ウブドゥ/バリ
空港に着いたのが8時過ぎ。日本語ガイドのグスティーさんが迎えに来てくださっていました。この日は火曜日。ウブドゥでは夜になると毎日どこかでガムラン、ケチャ、ジェゴグなどをしています。毎週火曜日はウブドゥでも一番上手だといわれている所(Samara Ratib)がしているというので、空港からまっすぐ行きました。時間的にもう始まっていると思っていたのですが、まだでしたので、始めから見れました。
料金:Rp.25,000
歓迎の踊りから始まり、お清めをしてから次が始まります。
本当にこのグループは上手だった。
翌日は、ケチャも見てきました。でもね、前日が良かったから、チョットきつかった。
<ホテル>
なにせ、人任せの旅行の準備。ホテルの名前が分らない。
車はここのホテルの前まで行けません。車を降りてから急な坂道を登り、門に着きます。到着したのが夜で、周りが分りませんでしたから、朝になるのが楽しみです。
…でも…
朝の早くから…4時頃から、四方、六方、八方からと、聞こえてくるのが、鶏の鳴く声。
滞在中は毎日4時起きでした。
東屋のような所で朝食を取ります。
朝晩は涼しくて、上に一枚着るものが必要でした。
眼下に水田が広がり、の~んびりとした雰囲気の所。
向こう側に見える家は、オランダの人の家だそうです。
ホテル前の道。
本当に急な坂なのですから。
ホテル内部
トイレと浴槽の周りには、蟻の大群が…。
バリの王朝文化の住居
日本語ガイドの人の家に招かれて、昼食をご馳走になりました。香辛料を使ったお料理が、こんなに美味しいとは思いませんでした。でも、口の中がやけど状態。美味しい物を美味しく食べられなくて、残念でした。ホテルでの朝食にフルーツサラダが出るのですが、中に入っているパインがしみるのですから。
ここのお家は、バリの王朝文化の伝統的な建物のようです。住居の構成が、地域の構成と対応しています。
門から階段数段上がって行くと、魔よけのついたての様な物が立てられています。家族寺があり、家の中央にある、みんなの集まる場所から聖なる山アグン山の方向に家族寺があります。地形の関係でこの限りではないそうです。
みんなの集まる場所
奥の半分は、亡くなった人を一時的に安置しておく所。
ここの向こう側に、台所、トイレ・マンディの部屋があります。
右側に、お父さんの台所、米をとぐ場所、井戸、洗濯場が並んでいます。
井戸
お父さんの部屋
部屋に入る階段の前左右には、生まれたこの胎盤を埋めて、その上に小石を置いています。左右に分かれているのは、男の子、女の子の別です。
お父さんの部屋の奥側隣りには、家族寺があります。
お部屋の一つが分かれて建てられています
お寺で葬儀があり、お供え物を持っていくところです。正装しなければいけませんので、私達もバリの正装をして向かいました。
敷地の中に入るとすぐ受付があります。ここで引き出物のような、お菓子と飲み物が入っている紙でできた箱をもらいます。ここで日本人女性と出会いました。観光できていて、ガイドの人に案内してもらったのだそうです。
ここは一ヶ月かかって飾り付けをしたのだそうです。
見事な飾り付けです。
男性たちが集まって歓談をしてるばしょもありました。
お客さんは準備までです。葬儀には参加できません。
インドネシアでは葬儀には沢山のお金がかかりますので、お金のある家は亡くなった時に葬儀をしますが、そうでない家では、誰かが亡くなると一度お墓に埋めて、葬儀の日が来るとお墓から掘り起こします。お金が出来次第する家もありますが、9月は葬儀の月で、集落ごとにこの一年間なくなった方たちの葬儀をします。
車で走っていると、葬儀の列に出会いました。
火葬の時の行列です。
火葬した後は遺骨とお供え物を産みに流しに行きます。参列者は白い服を着ます。
ウブドゥから車でしばらく走った所の市場です。市場前の階段で女性と女の子がお供え物を入れるかごを作っています。大きい物は男性も作りますが、お供え物つくりは女性の仕事です。ここの階段の手前にお供えものがあります。レストランの出入り口の前、テーブルの上、車の中、住居の出入り口の一つ一つ・・・。あちこちにお供えがして有ります。
塩田
バリの塩は、こくと甘みがあり、とても美味しいのです。
海水を砂浜にまいて、乾くと表面を集めて、写真の右側にある小屋で次の作業をします。
集めた塩を含んだ砂に水を入れて砂を取ります。釜の中に塩水をいて煮詰めます。煮詰めた塩水を、天日で乾かします。
売ってほしいと言ったのですが、断られました。
モンキーフォレスト通り
旅行のガイドブックを読んでいて、行ってみたかったモンキーフォレスト通りに行きました。沢山の観光客が行き来しているのですが、お店は閑散としていました。
絵葉書を買おうとお店によりましたが、3枚で○ルピアだと言ったのですが、会計になってから、1枚の値段だといいます。話が違うじゃないと交渉したのですが、決裂のままに終わり、私が買えるときには、お店の人二人がけんかになっていました。
チョット一休みをしたレストランです。奥に中庭があり、向こう側は住所になっていました。
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