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2011.12.06

戦時中のダバオ新聞

フィリピン日系人リーガルサポートセンター」に行ってきました。

事務局長さんと少し話をしてきて、「ダバオ新聞」(昭和19年)を4時間半で読んで、必要な所を書き写してきました。もっと読んでいたかったのですが、時間切れです。

戦前2万人いた日本人は、戦争が始まっても引き上げずに、日本軍に協力をしました。その様子が分かります。軍用機を買うための献金をし、軍人の遺族や傷痍軍人の援護、生活支援などをする「ミンダナオ軍人援護会」が結成されていました。

日本時代は短かったですが、フィリピンの産業や農業などを壊滅に近い状態にしました。その為に、食料と衣服が不足し、マニラでは餓死者が出たほどです。
ダバオも食料不足はかなり深刻な様子がうかがえます。連載で「いかもの食いの話」の記事があり、昆虫、ミミズ、ネズミを食べるのを勧めています。

陸軍、海軍、日本大使館からの檄が飛びます。
「…アジアの解放と永遠に決する戦いである。…大東亜民族10億の結束…」
「日本人会を中核とし、完勝にまい進せよ。」

ジャカルタに行って戦時中に発行になった、マレー語と日本語で書かれた雑誌の復刻版を読んでいた時は、気持ちが動いて涙が出そうになったのですが、今回は、あまりの状況に感情さえも出てこないのです。

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フィリピン」カテゴリの記事

コメント

初めまして、 こんごともよろしく、

ダバオ在の夢太郎です。
ダバオの秘史に興味が有り、在ダバオ、計画中の邦人に知らせて
ダバオの良いところ、悪いところを知らせております。

お願いします。

夢太郎さん、
初めまして。
ブログを訪問してくださってありがとうございます。初めてミンダナオに行ったのが1994年。それ以来ミンダナオに興味を持ちました。ミンダナオに行くとホッとするから好きです。でも、3年以上行けていません。
よろしくお願いします。

[E:cloud」ダバオも此の2、3日肌寒いです、
前の夜雨が降り、翌日曇りですと本当に風邪ひきそうです。

肌寒いとき故郷の若かりし時の甘酸っぱい感傷が蘇りますね、

少々厚かましい(此の様にダバオで皆さん可愛いくの一さんから大事にされても)感傷が蘇る事は何か物足りなさ?

甘い麗人が一杯のダバオで師走を
感じ、故国を想い、震災を思い、産政官の癒着を考え、政治家の大変さも気にしてのダバオのとぼりが今日も。

来年は、直行便(大阪ーダバオ)の夢を見ましょう。

=ひかり=さん
ダバオの過去~未来のご心配と話題、今後も宜しくお願いします。

慰安婦と歓楽

ここのところ戦争ものが気になります。
新日系人会員1万5千人、大半が貧困、戦後のバブル戦争遺児5千以上、これも大半が貧困です。
運のいい方は(日本人男性の)今、貴族気取りでホワイトハウス
に住めますが、それも数千人です。
アシアの戦争遺児(中国除)も気になりますね。平時経済銃なき戦争、武器での戦争があれば必ず
犠牲になるのが子供です。

此の事の日本の政治、行政の心配りが欲しいですね、

その点米軍は(米国)は気配りが良いですね、 いろいろ教えてください。

(つぶやき)

戦争が終わり、日本人はアメリカにより強制的に帰国させられました。残されたフィリピン人とのダブルの子たちは、大変な生活を送っていました。身元が分からなくなったので調査をしています。
戦前の事はブログ「ここは僕らのふるさと」の日本人移民のカテゴリーに書きましたので、ご覧になってみてください。

ご無沙汰しております、
ダバオの秘史、その後の進展を教えてください、FACEBOOKが皆さんに解り易いので、乗せましょう。
よろしく。

夢太郎さん、
お久しぶりです。
その後の進展ですが、資料が思うように集まらないので、掲載できるだけのものがないのです。それで、アップできないのです。

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