コミュニケーション
自己中心性が、一線を超えるとコミュニケーションが取れず、自己や他者のストレスになると感じた出来事がありました。
そこで思い出したのが、先日放送になったチンパンジーのテレビ番組。
この出来事は20年前にアメリカで起きました。
名前を覚えていませんので、チンバンジーをパンジー君、男性を院生さんと呼びますね。
霊長類センターは、チンパンジーと人間がコミュニケーションがどこまで出来るかの実験をすることにしました。そこで、生まれたばかりのパンジー君は生みの親から引き離されてて、大家族の家で育てられるようになりました。
人間の子供と同じように扱われて、コミュニケーション手段に手話を教えました。家族とは仲良く暮らしていましたが、手話を教えるのは研究のためなので、記録を細かく取らなければなりません。でも、その家のお母さんは、細かい記録を取るまで出来ませんでした。
そこで、霊長類センターは学生に交代でパンジー君を育てさせ、手話を教えるようにしました。ところが、手話でコミュニケーションを取っているビデオを見た教授は、あることに気付きました。学生が無意識にパンジー君にどんな答えをしてほしいかを手話でしてから、パンジー君に手話で話しかけていたのです。パンジー君と学生がコミュニケーションが取れているのではなくて、学生の手話をパンジー君が真似していただけだったのです。
このことが分かり、プロジェクトが解散され、パンジー君は霊長類センターの檻の中に入れられました。
ずっと人間と暮らしていてチンパンジー本来の姿を失ったパンジー君を見た院生さんは、毎日お散歩に連れて行き、一緒に遊びました。パンジー君のしたいことをさせました。
そうしていくうちに、パンジー君はチンパンジー本来の姿を取り戻していくようになり、院生さんに手話で「あそぼう」と意思を伝えました。手話を覚えていたのですね。
ところが、霊長類センターは資金難のために、パンジー君を新薬開発のための動物実験をする会社に売られていきました。院生さんはその会社やマスコミに働きかけ、パンジー君が実験に使われるのを止めることが出来、障害を持つなどで行き場所を亡くした動物を保護している施設に行くことが決まりました。
チンパンジーは群れで暮らしているから、パンジー君を一人にさせないでと施設に働きかけましたので、お友達がやってきました。そのチンパンジーは早くに死に、一人ぼっちになりました。
院生さんは、パンジー君に会いに行きました。10年ぶりでで、ガラス越しの再開です。
パンジー君は院生さんをじーっと見て、「あそぼう」と手話で言い、ガラス越しにいっしょに遊びました。
院生さんは、大学院を中退し、チンパンジーの保護施設を作っていましたので、パンジー君を受け入れることにしました。
院生さんのお気に入りの写真があります。パンジー君が院生さんの顔を爪でひっかき、血がにじんできたのを見て、「大丈夫?」と心配しているような表情で、院生さんの顔に手を当てている写真です。
人間とチンパンジーはコミュニケーションが取れるかどうかと、研究のために手話を教えているときにはコミュニケーションが取れませんでしたが、院生さんがパンジー君に寄り添った時にコミュニケーションが取れるようになったのです。
寄り添えたのは、研究をしていて、チンパンジー理解が深かったからでしょうね。
さぁ~てと、私も修業を積みましょ。
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