マニラ麻栽培と日本人移民⑪その後
太平洋戦争ではフィリピンは激戦地となった。日本人はフィリピン人に略奪や虐殺を行った。戦後、日本人は強制的に帰国させられ、家族が離れ離れになった。フィリピンに残った日本人1世、2世は、フィリピン人の日本人に対する恨みを一身に受けた。自分や親が日本人だと分かると命の危険があったので、身分が分かる物は何一つ残さず破棄した。そのために、現在「NPO法人フィリピン日系リーガルサポートセンター」では身元調査を行っているが、難航している。
日系人の戦後は終わっていない。
« ふんだりけったり | トップページ | マニラ麻栽培と日本人移民⑩麻栽培の終焉 »
「移民」カテゴリの記事
- 柏原ホテル(2010.03.18)
- 古川拓殖株式会社(2010.04.09)
- マニラ麻栽培と日本人移民⑪その後(2010.12.01)
- マニラ麻栽培と日本人移民⑩麻栽培の終焉(2010.12.01)
- マニラ麻栽培と日本人移民⑨対比摩擦(2010.12.02)
コメント