツともやし、卵を茹で、ねぎを切って・・・、具を一つづつ調理していきます。鶏肉の茹で汁に味付けをします。

Cimg2136売っているソトアヤムのペースト、レモンを適当な大きさに切って種を取ったもの、レモングラス、名前を何回聞いても忘れるインドネシアのしょうがを入れます。お家で作るときは、日本のしょうがは使わない方がいいみたい。

お皿に具を入れてからスープを注ぎ、好みでケチャップマニスを入れます。

Cimg2138 クルプック・ウダン、カップの中身はお汁粉です。

このクルプック・ウダンは初めて食べます。2種類とも硬かった。

新年会には留学生たちは家族と一緒に来ますから、赤ちゃんから大人まで、沢山の人が集まります。

とってもにぎやか。この子はこの人と一緒に食事をしているから親子だと思ったら、今度は別の大人と一緒にいて・・・なので、親子関係が分らないです。

食事が終わって後片付けを済ませてから、次のプログラムに進みます。

Cimg2145 今年度のヌサンタラの代表のアリさんは、昨年結婚しました。その報告とお祝い贈呈です。アリさんはイスラム教なので、イスラム式の結婚式を、スライドを上映しながら説明してくださるのですが・・・

奥さんの写真の所では、飛ばしました。会場からは耳をつんざく大ブーイング!!

日本語教室で知り合った奥さんは、とびっきりの美人。4月に日本に来る予定だというので、次回のお料理教室ではお目にかかれるかもしれません。

Cimg2148 留学生と日本人とのグループ「アンクルン札幌」の演奏。今日は3曲披露しました。昨年は、小樽の和太鼓のグループと競演をしました。3曲目は、日本とインドネシア交流の象徴のような曲「ブンガワンソロ」。

Cimg2154 最後はビンゴ。景品はみんなで持ち寄りです。沢山集まりましたので、終了後は、「お好きなのをどうぞ・・・」

可愛いお弁当箱を二つ持って、どちらにしようか迷っている女の子。孫に上げるわとディズニーのカレンダーをもらった女性。私はインドネシアの飴「Kopiko」。

6時間は結構長いようで、終わるとあっという間です。

料理教室08年3月

ボトック・アヤム

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材料(8人分):鶏肉(胸) 1kg、レモン 適量、グリーンチリ 6本、

サラムリーフ 6枚、レモングラス 1本、ココナッツスライス 50g、

水 100ml、アルミホイル

調味料:エシャロット 8個、にんにく 3かけ、コリアンダー 小さじ2

胡椒 小さじ1、カンダルナッツ 3個、ターメリック 小さじ半分

砂糖 小さじ1、塩 小さじ2.5

作り方

    鶏肉をレモンとあえて15分くらい置く。

    水で鶏肉を洗い、水分を切る。

    調味料をミキサーにかけて、ココナッツスライスと一緒に鶏肉にあえる。

    ギリーンチリ、レモングラス、サラムリースを鶏肉の上に乗せアルミホイルで包む。

    45分蒸す。

サユル・ロデー

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材料(8人分):いんげん 200g、ヤングコーン 200

なす 3本、プタイ8個、ココナッツパウダー 50

油 適量、水1ℓ、

調味料:さくらえび 10g、エシャロット 5

にんにく 3かけ、チリパウダー 適量

ガランガル 指1本分、塩 適量

コリアンダー 小さじ1

作り方:

    調味料をミキサーにかけた後、香りが出るまで炒めて、サラムリーフと砕いたガランガルを入れて炒める。

    野菜を入れてしんなり(ちょっとやわらかい)するまで炒める。

    ココナッツパウダーを入れる。

コラック

材料(8人分)

バナナ 4本、かぼちゃ 4/1

ココナッツパウダー 50g 黒砂糖 100

バニラパウダー 2g、しょうが 2かけ

水 1.2ℓ&200ml

作り方:

    水を沸かして、つぶしたしょうがを入れる。

    沸騰したら、適当に切ったかぼちゃを入れる。

    かぼちゃがやわらかくなったら、ココナッツパウダーを200ミリリットルの水に溶かして入れる。

    黒砂糖を入れる。

    バナナを適当に切って入れて出来上がり。

この他に、プルク・ウダン(えびせん)とジャワティーがありました。

スマランの紹介

ジャワ島東側にある都市スマラン。スマランから来た留学生で心臓外科のお医者さんがスライドを使って説明してくださいました。

里親会報告

ヌサンタラ・インドネシア文化交流会では、インドネシアの子供達に奨学金を送っています。子供達はインドネシア全土に76人の内訳は、スマトラ島18人、ジャワ島44人、バリ島3人、カリマンタン島4人、スラウエシ島7人。

それに対して里親は36人と1企業です。

子どもたちは元気に学校に通っています。

スマトラ島のピリン舞踏

西スマトラの踊りをパダン出身の来たばかりの留学生が踊りました。この方、日本に来るのが決まってからインドネシアの文化を紹介したいために、練習してきました。その気持ちが嬉しいです。音楽に合わせてみている私達も手拍子をしました。

結婚式などのお祝いのときに踊ります。お祝いの席にお料理がたくさん出て、取り皿があります。その皿を使って踊ったのがピリン舞踏の始まりです。

1分半くらいですがご覧ください。↓

「CIMG1031.AVI」をダウンロード

料理教室07年9月

 毎年3月と9月に開催される、インドネシア料理教室。
主催はヌサンタラ・札幌インドネシア文化交流会。
会場は札幌駅北口向かいにあるエルプラザ4階の料理実習室。

毎回一つの調理台で10人分を作ります。私のグループは3人で、10人分作りました。
…と書くと、参加者が少ないように感じますが、25人+インドネシア人です。

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キキさんの司会で、ヌサンタラ会長のニョマンさんの始めの挨拶の後、作り方の説明。

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今日は材料が沢山あります。
メニューは、うずら卵炒め、ププル・スムスム(ココナッツミルク味でジャックフルーツが入ったデザート)、テクワンパレンバン(魚のすり身料理)、ビンタンアヤム(鶏肉の煮物)、ナシクニン(黄色いご飯)。

作り方(10人分)
☆うずら卵いため
①たまねぎ3~4個とにんにく4片をミキサーにかけたものを、香りが出るまで炒める。
②切ったトマト4~5個、軽く叩いたしょうが2センチ、茹でたうずらの卵25~30個を加えて、よく混ぜる。
③薄く輪切りにした人参2本と水50mlを入れて弱火でしばらく煮る。(人参に火が通るまで)
④砂糖小さじ1、胡椒小さじ1、塩適量を入れてよく混ぜる。
⑤きゃべつ、ブロッコリー、とうきび250g、お湯に浸しておいた舞茸一袋とエノキ一袋長ネギ1本、を柔らかくなるまで炒める。
⑥水で溶いたコーンスターチを入れて、すばやく混ぜる。

☆ププル・スムスム
①上新粉100g、塩大さじ2、ココナッツミルク250mlを良く混ぜる。
②鍋にココナッツミルク150ml粗く切ったバンダンリーフ2枚を沸騰するまで煮て、パンダンリーフを取る。
③②に①を混ぜて、急いで硬くなるまですばやく混ぜる。
④お皿やどんぶりに盛り、切ったジャックフルーツを混ぜる。
⑤②のパンダンリーフを上に飾る。
⑥ソースの作り方
水150ml、黒砂糖100g、砂糖50g、パンダンリーフ1枚を混ぜて、砂糖が溶けるまで煮る。砂糖が完全に溶けたら、火を止めて、こす。

ププル・スムスにソースをかけて食べます。

☆テクワンパレンバン
①テクワンを作ります。魚のすり身250g、片栗粉100g、塩少々を混ぜて、こねて、団子を作って沸騰したお湯に入れる。春雨100gは水で戻す。
②浮いたら、お湯から出して、水切りをする。
③にんにく5個をミキサーにかけて、香りが出るまで炒める。その後、えびを加えて火が通るまで炒める。
④水2リットルを別の鍋に入れ沸騰してきたら③を入れて塩、胡椒、酢を適量加える。
⑤しばらく煮てから、きのこ類と短冊切りにした大根300グラムを加え、ケチャップマニスを加える。
⑥大根が柔らかくなったら、味見をして、好みで塩、胡椒、砂糖を加える。
食べ方:茶碗にテクワン、はるさめ、刻んだセロリのは、揚げシャロットを入れ、温かい汁を加える。

☆ビンタン・アヤム
①にんにく4片、エシャロット8個(または玉ねぎ1個)、トマト1個、赤いパプリカ3個をミキサーにかける。
②レモングラス2本、しょうが3cm、ガランガル3cmを軽く叩く。
③水1リットルにスリンプ・ペーストとタマリンドを溶かす。
④鍋に骨付きの鶏肉1kg、サラムリーフ2枚、②、たて二つに切り種を取った青唐辛子、適当に切った長ネギ1本、スライスしたにんにく1片、塩適量、薄切りにした玉ねぎ1個を入れ、③を加えて弱火で煮る。
⑤砂糖、塩で味を整える。
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完成したうずらの卵炒めとビンダンアヤムです。

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ヌサンタラでは、インドネシアの子ども達に奨学金を送っています。
里親36名+1企業、里子73名。
壁には里子の写真が貼ってありました。
只今里親募集中!!

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インドネシアの楽器で竹で出来ているアンクルンの演奏です。インドネシア人と日本人のグループです。文化交流会や様々なイベントやお祭りなどで演奏されます。
今日は2曲。「となりのトトロ」を演奏しました。アンクルンは癒し系の音を出します。デジカメのビデオで撮ったのですが、聞くに堪えない音なので、アップしませんね。

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日本人2人によるジャワの踊りが披露されました。昨年から練習を始め、今年は2人での踊りに挑戦です。アンコールがかかりました。

料理教室の講師をした方の出身地、バレンバンの紹介をスライドを使って説明しました。

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最後は9月に帰っていく留学生のご夫婦にお別れの記念品の贈呈です。

3月開催の料理教室には参加できなかったので、久しぶりです。今日のお料理も美味しかったし、楽しかった。
異文化は好きなんだよね。
特にインドネシアは・・・

06年3月料理教室&里親説明会

インドネシア料理講習会
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 本日のメニューは、ロントン(ご飯を棒状にしてアルミに包み1時間ゆでる)、オーポールアヤム(鶏肉料理)、サンバルゴレン(えび、インゲンの煮物)、アシナン(サラダ)、クルプクウダン。

 4~5人づつのグループに分かれてから、講師による作り方の説明がありました。私はオーポールアヤムを担当しました。レシピを見ながら「えーーと、えーーと」です。レモンハーブとサラムハーブの区別が付かないんですから。それらしいものを適当に入れといたわ。作り方を見ながら作ったのに、なんか変な味。講師に来てもらって味見をしてもらうと、「塩と胡椒が入ってないんででない?」入れてなかった!塩と胡椒で味を調えて、出来上がり。美味しく出来ました。

 輪切りにしたロントンにオーポールアヤムとサンバルゴレンをかけて食べます。インドネシア風どんぶり物です。その上にクルプクウダンを乗せます。サラダは甘すっぱいピーナッツ味。
 隣で作ったものだよと、もって来てくれた人がいて味見をすると、私達の方が美味しいではありませんか!ヤッタね!!とひそかにガッツポーズ。だって、私たち、小母さんグループですもの、年季が入っているわ。若い人たちのグループには負けませんわ。
 その小母さんグループ、作るのに力尽きて、お腹いっぱいになったら、放心状態。腰に来るのよ。

 後片付けをして次のプログラムに入ります。

里親説明会

 ヌサンタラ札幌インドネシア文化交流会では、インドネシアの子供たちに奨学金を出しています。在日インドネシア留学生協会北海道支部代表(留学生)、ヌサンタラ札幌インドネシア文化交流会代表(留学生)、事務局(日本人)の挨拶に始まり、奨学金制度の説明がありました。

次は、竹で出来た民族楽器アンクルンの演奏です。3曲し、アンコール1曲をしました。アンクルンに触ってみたい人はどうやって音を出すか教えてもらっていました。
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インドネシアは信仰を持っていなければならないので、大多数を占めるイスラム、キリスト教、ヒンズー教の1年間のお祝いの日の説明がありました。

最後は、「TSUNSMI 留学生帰国支援・北海道」からのお知らせです。
スマトラ沖地震による津波での被災地から来ている留学生を一時帰国してボランティア活動をする費用を集めています。今まで全国で9人の留学生が一時帰国しました。日本はインドネシアに緊急援助金を出しましたが、使われていません。支援物資も役人が横領しているようです。このような現状を踏まえて、実際の援助活動と効果的に援助を生かすルートを作ったりしているのです。毎月集会を開いています。

沢山のプログラムを終え、予定より1時間近くオーバーして、4時に里親説明会は終わりました。

05年10月インドネシア料理教室

料理講習会
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9月3日に開かれました。
午前中は料理講習会がありました。1時間ほど遅れていったのと、留学生と話をしていたので、作る方の手伝いは大してしませんでした。ゴメンナサイ。
鶏肉に下味をつけてから串に刺して焼き、ピーナッツソースをつけて食べます。サテ(焼き鳥)が焼けるのに時間がかかり、グリルで焼いてからオーブンに入れて焼きました。ナシゴレン(炒めご飯)、サラダも美味しく作れて、いただきます!!
今回はレシピを失くしてしまい、お料理名と作り方は載せられなくなりました。残念!
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                   一人分を食べ切れなくて、まんべんなく残し、晩御飯用に持って帰った人、残った料理を持参したタッパにつめて持ち帰った男性。しっかり食べて、残ったピーナッツソースをラップに包んで持ち帰った私。食事後の色々な風景です。

里親説明会
午後からの里親説明会もお楽しみの一つ。だって、インドネシアの色々な話を聞けるのですもの。
帰国する留学生に記念品の贈呈があった後は、我らがスターのバリの踊りです。あまりの素晴らしさに記念撮影。
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ジャカルタに3年住んでいた人のお話の後は、スマトラ沖地震の報告。その後は、西スマトラの民族文化(ミナンカバウ)の紹介です。
世界最強の母系社会といわれているミナンカバウ。
西スマトラに400万人住んでいて、それ以外の地域に500万人がいますので、旅する民族といわれています。
住居は牛の形をした屋根が特徴です。
家には両親の部屋、祖父母の部屋、娘の部屋がありますが、息子の部屋はありません。息子はイスラムの学校に行っています。母系社会なので、財産は全部女の人のところに行きます。男の人はその財産を守り、増やすために働きます。だから、結婚するときに男の人に欲しいものはなんでもプレゼントします。妹が結婚しなければ、男の兄弟は妹の家を建てます。

男はつらいよ!!

2009.07.13

08年ジャカルタ

ダバオからマニラで乗り換えて、ジャカルタに飛びました。フィリピン航空を利用しました。ジャカルタ到着は夜中の12時。ジャカルタの空港はジャワ島一番の難関。飛行機から降りて、荷物を受け取って、ビザを払わなければなりません。円で支払ってルピアでお釣りです。間違っていないと思う・・・多分・・・。お金のやり取りは気をつけなければなりません。

ジャカルタで一番安全だと言われているブルーバードタクシーは営業が終わっています。そこでシルバーバードのタクシーを捜していると、寄って来る、寄って来る。

自分はシルバーバードのドライバーだと身分証明書のようなものを見せられますが、そこは全部「ノーサンキュー」。荷物から手を離してはいけません。タクシーに乗るときも、荷物をトランクに入れて、閉めるまで確認しなければ、毎日荷物のトラブルがあるそうです。

そんなんでシルバーバードのタクシーに乗り、ホテルへ。両替はしまっていたのですが、

ビザのお釣りで、タクシー代と高速代金、ホテルでのチェックインのときに預ける、お金が賄えました。

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祖父のお店が有った所は、コタ駅よりも海側のカリ・ブサール通りです。川の両側に木が植えてあり、オランダ時代の古い建物が残っています。

この場所、いい所だわ。

デートスポットにちょうどいいよ。

だから、川を綺麗にしようよ。

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おじいちゃん一家が住んでいたクレコットです。

静かな住宅地です。

ジャカルタ・ジャパンクラブ(日本人会)にオランダ時代の日本人の写真集、日本時代に発行になった、マレー語と日本語で書かれた雑誌の復刻版があり、滞在中は、それに目を通すのが精一杯でした。

雑誌を読んでいると、心が動きます。特に終戦の年になってからは、これでもかと、インドネシア人に要求をします。でも、これは、日本人の側から見たもの。戦争をインドネシア人は、どう受け止めて、何を考えていたのかを書いた本は無いそうです。そういう本は出してはいけないんだって。

ジャパンクラブの隣にある日本食レストランを経営している方から、札幌の方にと、月刊誌「さらさ」のバックナンバーをいただきました。

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日本人学校に行っていました。とにかく大きい。

幼稚園から中学校まであります。

幼稚園の園長先生は札幌出身。校長先生と園長先生に案内していただきました。

子供達は、運動会のリレーの練習をしています。暑いからイヤだっていう子はいません。

教室の壁に、夏祭りで太鼓を叩いたときの絵が掲示されていました。園児が書いたものとは思えないくらい、のびのびとしていて、生命力を感じます。だって、太鼓を叩いているときの足が踏ん張っているんですもの。体験したことだから描けるんだって。

親子で作ったお神輿はとても綺麗でした。

どうしてこういう綺麗さが出るのかしら。

日本から運んできた畳の広い和室があります。子供達は手と足を洗ってから入ります。

たたみのヘリを踏まないようにと、先生たちは指導をしますから、子供達は日本文化を学びます。お茶会もしたって。

小学校と中学校は教頭先生が案内してくださいました。

小学校の低学年では、水族館に行ったときの絵が掲示されていました。インドネシアの魚は綺麗だから、絵も綺麗で、のびのびしています。

高学年になると習字があります。全員上手。作品からは落ち着いて物事に取り組んでいる姿勢を感じます。

日本の幼稚園や学校とは全然違います。敷地や教室の広さと、インドネシアの気候風土がそうしているのでしょうか。

母は、バタビヤ(現ジャカルタ)に居た時にこうして学んでいたのかと感じるものがあれば良いと思い訪問しましたが、子供達の作品を見ていると、心が満たされました。

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カトリック教会のカテドラルです。

ネオゴシック様式で、1901年に建設。

大きくて見上げてしまいました。

聖堂の中は、壁の上のほうはぐるっとステンドグラスです。告解室の窓にまでステンドグラス。心が表れるような感じです。

その向いにはインドネシアで一番大きなモスク。インドネシアらしいなと思いました。

ベールを持ってこなかったので、外側から見るだけ。現代的な建物です。そして、とにかくでかい。

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インマヌエル教会。

ギリシャのパルテノン神殿の影響。1939年に完成。

門に鍵がかかっていて、敷地内には入れませんでした。

ジャカルタの不思議が、独立記念塔のある公園に、ガンビル駅があることです。

公園にJRの駅があるのと同じですよ。

本当なのかどうか確かめに行ったら、地図に嘘はありませんでした。

線路は高架になっていて、駅は通り抜けが出来ます。公園側の駅前には空港行きのバス停があります。

本当に、公園ってなんだっけ。

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ホテルの隣にあるレストランに入って、ガドガドとソトアヤム、ライスを注文。こんなに多い量だとは知らず、ホント、おなかがはち切れそうになりました。

ジャパンクラブが入っているスカイラインビルからホテルまでは、歩ける距離です。

夜は、歩道に沢山の屋台が出ています。お客さん相手に、バンドが演奏していました。

撮ったはずの写真が、現像してみるとありません。

使い捨てカメラのフイルムが無くなっているのに気付かずに、パチパチ写していたんだわ。

重ね重ね、デジカメを壊したのが悔やまれます。

2009.07.12

08年スマラン

旅行のガイドブックに載っていないスマラン。

なるべく沢山の写真を載せます。

ホテルのあるペムダ通りは歩いて、他の所はタクシーで行きました。

<ペムダ通り>

五差路が交差する所にトゥグ・ムダ(Tugu Muda:青年の碑)が有ります。その向かいにあるのがラワン・セウ。トぅグ・ムダの周りには、ラワン・セウ、カテドラル、戦争の博物館他、見所があります。

青年の碑があるところからペムダ通りを歩いてみます。

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ラワン・セウ(Lawang Sewu

建物自体は、このままにしていたら朽ち果てそうです。

昔は正面に鉄道が走っていました。

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ラワン・セウ内部。

素晴らしいステンドグラスがありました。階段は立派な石で作られています。

沢山の部屋がありますが、中はがらんとしています。

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ラワン・セウ内部から見たトゥグ・ムダ。

第二次世界大戦中、日本軍とスマランの青年が戦い、青年たちの活躍により日本軍は大きな犠牲を払いました。青年たちを讃えて建てられたものです。

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カテドラル(Semarang Cathedral)。

日曜日はミサがあるので開いています。土曜日は門に鍵がかかっていては入れませんでした。

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日曜日に行くと、敷地内では青年たちが饅頭を売っていました。肉とチョコレートがあり、肉のほうを買ってその日の昼食にしました。

ミサの流れは全世界共通なのですが、使っている曲がプロテスタントでよく歌うものだったので、カトリックとプロテスタントの中間のように感じました

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歩道を歩いていると、結構盛り上がっている所があるのです。何かと思ったら、木の根が這っているのが原因でした。

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とっても気になった所です。5時くらいになると、車が列を作って中に入っていきます。交通整理の警備員が出ています。

門から建物までは花や木の鉢植えとペットが売られていました。

大きなショッピングモールでした。3階にレストラン街になっています。

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狭い道路の両側には住宅が軒を連ねています。

夕方になると、お店では叔母さんたちが楽しそうにおしゃべりをしていたり、バトミントンを楽しんでいる親子がいました。ほのぼのとした所です。

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スマランの名物はルンピア(春巻き)。

リエン小母さんのこのお店が美味しいと言うので、3本買ってきましたが、始めの一本は美味しく食べられましたが、何せ味が濃いし大きい。3本はきつかった。タレ、ねぎ、ピクルス付です。タレ無しでいただきました。

もう少し歩いていくと、ショッピングモール、ファーストフード店、婦人服店等があり、その向こうには川があって、角に多分、コロニアル・バンクらしい建物が見えて、ペムダ通りは終わりです。

<チャイナタウン>

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大覚寺(Tay Kak Sie Temple

沢山の神様が祀ってあるそうです。

やっぱり、宗教だか独特の雰囲気があります。

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大覚寺の向かいにある川沿いに住宅が並んでいる所。

ここの並びの右側には、昔祖父が勤めていた潮谷洋行があった場所です。

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コンピンガール通り(Jl.Gang Pingir)。

あまり雰囲気が良くなかったので、通りの中まで行きませんでした。

<ゴンベル(Gombel)丘陵>Fh020007

お天気のいい日を見計らって、ゴンベルに行きました。ここからはスマラン市内が一望できます。海に停泊している船も見えます。

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レストランは貸し切りにになっていて、結婚式が終わった所だったようで、新郎新婦の写真を撮らせてもらいました。

ご結婚、おめでとうございます。

<グドゥンバトゥ(Gedong Batu Temple)>

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グドゥンバトゥの中から門を見たところです。

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奥の方からお経を上げているような音が聞こえてきます。

中国の鄭和の遠征のときに、鄭和がスマランに立ち寄った所から、鄭和が祭られているお寺です。鄭和はイスラム教徒だったそうです。

広々としていて、落ち着ける所です。

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お寺の裏には、スマランと中国との交流のようすが、壁画の彫刻になっています。中国語、英語、インドネシア語で解説が書かれています。

<港>

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港近くになると、道路が水浸しなんですから。タクシーはゆっくり進んでいきます。

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昔の写真から察すると、祖父はスマランの港に入り、祖父の叔父が仕事をしていたブロラに行き、スマランで仕事を始め、その後バタビヤ(現ジャカルタ)に行ったようです。

港を見ながら、感慨深いものがあります。

フェリーに荷物を高く積んだトラックが入っていくのですが、屋根に引っかかってなかなか入れません。入ったときは、歓声が上りました。

港は見事に男の人しかいませんでした。船に乗っているのも男の人ばかり。

それでも港は見ていて面白い所です。

初めて行ったスマラン。

海が近いせいか、吹く風が気持ちが良く、街自体が大きくもなく、小さくもなく、見所も有り、いい所だなと思いました。

2009.07.11

05年インドネシア旅行

「おいで」と言ってくださる方がいたので、遠慮なく「行く」と決まったインドネシア旅行。久しぶりのインドネシア。12月なので、札幌は冬ですが、向こうは常夏。この温度差に何を着て行こうか?結局、上にフリースを着ていくことにしました。オーバーよりは荷物にならなくていいでしょ。

首を悪くしてから体を冷やせなくなったので、インドネシアに行き温まって体調を整え、娘のお産扱いに備えよう。

今回はシンガポールを経由してメダンに入り、メダンからアチェに行き、また戻ってくるコースです。お土産を何にしようかと選ぶのも楽しみの一つ。

スマトラ沖地震があり、巨大津波が起きたとき、「TSUNAMI留学生帰国支援」の団体が立ち上がり、北海道支部が出来ました。この団体は、被災国から留学してきている人たちに一時帰国をしてもらい、ボランティアをしてもらうための交通費を集めている所です。北海道支部では、寄付金集めの他に、アチェの子ども達にサッカーボールを送って子ども達に元気になってもらおうと、ボールを集めていました。
息子は小学生から高校生までの10年間サッカーをしていました。中学では全国大会出場の常連校でした。中3のとき、父親が3ヶ月の闘病生活の後、癌で他界しました。入院中に息子はサッカーがとても上手になったと、サッカー部のお母さんが言っていました。2日間の葬儀の翌日、全国大会に行きました。対戦相手とせっても負けてはいなかったそうです。全国大会が終わってから崩れるのではないかと思ったが、崩れなかったと教頭先生は驚いていました。
そんな思いで深いサッカーボール。手放すかどうか悩みましたが、息子が言いといったので、アチェの子供に送ることにしました。
息子はサッカーに支えられてきた。今度はアチェの子ども達が元気になる番です。
このようなことがあり、アチェには思い入れがあるのです。
アチェってどんな所なのでしょう?

2009.07.10

シンガポール

往路
12月4日
千歳発8:00⇒関空着10:10(JAL)
関空発12:50⇒シンガポール着18:40(JAL)
12月5日
シンガポール発8:40⇒メダン着9:05(シルクエアー)

復路
12月13日
メダン発9:50⇒シンガポール着12:05(シルクエアー)
シンガポール発23:35⇒関空着14日6:40(JAL)
関空発11:10⇒千歳着13:00(JAL)

乗換えだけのシンガポールですが、結構楽しかった。
往路ではシンガポールのNEW PARK HOTELに1泊。このホテルの近くは、夜になるとインド系の男性が沢山集まる場所。夕食をとるのに街に繰り出しました。

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モスクがありました。

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本当にインド系の男性が沢山いて、女性は数人しか見かけませんでした。
近くのデパートに入ってみました。ベビー用品売り場では、生まれてくる子の物を買おうと考えちゃいましたが、持って帰れないから止めました。

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道路沿いに市場がありました。反対側にもあります。

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選んで入ったレストランでの食事。久しぶりの香辛料の料理。とっても満足。

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信号機の前にこんな可愛い物が…

帰りは乗り継ぎの時間が11時間もありました。乗り継ぎが5時間以上ある場合は、無料で市内観光をさせてもらえます。観光カウンターで申し込み、順番を待ちます。このカウンターには日本語が出来る人がいました。
空港から外に出なければ、入国手続きをしなくてもいいのです。無料の市内観光の場合も入国手続きをしていません。パスポートは係りの人に預けます。
バスで市内を回り、ミュージアムの所で降りて船に乗り、又バスに乗って空港に向かいます。
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バスの中から撮りました。

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ミュージアムの奥の川沿いから。ここのミュージアムでは夜になると野外でバイキングがあるようです。

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右手の方にある船着場から船に乗り、川の上流に向ってしばらく行き、ユーターンして海に出て、ここの船着場に戻ります。

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両方の川沿いには沢山のお店が並び、きっと夜になると賑わうのでしょうね。

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マーライオンを見ちゃいました。
得した感じ。

空港に戻っても、まだまだ時間は沢山あります。おなかを悪くしてるし、正直、疲れています。でも、そこはさすがチャンギ空港。すわり心地の良いソファーがあるではありませんか。しかも、足のマッサージ器が置いてあるのです。これはいい感じ・・・
空港内を探検してみました。
郵便局・スーパー・庭園・祈祷室はキリスト教、イスラム教がありました。
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空港の飾りつけはクリスマス。

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回転寿司がありました。ピリ辛系のもあった。緑茶は黒い筒の中に入っている粉です。ミソスープはインスタントの味がしました。

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セブンイレブンがあるなんて!!

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ここのバンドは上手でした。
ピアノとサックスの演奏もしていたのですが、サックスの人、全然練習しないで初見で演奏しているって感じでした。正直、聞きたくない・・・と言うわけで、通り過ぎ。

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出入国のところです。「各国のパスポート」ではなく、「各国9パスポート」だと思うのですが・・・

チャンギ空港は、飽きないですわ。

2009.07.09

メダン

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住宅地を歩いていると、イスラムの学校があり、ちょうど下校時間でした。

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猫ちゃんが…。うちの猫と顔つきが違うから、取っちゃいました。雨季なので、道路はグチョグチョでした。

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スマトラ大学の女子大生。二人とも奨学金を受けています。黒いベールをかぶっている人が私の里子。先生を目指して大学では英語を勉強しています。

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メダンにはそごうが入っているショッピングモール「サンプラザ」があります。上のほうの階にはスケートリンクがありました。氷から湯気が立っているんですから。ここではインストラクターがいるらしいです。

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地階に書店、スーパー、イベント会場等があり、お菓子の製造販売をしているお店がありました。ここで、以前メダンに来たときに出会った元奨学生に偶然会いました。このお店で働いています。アチェから戻って帰るときにもう一度寄り、お菓子を買って帰りました。

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ショウガ味のする焼き菓子です。札幌に帰ってから3日後、「ヌサンタラ☆札幌インドネシア文化交流会」主催で忘年会がありましたので、持って行きました。インドネシア人が喜んだ!!

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イスラム人口が80%以上のインドネシアでも、スーパーではクリスマスの飾り付けがしてありました。

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ここのスーパーの前の屋台でサテを食べながら、道路を眺めていると、やっぱりメダンは都会です。車の通行量が多い。

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このお店のサテは美味しかったから、皆で写真。

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メダンの街を歩いてみて、この雰囲気なら一人でホテルに泊まっても大丈夫だと感じたので、ホテルポロニャに2泊しました。生まれて初めての一人での宿泊。夜一人でいるのが寂しかった。
このホテル内に、シルクエアーの事務所があるので、リコンファームをしてきました。私でも出来るじゃない!チョット自信がつきました。

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ホテル近く。
警察官が沢山出ています。交通整理をしている模様。なにかあったのかな?

2009.07.08

05年アチェ

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アチェは厳格なイスラムの地域。たとえ観光客といえども女性はベールの着用は必要です。今まではベール着用が必要なときは、スカーフをかぶっていましたが、アチェでそれは通用しない。そこで、メダンでベールを借りました。

アチェの空港に泊めてもらえる家の人に迎えに来てもらい、行った場所がどこかのお家。お家の人が亡くなり、沢山人が集まっていました。昼食をご馳走になりすぐに家を出ました。

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泊めてもらったお家は、大学や専門学校が沢山ある学園都市の様なところ。3回目のインドネシアで始めて夕日を見ました。満足!!
一番綺麗だった所は、アチェで一番大きなモスクの夕日でした。モスクの白い壁と青い屋根と夕日。感動しました。写真に撮ると逆光になりモスクが黒くなるだけだと思い写真は撮りませんでした。

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家と道路の間にある側溝が緑色なので、コンクリートで固めてペンキを塗ったのだと思ったのですが、小指の爪の半分にも満たない小さな葉っぱだけの植物が一面にあるのです。

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近くに幼稚園がありました。
幼稚園は可愛いネ。

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空き地では高校生がクリケットをしていました。

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道路にフィニッシュと書いてありますから、向こう側にはスタートがあります。ここで学校の運動会をするんだって。

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下校時間。
ここの道路の両脇には商店街になっていて、洋服店でブラウスを一枚購入。お値段の交渉をしましたが、もっと値下げが出来た感じがします。買ったブラウスは新聞紙に包んでくれました!
上の写真の左側に行くと↓の写真です。

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白い柱のような所は、たぶん、以前は検問だったように思いました。
この写真の道路を手前に行くと、お店がありました。

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ここでは食事が出来るようです。

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果物店がありました。

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幹線道路です。中央に分離帯があり、夜になると4~5頭づつ輪になってかたまっている牛がビッシリ!!
アチェでは、夜になると、牛は中央分離帯に集まり、人間は屋台に集まるようです。

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街の中心部にある屋台。
広場の周りにお店があり、その中に客席があります。
本当に紛争は終わったのだと実感しました。
泊めてもらったおうちのご主人は、津波があって一番良かった事は、戦争が終わったことだと言っていました。
平和はいいねぇ。

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ここでの食事。本当はアチェはコーヒーが美味しいのですが、ここのは初めての味がしました。豆が古くなっていたのでしょう。

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訪問先のおうちで・・・
ここのご主人は研修で日本に行ったことがあるそうです。

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お祈りに女性たちが集まってきました。
イスラムでは人は死んでも生きている。亡くなった方たちのために祈るのに集まったそうです。

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お家の前の道路からの景色。
こういう景色にほっとします。

05年 アチェ/津波 

一年前に地震により巨大津波がおきました。15メートルある灯台の1.5倍から2倍くらいの高さがあったそうです。
津波報告会(05年3月)
津波直後にアチェに行ったジャーナリストの報告とちょうどこの日に札幌に来ていたアチェ人の報告。
津波報告会(05年6月)4ヵ月後にボランティアで行った留学生の報告。
アチェの子ども達は今(05年8月)アチェから留学している人が一時帰国したときの報告。

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海岸線が一キロ後退して、住宅地が海岸になりました。
ここに立っていると、地面から悲しみが伝わってきます。アチェの人たちの苦しみや悲しみが、全部土が吸い込んでいる感じがしました。

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住宅地の家が何も無くなり、道路だけが残っていました。この道路はメダンに行きます。

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海岸線に魚市場がありました。取れてすぐに店頭に並ぶので、ここの魚が一番新鮮なのだそうです。マグロは生で食べられますが、身が固いって。
魚をさばいている男性は、きっと、津波があっても、なくても、こうして魚をさばいて売っているのだなと思ったら、何があっても無くても、生きる為にすることは同じなんだと思いました。

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窪地が池になりました。

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かなり離れた所ですが、半壊です。

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住宅の建設が始まります。
05年までに2,000戸、16年には20,000戸の建設予定です。

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海にあった発電所が津波の上に乗り、住宅地に打ち上げられました。発電所の下にはつぶれた車がありました。床だけが残っている住居もありました。
この発電所は壊れていないので、使われていました。
ここで働いていた人たちも無事でした。

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テント生活を余儀なくされている被災者が沢山居ます。津波直後に世界各国から支援団体が来て、テント生活をしている人たちに、生活の様子や何が必要かを聞きました。被災者は何回も同じ話をしました。訴えれば今の生活から抜け出せると考ええたからです。でも、支援団体は、○○をすると約束をして帰りましたが、その後何もしませんでした。裏切られたと感じた被災者は怒りが強く、アチェの人でさえ入るとボコボコにされます。

そんな事情は聞いていましたが、その場の成り行きで、入っていきました。

テント生活がこんなんだとは思いませんでした。何て表現したらいいのか分りません。
ダメだ
テント生活はダメだ

帰ってから、被災3ヵ月後に行った人に話すと、「人の話を聞いたらもっとだよ」と言っていました。

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2009.07.07

05年シグリ村

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アチェから車で3時間ほど山に向って走った所にシグリ村があります。
車は村の入り口までしか入れません。
ここには集会場があり、皆が集まる場所に隣接してお店がありました。ここの屋根は木の葉っぱで出来た物です。

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ビー玉遊び。
日本のビー玉と同じ模様です。
ルールを教えてもらったのですが、良く分りませんでした。

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このバナナは蒸して食べるとサツマイモのような味がします。

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この猫ちゃんを見ていると、うちで留守番をしているリリーちゃんを思い出して、ホームシックになっちゃった。

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泊めてもらったお家も隣のお家も、高床式と地床式が半分づつある家です。
この写真は隣のうち。何せ道路が狭くて、泊めてもらった家の写真が撮れなかった。

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「入んなさい」とお呼ばれしたお家。遠慮なく入らせていただきました。
ここの家は御主人が自分で建てている家です。建設途中ですが、住んでいます。
こんなに立派なおうちを自分で建てているのですから、感心しました。
日曜日の朝は、テレビでドラえもんや日本のアニメが放映されていました。インドネシア語版のアニメも面白い。
これから一人で日本まで帰るといったら、すごっく心配されちゃいました。
いくら大丈夫だからといっても、納得してもらえませんでした。
それが普通の感覚だと思う。

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やっぱりここにも牛が堂々と歩いています。ですから気をつけて歩かないと、糞を踏んでしまします。要注意!

2009.07.06

02年 インドネシア旅行

お正月に親戚とインドネシア旅行の話が持ち上がりました。
8月16日~8月24日に決定。

膝が悪い祖母には車椅子を使うように薦めましたが、皆に迷惑かけるなどと言いますが、説得しました。昨年のインドネシア旅行のときは、祖母はとても行きたがっていたのですが、あきらめたので、今回はどうしても行かせてあげたいのです。札幌組4人、浜松組3人の7人で行きました。祖母と叔母と私と分担して準備。一番上と一番下の年齢差は83歳ですから、健康面が心配です。バリには、日本人の看護師さんが居る病院があるのですが、ジョブジャカルタには、日本語が必要なら、○○病院のドクター△△…という所まで調べました。

車椅子対応についても、一つ一つ確認。インドネシアの様子が分りませんので、航空会社に問い合わせました。ガルーダ・インドネシア空港を利用するので、日本オフィスに問い合わせ。℡:03-3240-6161
飛行機の乗り降りについては、どのゲートを使うかによる。予約時に車椅子のリクエストを。実際は、タラップを使って乗り降りをするときは、貨物用の出し入れ口からでした。
帰りは、ジョグジャカルタ⇒ジャカルタ⇒関空ですので、ジャカルタでの乗り継ぎの待ち時間でのトイレが心配です。空港のトイレに車椅子専用があるかどうか分りませんでしたので、日航に問い合わせましたが、分らないとのこと。ラウンジのトイレを使わせてもらえるかどうかは、ラウンジの受付で交渉してみてくださいという事でした。ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港は、車椅子専用のトイレがありました。
バリのホテルは、「ビンタンパリ」を予約し、日本語ガイドの人が、下見に行ってくださいました。ジョグジャカルタでは、旅行会社の方で色々調べてもらいましたが、日本では車椅子対応になっているかどうかが分らなくて、「ホテル サンティカ ジョグジャカルタ」はホテル内の写真を見る限りでは、多分大丈夫そうなので、ここに決めました。
実際は、ビンタンパリは、部屋からは車椅子で移動できるのですが、ホテルのレストラン前のスロープは急で、女3人でやっとでした。ジョグジャカルタでも、ホテル内のスロープは急でした。

車椅子の人が居ると、デンパサールの空港では、広い別室に通され、トイレも車椅子用に広かった。デンパサールとジャカルタでは、出入国の、あの長い列に並ばなくても良かったし、待遇が全然違っていました。
車椅子の旅行は最高!!

02年バリ/ウブドゥ

関空からデンパサールまでの、長い、長い、空の旅。
飛行機のトイレのドアについている禁煙マークを見て、保育園のテルは、「外に出てはいけません」だって。子供用の機内食には、あまり気乗りしない様子。
そろそろ飽きてくるかなと思ったら、前方の大きなスクリーンにディズニー映画「アイス・エイジ」が始まりました。

デンパサールの空港では、日本語ガイドの人と、先に行っていた浜松組が迎えに来て、まっすぐホテルへ。

ホテル ビンタンパリ
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経営者は日本人の鈴木さん。18日はホテルの設立記念日なので、採れたての魚を庭で焼いてお客さんと鈴木さんと皆で食べました。身がしまっていて美味しかった。
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ホテル前には水田が広がっています。田植えが終わったばかりなのでしょうか。
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ホテルで働いているお兄さんとこどもっちが一緒に竹とんぼで遊びました。

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コテージ式のホテルで、中央に食事をする場所があり、その前にプールがあります。
レストランでは、日本食も出しています。

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楽器がおいてあり、子ども達は練習です。

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子ども達はグスティーさんの取り合いです。

お呼ばれしたおうちで
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グスティーさんの水田にある椰子の木から実を取ってもらいお水を飲みました。

「おいで」と招待されましたので、遠慮なくお昼ご飯をご馳走になりました。
昨年は、口の中が焼けど状態で、美味しい物が美味しく食べられませんでしたので、この一年間、おうちで時々インドネシア料理を作って食べたかいがあり、おなか一杯食べました。
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家の奥の方には、昨年建設中だった、グスティーさんの部屋がまだ途中のままです。インドネシアではお金を借りると金利が高いので、資金が出来次第、その分ずつ建てていきます。

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洗剤で作った溶液にハイビスカスの葉を入れて混ぜると、丈夫なシャボンが出来ます。

独立記念日
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モンキーフォレスト通りの角にあるサッカー場で独立記念日の式典がしているので、行ってきました。長いオランダ時代の後に、日本時代がやってきました。短かったですが、日本時代がインドネシアの一番痛いときになりました。
母が、日本時代に発行されていた新聞の縮小版を買いました。インドネシア語と日本語でかかれていますが、終戦を迎える年になると、インドネシア語だけになっています。
小学校の教室に日本人の軍人さんが来て、生徒は軍人さんに頭を下げている写真や、防空演習の写真など、戦時中に日本でしていることと同じことをインドネシアでもしていました。
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プログラムが一段落した後のようです。サッカー場には沢山の人が集まっていました。グラウンドにはゴミが散らばっています。
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道路沿いにはバイクがずらっと止めてあります。運転しているお父さんの後ろに、子供一人と奥さん、前にも子供一人を乗せて走っている人が居ました。

踊りの練習

私たちが行く前に、浜松組は集会場で子ども達の踊りの練習を見に行ったのだそうです。そのときの踊りの先生とサッカー場で出会い、もう一度練習を見に行く事になりました。
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係りの子が授業料を受け取り、ノートに付けています。
カセットテープで音楽を流し、練習が始まりました。

この中から、将来のスターが生まれてくるのでしょうか。

モンキーフォレスト
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旅行のガイドブックに、お猿さんは帽子を狙ってくると書いてありましたから、急いでテルの帽子にゴムをつけましたが、お猿さんが狙っていたのは、お水の入ったペットボトルでした。
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係りの人がメロンをあげていました。

バードパーク
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インドネシア近辺に生息している鳥がいます。

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ジェゴグ
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ジェゴグは竹で出来ている楽器。大きな楽器から出る重低音は、おなかに響きます。
入場料が昨年より2倍になっているのに驚きました。物価が上っています。生活に必要な物はどうか聞いてみると、ガソリンは1.7倍。家を建てるときに使うコンクリートは、それ以上だそうです。

ガソリンスタンド
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バリではバイクが沢山走っています。ガソリンスタンドで給油を待つ列。

王宮のお祭り
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昼食時にレストランに入っていると、お祭りの行列。独立記念日でもお祭りをしています。

2009.07.05

ジョグジャカルタ・02年

ジョグジャカルタ特別州の州都です。第2次世界大戦が終わり、日本軍が撤退した後、再植民地化をもくろんだオランダが攻めてきて、独立戦争が始まりました(第1次インドシナ戦争)。この混乱期に一時期インドネシアの首都になり、大統領、副大統領がジャカルタから移ってきました。オランダ軍が大統領と副大統領を拉致し、インドネシア軍が威信をかけて奪還しました。

王宮
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王宮には今でもスルタンが住んでいて、居住部分以外は開放しています。
スルタンが使っていたものを展示してある所があり、8代目はスポーツや文化を愛し、日本時代の9代目は政治的な活動をしていました。現在は10代目のスルタンで、州知事をしています。知事は議員の選挙で選ばれます。

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王宮には2500人の人が王家に仕えています。庭掃除の係り、時計のねじを巻いたり、時間を合わせる係りと、担当が決まっていて、皆誇りを持って使えています。

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頑張って仕事をし、位が上がれば腰に短剣をさせるようになります。人の前を歩くときは、すり足で歩くのがしきたりになっているようです。

幹に花をつける珍しい木です。王宮にしか有りません。子ども達は、蟻の観察です。
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ボロブドゥール
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仏教遺跡で、世界遺産に指定されています。石を積み上げて作られているので、日中は暑いので、夕方近くになってから行きました。

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疲れたから、途中でお休みですわ。結局一番上まで行かなかった。

一ヶ月前、ある雑誌に、ボロブドゥールの向こう側に山があり、「ボロブドゥールのピラミッド」と、書いてありましたので、近くにピラミッドがあり、見に行けると喜んでいたのですが、ピラミッドに行く気配がありません。案内してくださっている方に雑誌の切抜きを見せて聞いてみると、「あ~、これ、ムラピ山。2ヶ月前噴火した」だって。
そんなぁ、楽しみにしていたのに・・・。エジプトに行かなくてもピラミッドが見れるはずだったのに・・・。「ボロブドゥールのピラミッド」ではなく「ボロブドゥールがピラミッド」のようです。
これなら、一番上まで行くんだった。

ガイドブックによると、象さんに乗れるはず。ボロブドゥールにいる日本語ガイドの人は、「象さんに乗りたいと言う日本人はいないから、2年前の料金しか知らない」。そこで、象さんの所に行くと、係りの人が帰ったので、乗れないとのこと。飼育係りの人が一頭連れてきてくれて、近くで見れました。危ないからと、餌を食べさせていました。こんなに間近に見たのは初めて。腰が引けました。
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その象さん、餌を食べながら、お耳パタパタ、尻尾フリフリ。

プランバナン遺跡
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ヒンズー寺院のプランバナン遺跡。中央にある3つの大きい物は、創造の神、保つ神、破壊の神が祭られています。

ラーマヤーヤ
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夜は、ライトアップされたプランバナンを背景にした野外劇場で、ラーマヤーナを観ました。ジャワ文化は洗練された美しさがあると思いました。
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終わると、お客さんが舞台の上に上り、出演者と記念写真を撮ります。

バティック工房

バティックは別名ジャワ更紗と呼ばれているろうけつ染めです。
日本にも伝わり、バティック模様の着物や帯、ショールがあります。

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手描きと型押しがあり、手描きの工程は、
1.白生地の上に鉛筆で模様を描く。
2.鉛筆で書いた模様を表と裏からロウ引きする。
3.細かい点々や線で詳しい模様をロウで両面に描き入れてゆく
4.出来上がった時白く残したい部分に両面からロウを塗る
5.第1回目の染色をする
6.今染色した部分を両面からロウで覆う
7.基本の色を染める
8.お湯の浸してロウを溶かし落す
9.点描きの部分と白く残したい部分に再びロウを塗り、最後の色と間ザ去らないようにする
10.モチーフの色を染色する
11.お湯ですべてのロウを布から落とし、仕上げる

型押しの工程

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1.布の表と裏両面に専用のスタンプを使ってロウでふち取りをする
2.細かい点描き模様のスタンプで布の両面にロウ置きする
3.最後まで白く残したい部分に再びスタンプでロウを置き厚くする
4.基本色を染める
5.次に染色したい部分のロウを取り除く
6.基本色の部分と点描き模様にロウを被せ、次の色と混合しないようにする
7.最後の染色をする
8.すべてのロウをお湯につけて落とし、仕上げをする

説明を書いてある紙の裏に、型押しをしてもらいました。
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お湯につけてから、乾かしている布が沢山乾かしてありました。

お店には沢山のバティックがあり、手描きの現代的な模様の大きな布を見せてもらいましたが、芸術作品は素晴らしい。ここで買った布の肌触りがいいのですから。

ワヤン・クリ
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皮で作った人形の影絵芝居です。一人で登場人物全員を演じます。せりふもです。
その後ろでは、演奏をしています。数人しか居なかったのですが、上演してくださいました。

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聞くと観るとでは大違い。
本当に感動しました。

2009.07.04

ジョグジャカルタ/じゃらんじゃらん02年

「じゃらん・じゃらん」はインドネシア語で、お散歩の意味。

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宿泊は、「ホテル サンティカ ジョグジャカルタ」。ここのホテルは、あまり日本人は利用しないそうですが、お値段が安くて、車椅子対応になっていそうなので、ここに決めたのです。日本語が出来る人がフロントにいますが、言葉はいまいちでした。ホテルの前に、ベチャが沢山待っていて、仕切っている人と値段と行き先の交渉をします。

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マリオポロ通りにあるショッピングモールに行きました。ここはナンパのメッカ。若い男女が手をつないで歩いています。女の人はベールをしていました。イスラムでは、年頃になると、女の人に触れる男性は夫だけのはずなのに・・・。

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独立記念日なので、国旗の色の赤と白で飾っています。
翌日、お土産を買いに行くのと、教会を見たいので、もう一度ベチャに乗りました。行き先を告げ、カトリックだと言うと前日よりも遠いのに、値段が安くなりました。

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マリオポロ通りのはずれにあるみやげ物店「ミロタ・バティック」の隣に、プロテスタントのマルゴ・ムルヨ教会があります。教会前はバイクの駐車場をしていました。門の前に机を出した受付があり、料金を払います。

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インドネシア独立の歴史が見られるベンテン博物館前にある3月1日記念碑。

聖フランシスコ・ザビエル教会
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聖堂内は掃除をしていました。「私カトリック」「韓国から来たの。」「日本から」「あ~」・・・というような会話をしました。かなり大きな教会です。奥の方に学校があるようです。

2009.07.03

インドネシア旅行01年

旅行期間:9月4日~9月11日

母のお供で行ってきました、ひかり始めての海外旅行です。母は何度かインドネシアに行っているリピーター。準備は任せて…と思ったのが大間違いな旅行になってしまいました。
行きの関空からトラブルの始まりです。それでも実りの多い旅行になりました。

祖父がジャカルタでお店を開いていて、そこに祖母が嫁いでいき、子ども達が生まれました。長女が母です。戦争が始まると日本に引き上げてきました。そういう事があるからでしょうか、初めてのインドネシアなのに、生まれ故郷に帰ったような、妙に懐かしい感じがしました。

帰りは羽田で台風のため欠航や遅れが出て空港内は大変混雑していました。座る場所がない。母を腰掛けられる所に座らせて、私は床の上に座り柱に寄りかかっていました。こういう時は靴を履いているのも辛くなるので、脱いでいました。
台風の時期はもう二度と行くものかと、強い決意をする。

家に帰って、もうふらふらです。夜テレビを入れると、なにやら旅客機がビルに飛び込んでいる映像が映し出されています。息子が、どのチャンネルもこればかりだといっている。
でも、私は疲れているから、もう寝ます。
翌日、同時多発テロだとわかる。いわゆる9.11です。
メダンで一緒になった人たちは、翌日帰ってきました。空港の警備がとても厳しくなっていたそうです。

レート:1円⇒Rp.75(空港)

2009.07.02

ウブドゥ/バリ

空港に着いたのが8時過ぎ。日本語ガイドのグスティーさんが迎えに来てくださっていました。この日は火曜日。ウブドゥでは夜になると毎日どこかでガムラン、ケチャ、ジェゴグなどをしています。毎週火曜日はウブドゥでも一番上手だといわれている所(Samara Ratib)がしているというので、空港からまっすぐ行きました。時間的にもう始まっていると思っていたのですが、まだでしたので、始めから見れました。
料金:Rp.25,000
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歓迎の踊りから始まり、お清めをしてから次が始まります。
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本当にこのグループは上手だった。

翌日は、ケチャも見てきました。でもね、前日が良かったから、チョットきつかった。
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<ホテル>
なにせ、人任せの旅行の準備。ホテルの名前が分らない。
車はここのホテルの前まで行けません。車を降りてから急な坂道を登り、門に着きます。到着したのが夜で、周りが分りませんでしたから、朝になるのが楽しみです。
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…でも…
朝の早くから…4時頃から、四方、六方、八方からと、聞こえてくるのが、鶏の鳴く声。
滞在中は毎日4時起きでした。
東屋のような所で朝食を取ります。
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朝晩は涼しくて、上に一枚着るものが必要でした。
眼下に水田が広がり、の~んびりとした雰囲気の所。
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向こう側に見える家は、オランダの人の家だそうです。

ホテル前の道。
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本当に急な坂なのですから。

ホテル内部
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トイレと浴槽の周りには、蟻の大群が…。

バリの王朝文化の住居
日本語ガイドの人の家に招かれて、昼食をご馳走になりました。香辛料を使ったお料理が、こんなに美味しいとは思いませんでした。でも、口の中がやけど状態。美味しい物を美味しく食べられなくて、残念でした。ホテルでの朝食にフルーツサラダが出るのですが、中に入っているパインがしみるのですから。

ここのお家は、バリの王朝文化の伝統的な建物のようです。住居の構成が、地域の構成と対応しています。
門から階段数段上がって行くと、魔よけのついたての様な物が立てられています。家族寺があり、家の中央にある、みんなの集まる場所から聖なる山アグン山の方向に家族寺があります。地形の関係でこの限りではないそうです。

みんなの集まる場所
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奥の半分は、亡くなった人を一時的に安置しておく所。

ここの向こう側に、台所、トイレ・マンディの部屋があります。
右側に、お父さんの台所、米をとぐ場所、井戸、洗濯場が並んでいます。

井戸
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お父さんの部屋
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部屋に入る階段の前左右には、生まれたこの胎盤を埋めて、その上に小石を置いています。左右に分かれているのは、男の子、女の子の別です。
お父さんの部屋の奥側隣りには、家族寺があります。

お部屋の一つが分かれて建てられています
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お寺で葬儀があり、お供え物を持っていくところです。正装しなければいけませんので、私達もバリの正装をして向かいました。

敷地の中に入るとすぐ受付があります。ここで引き出物のような、お菓子と飲み物が入っている紙でできた箱をもらいます。ここで日本人女性と出会いました。観光できていて、ガイドの人に案内してもらったのだそうです。
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ここは一ヶ月かかって飾り付けをしたのだそうです。

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見事な飾り付けです。

男性たちが集まって歓談をしてるばしょもありました。

お客さんは準備までです。葬儀には参加できません。
インドネシアでは葬儀には沢山のお金がかかりますので、お金のある家は亡くなった時に葬儀をしますが、そうでない家では、誰かが亡くなると一度お墓に埋めて、葬儀の日が来るとお墓から掘り起こします。お金が出来次第する家もありますが、9月は葬儀の月で、集落ごとにこの一年間なくなった方たちの葬儀をします。
車で走っていると、葬儀の列に出会いました。
火葬の時の行列です。
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火葬した後は遺骨とお供え物を産みに流しに行きます。参列者は白い服を着ます。

ウブドゥから車でしばらく走った所の市場です。市場前の階段で女性と女の子がお供え物を入れるかごを作っています。大きい物は男性も作りますが、お供え物つくりは女性の仕事です。ここの階段の手前にお供えものがあります。レストランの出入り口の前、テーブルの上、車の中、住居の出入り口の一つ一つ・・・。あちこちにお供えがして有ります。
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塩田
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バリの塩は、こくと甘みがあり、とても美味しいのです。
海水を砂浜にまいて、乾くと表面を集めて、写真の右側にある小屋で次の作業をします。
集めた塩を含んだ砂に水を入れて砂を取ります。釜の中に塩水をいて煮詰めます。煮詰めた塩水を、天日で乾かします。
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売ってほしいと言ったのですが、断られました。

モンキーフォレスト通り
旅行のガイドブックを読んでいて、行ってみたかったモンキーフォレスト通りに行きました。沢山の観光客が行き来しているのですが、お店は閑散としていました。
絵葉書を買おうとお店によりましたが、3枚で○ルピアだと言ったのですが、会計になってから、1枚の値段だといいます。話が違うじゃないと交渉したのですが、決裂のままに終わり、私が買えるときには、お店の人二人がけんかになっていました。

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チョット一休みをしたレストランです。奥に中庭があり、向こう側は住所になっていました。

2009.07.01

メダン

バリからジャカルタで乗換えをして、スマトラ島のメダンに行きました。
ジャカルタの乗換えで待っているとき、テレビからポピュラー音楽が放映されていました。現代曲に伝統的な楽器も使っているところは、チョットうらやましくなりました。

メダンの空港に到着すると、先にメダンに行っていた日本人と、泊めて頂くおうちの人が迎えに来てくださっていました。
メダンのお姉さんの顔を見てびっくり。近所の奥さんに瓜二つなのですから、どうして奥さん、ここに居るのと思いました。

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夕食です。私が始めての海外旅行だと考慮してくださり、香辛料を使わないお料理を出してくださいました。バリでは口の中が焼けど状態だったので、大変助かりました。
一匹丸ごと素揚げした魚は我が家では作れません。小松菜とほうれん草の間のような緑色の野菜を煮た料理は、美味しかった。

ここの家のお母さんが、日本語の歌を歌いました。なぜ知っているのかを考えると、しんみりしました。
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滞在中は踊りの先生が来て、教えていただきましたが、手だけ、ステップだけでしたら出来るのですが、その両方ですと合いません。先生の踊りと合っている人が誰一人としていませんでしたが、最後の方は何とか合ってきました。ギャラリーは大爆笑です。

紙風船で遊んだ、楽しい食後のひと時。
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札幌にはインドネシアの子ども達への奨学金のグループがあります。メダンにも奨学生がいて、皆集まりましたので、全員の近況を聞きました。
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・奨学金は出ているが、学校に行く為の交通費がなく、片道歩いているが、これ以上通えない。交通費を出してもらえないか。
・父親死亡。子供は叔母の所に預けられ、母親は働いている。
・父親死亡。朝、市場でハンガーとベルトを売り、その後学校へ。
・父親死亡。お母さんはお菓子を作って売っている。朝はお母さんのお菓子つくりを手伝ってから学校に行っている。
・卒論書くのにお金が無い。タイプを打ったり、印刷し、教授へのお礼が沢山かかる。
・国立スマトラ大学で日本語を勉強している。日本に行って働きたい。
・国立大学の薬学部。勉強が忙しく、夜遅くなることが有るので、大学に泊まる時もある。

来ていた子ども達の半数が母子家庭でした。厳しい状況の中で、どうしていくかの難しさを感じました。

小学校
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貧しい家庭の子供が行く私立小学校に行ってきました。先生たちはボランティアでしていて、他の学校で働いてお給料をもらっているそうです。机と椅子が20個足りないので、二人用の机を3人が使っていました。父兄が少しづつお金を出し合っているのだそうですが、何もかもが足りません。とりあえず、授業で先生が使うチョーク、三角定規、コンパス。子ども達にノート、ボールペン、サッカーボールを届けました。
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教室の前の空き地にヤギが居ましたので、一緒に写真を撮ろうと誘っているのですが、なかなかカメラの方を向いてくれません。

国立高校
生徒数約800 先生は75人くらい。
日本を紹介する授業をし、一番日本語が出来る方が担当しました。
生徒たちの目が輝いていて、意欲的で感動しました。中庭で体操をしているクラスがありましたが、だらだらしている子はいませんでした。校長先生は、子ども達は勉強をする気があるが、教育制度が整っていないと言っていました。

授業風景
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いつの間にか廊下も人だかりです。
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3人がかりで浴衣の着付けをされているモデルの子は、汗だくでした。
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後ろでは男の子が剣玉に興じています。

図書室
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本の数が足りないという事です

職員室
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小学校から小学校から高校までは、学校が足りない為2部制をとっています。日本の職員室とは様子が違うので驚きました。

下校風景
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タコスと呼ばれるミニバスが沢山走っています。タコスの屋根に乗っている子もいました。

トバ湖方面へ
日曜日には、大型バスを貸しきってインドネシア最大の湖、トバ湖方面に行きました。親戚の方たち、お友達がお友達を呼び、運転手さんのお子さんも居たりして、50人五度になりました。子供たちに日本からのお土産を配ったり、ワイワイ、ガヤガヤの車中です。

山の方いったいはプロテスタントの地域で、あちこちに教会が建っています。結婚式をしている教会も有りました。でも、周りには家が見当たりません。

後ろに乗っていた子が、車酔いをしたので、外の空気を吸うために立ち寄ったところが、ドカン村。入村料が必要です。

ドカン村の伝統的家屋
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8世帯30人が住んでいるこの家に入れてもらえました。壁で部屋を仕切っているのではなく、ワンルームのようになっていて、中央の通路を挟んで両側に背の低い家具で仕切ってあります。左右に二つづつでかまどが4つありました。その壁側にはカーテンで仕切られている、寝る場所があります。窓は小さく、中は薄暗いです。電線が通っているのですが、この家には電気がありませんので、夜はランプです。
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村の中を歩いていると、何処からか、とても上手な子ども達の歌声が聞こえてきますので、行ってみました。
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日曜日は小学校で賛美の練習をしているのだそうです。天使の歌声でした。どうしてこんなに声が綺麗なのでしょう。

トバ湖が見えます。トバ湖には行けないと思っていたので、感動しました。到着時は晴れていたのですが、すぐ雲がかかってきました。
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シピソピソの滝
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シピソピソの滝が見える東屋のような所でお弁当を食べました。紙にご飯とおかずを乗せて食べます。
食後は皆で遊び、楽しいひと時を過ごしました。
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ブラスタギ
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帰りは1時間ほど、ブラスタギに寄りました。
果物を沢山売っているお店で、果物の試食。とうもろこしを皮のまま茹でてあるのには驚きました。品種改良をする前って、こういう味だったのかなと思いました。

結婚式
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結婚式の列と出会いました。新郎新婦を先頭に、親戚の人たちではないかと思われる人たち、最後は鳴り物です。結婚式があるお家の向かいの空き地も使ってパーティーをするようです。

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