思い出話し③ひいおばあちゃん
私が小学生の頃、曾祖母が祖父母の家に遊びにきました。とても照れくさかったのを覚えています。曾祖母は明治7年10月に福岡県築上町に生まれました。子供の頃、両親と一緒に開拓のために浦臼町に行きました。北海道には開拓の会社があり、大手2社のうちの北越植民社に入り農業をしていました。同じ北越植民社で近所に住んでいた曽祖父と結婚し、分かっているだけで9人の子供を設けました。
曽祖父も子供の頃、両親と一緒に石狩町に開拓に入りました。長男ではありませんでしたので親から受け継ぐものがなかったのでしょうか、一人で浦臼に行きました。当時は石狩川に汽船が就航していましたので、船に乗って行ったものと考えられます。浦臼町は面積が広く、後に月形町が分かれました。鑑別所の初代典獄(刑務所所長)月形潔が人望が熱い人でしたので、典獄の名前をとって「月形町」と命名されました。
戸籍謄本を見ると、曽祖父が石狩から浦臼に本籍を移動し、結婚届、次女の出生届けを数日間でしています。開拓が大変で届出は後になったのでしょう。
大正3年5月、6月、8月に子供が次々に亡くなりました。大正3年は大飢饉があり国の調査が入っています。浦臼に療養所が出来ましたので、飢饉か結核かもしれません。曽祖父母の悲しみを思うと切なくなります。
明治41年に曾祖母の弟二人がジャワ島に行き、ブロラでそれぞれ雑貨店、百貨店を経営しました。ブロラは石油が産出されます。二人のおじを頼り祖父もジャワ島に行き、仕事をしました。
世界恐慌があった昭和4年。翌年に曽祖父は月形町に開拓申請を出しています。この年から5年間は農作物の暴落でしたので、農家の収入は半分となり、「息の根を止める」事態となりました。無計画な開拓が原因ではないかと言われています。
曽祖父は昭和11年に亡くなりました。生涯を北海道開拓に費やした人生だと思います。
曾祖母は長生きをし、晩年は祖父母に引き取られ、昭和44年に亡くなりました。

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