正雄ブロラへ
奥田正雄は明治38年4月3日に、父久松、母シエの次男として浦臼町に生まれました。
父久松は明治2年に生まれ、子供のころ父親を亡くしたため、父の兄弟に引き取られて、養父母と一緒に北海道 当別町に開拓に入りました。明治の終わりから大正にかけての地図に、久松の父、奥田長平の名前がありますので、久松は多分一人で浦臼に行ったと思われます。久松は三男でしたので、親から受け継ぐものがなかったのでしょう。
浦臼では、北海道を開拓する会社が大手2社のうちの一つである北越植民社に入りました。
そこで、北越植民社で働いていた人の娘、シエと結婚したのです。シエは明治7年に、父平塚甚六、母ミハの長女として生まれました。平塚甚六は福岡県築上町赤幡から、浦臼町に開拓に入りました。
シエの弟、一郎は明治41年、ジャワ島に行き、仕事を始めました。悦二郎はいつジャワに行ったか分かりませんが、明治41年以降だと思います。もしかしたら、一郎と一緒だったかもしれません。一郎、悦二郎は、ブロラで仕事をはじめました。ブロラは石油天然ガスが取れるところです。
そんな叔父たちを頼ったのでしょうか。奥田正雄もジャワ島に行きました。
北海道の開拓農民の田舎の息子が、背広を着て写真に写っています。叔父二人が支度を整えたのでしょう。写真の正雄は、まだ幼さが残っています。
上の左側の写真の右に立っているのが正雄、正雄の横の女の子は一郎の長女です。
右側の写真では、左側が正雄、右側が山内友澄氏です。山内氏とは一郎一家とも親しかったようです。写真をクリックすると大きくなります。

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