思い出話し①台所
昭和32年、私が1歳の写真です(写真をクリックすると大きくなります)。壁はブロックを積み上げて作った6軒がつながっている市営住宅に住んでいました。この写真からは台所の様子がわかります。左側の写真では、台所付きの茶の間に両親と私が写っていて、後ろに台所があります。木の枠でできた流しにポンプがあります。右の写真には七輪が見えます。当時は床の上に七輪をおいて煮炊きをしていたのでしょう。すきま風が入るので、一酸化炭素中毒にならずに済んだのかもしれません。
煮炊きに七輪を使っていたあとには、燃料が灯油になり、芯を上げて火をつけて使っていました。芯が焦げて黒くなるとハサミで切っていきます。
敗戦後の混乱期が終わり、昭和30年は国民がゆとりを取り戻した年です。31年の流行語は「もはや戦後は終わった」で、その後は高度成長期に入り、台所に大きな変化がありました。
当時の流しは、木の枠か石をくりぬいて使っていました。排水口に気の破片が詰まったり、石のデコボコにゴミが付いたりしていましたので、暖かくなると腐ってにおいますので、台所は北向きにあるのです。
そこで、「暮しの手帖」の花森安治はステンレスの流しを開発しました。ステンレスは錆びないのですが高価です。大量生産して価格を抑えなければなりません。そこで、一枚のステンレスで、流し、調理台、ガス台をプレスして形を作り、台の上に乗せるようにしました。台の足で高さの調整をします。その改良型が今の流しです。
東芝で電気炊飯器を売り出したのもこの頃です。スイッチを入れれば自動的に炊き上がりますので、火の調整のために台所に張り付かなくても済むようになりました。
上水道が通ったので、ポンプが無くなり、蛇口をひねれば水が出てくるようになり、煮炊きの燃料はプロパンガスになりました。
この時期から、生活が大きく変化をしました。
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