タモガンの山(ダバオ)
戦争後半は、日本軍と在留邦人はタモガンの山逃げました。山には食べ物がなく、木の皮や、虫などを食べてしのいでいました。民間人の敵はフィリピンのゲリラだけでなく、自分たちを守ってくれるはずの日本軍もです。この山で2万人以上の日本人が亡くなりました。終戦になっても、その知らせが届かなかった人たちの中に、戦後にゲリラに襲われて亡くなった人がいます。
タモガンの山にスワワンという地名の場所があり、平和友好の碑が建立されました。建立の中心となった人の中に、戦前ダバオで木材商を営んでいた内田さんの息子さんとフィリピン日本ボランティア協会の綱代さんがいます。内田さんは葬儀会社を経営していますので、法事道具一式を持って行き、綱代さんはお寺さんなので、建立の記念式典では法事をしました。ここからダバオに行く途中にミンタルがあり、日本人墓地があります。日本人墓地の中にも、日本人の功績をたたえたり、なくなった方たちのための記念碑が建てられ、毎年8月に慰霊祭が行われています。その時にこの地でも慰霊祭を行う年があります。これらの事をしているのは、日系2世、3世が中心となって設立されたダバオ日系人会です。自分たちのルーツを大切にしています。
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