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2012.01.21

思い出話し②昭和20年代後半

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北海道の開拓が始まり、今の豊平区福住に6軒が入植し、36軒になった時の人たちで「三六会(さんろくかい)」を作りました。神社、小学校、保育園、幼稚園、開拓記念館などの設立に尽力しました。じいちゃん、ばあちゃん達が苦労して開拓したところだからと土地を守っていきましたので、地下鉄の駅から徒歩10分の所に畑が広がっています。

開拓は、何もないところから始まりますので、畑仕事が終わって家に帰って最初に近くの川に水を汲みに行くことをします。不便ですので、住民が協力して西岡の水源地から水道を引きました。札幌市で水道を引く前のことです。今でも地中には当時の水道管が使われないまま残っています。ですから、私たちの親の代の人たちは、水の大切さを知っています。

夫の両親の本家は、それぞれ手広く農家をしていました。農地改革では土地を失ったほうです。母方の祖父はじゃがいもの改良では農協から表彰されました。福住小学校校歌の作詞は父方の親戚の人がしました。

夫が農家の長男として昭和26年に生まれました。赤ちゃんの時はカゴの中に入って、畑に置かれていたそうです。寒くななると藁で作ったゴザでかごの周りを囲って冷たい風から守ります。畑仕事をしていると、おしめは1日1回しか替えられなかったそうです。
冬になると家の隙間から雪が入ってきて、布団の上に積もっていたそうです。母は赤ちゃんの夫に毛糸で作った帽子をかぶせて寝かせていました。その毛糸は、羊の毛を刈って自分で紡いで糸をつくります。
何歳からかは分かりませんが、保育園に行っていました。保育園でのクリスマス会の写真は、昭和29年からあり、上の写真は31年のものです。小学校や中学校は近くにありませんでしたから、遠くまで歩いて通っていました。冬は吹雪になると馬そりで近所の子達と行っていたそうです。商店も近くにありませんから、歩いて30分以上の所まで買い物です。夏はアイスを買いに行って、融けないようにダッシュで帰ってきました。お腹が空いたら畑の大根や人参を取って食べていたそうです。近所でテレビが始めてきたのが、本家でしたので、皆で集まってみていたそうです。

夫が11歳の時に父親が交通事故で他界しました。母親は女手一つで子供3人を育て上げました。


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