おためし しみさぽマルシェ
札幌駅北口向かいにあるエルプラザ内の料理実習室にて、インドネシア料理教室がありました。
主催は、ヌサンタラ札幌インドネシア文化交流会です。
午前10時から始まり、お料理の作り方を講師から実演と説明があった後に私たちが作ります。
作り方を書いたものは、今回は英語でしたので、「えーと、えーと」と読みながらです。
いつものなのですが、インドネシア料理は本当に手が込んでいるんです。作り終ったのは1時半でした。
一人分を食べたら、お腹がパンパン。後片付けをすれば少しはお腹がすくかと思ったのですが、そうではありませんでした。
その後は、ヌサンタラ~の紹介と、留学生によるインドネシアの紹介です。
最後は恒例の全員で記念写真を撮りました。参加者は40人。盛会でした。
下の写真は、作った料理です。
ヌサンタラ・札幌インドネシア文化交流会では、年2回、札幌駅北口向かいのエルプラザ内にある料理実習室にてインドネシア料理教室を開催しています。
料理教室での料理が一番インドネシアの味に近いので、参加しています。
いくつもの香辛料を合わせて作るインドネシア料理は手が込んでいます。
まず先に、講師のインドネシア人から作り方を実演して教えてもらってから、私たちも作ります。
作り終わったら疲れてしまい、「よっこらしょ」といすに座り込んでしまいました。
同じテーブルの人たちとおしゃべりをしながら食べるお料理はおいしい。
そして、初めて会った人とも会話が弾むのです。
食事が終わり、後片付けをしてからは、インドネシア文化紹介です。
今回はバリの踊りと発表です。
料理教室に参加をし始めてから10年くらいになります。
今回は参加して、今までの10年間のインドネシアとの関わりを振り返り、人との出会いの大切さを感じました。
インドネシア人と日本人が、日本人学校の体育館に集まり歌を歌いました。気持ちが一つになったと思いました。
インドネシア人の皆さん、日本への思いをありがとうございます。これからも日イ友好が深まりますように。
ジャカルタ郊外にある日本人学校には一度見学に行ったことがあります。
幼稚園から中学まであり、一クラスが少人数でした。
子供たちの絵は色がきれいで、こういう色は日本では出せないなと思いました。幼稚園児はお祭りの時の絵をかいていて、太鼓をたたく足が踏ん張っているんです。小学校低学年も、生きている躍動感があります。高学年の習字では落ち着いて物事に取り組んでいる様子が出ています。
幼稚園では外のグラウンドで運動会の練習をしていました。暑くてヤダッていう子は一人もいません。小学生は授業態度がとてもよく一生懸命勉強をしていました。
インドネシアの事を勉強する科目があり、インドネシア人教師が教えています。保健の先生もインドネシア人です。
廊下ですれ違う子は伸び伸びとしているなって思いました。
学校を見学して、インドネシアの気候風土や社会文化の上に日本人学校が有ると感じました。
シンガーソングライターの五輪真弓の海外初公演が香港でした。
日本のお客さんは静かに聞いていますが、香港のお客さんは足踏みをしたり、歓声が上がるコンサートでした。
五輪の歌が東アジア、東南アジアで人気があるのは、アジア人の源流があるからかもしれません。
インドネシアでは、アルバムの裏の裏の曲「心の友」がヒットしました。
インドネシア人が来日した時にCDを買い、この曲をラジオで流したのがきっかけとなり広がっていきました。
ある日本の新聞の特派員が、ジャカルタを歩いていると、街角から「心の友」の歌が聞こえてきます。一部を一緒に歌うと「いいぞー」と歓声が上がりました。
2004年にスマトラ沖地震があったときは、五輪はインドネシアが母国のような気がしたので、インドネシアの方向に向かって歌ったそうです。
そこで、五輪はインドネシア人と一緒に録音し、チャリティーCDを出しました。
インドネシア在住のアーティスト、日本在住のインドネシア人とレコーディングをし、彼らの歌は自然でしたので、インドネシアの歌になっていると五輪は語っています。
今年はインドネシアと日本の国交が樹立されて55周年にあたります。
インドネシアのテレビ局であるメトロTVが週1回日本紹介の番組を放映しています。その番組名が「KOKORO NO TOMO」です。若者の日イ交流の願いを込めて作られている番組ですので、このタイトルになりました。
「心の友」はインドネシア人が日本語の曲をそらで歌っているのです。
日本とインドネシアの交流がますます深まりますように。
いつもの通りのプログラムで、いつもと同じく楽しいひと時の料理教室が開催されました。午前中は料理を作り、できたら食べて、午後から留学生によるインドネシア文化の説明は、ジャワ文化です。インダンダンス、帰国する留学生の送別会、記念写真撮影と続きました。
写真はお料理の作り方の説明を受けているところです。
参加している日本人は、色々なことをしている人がいるので、話題に事欠きません。
北海道難病連の全道集会のパンフレットに挨拶文を出した人、この後宴会が二つあるんだって。声がかかるということは、仕事をしているという事なのです。
もったいなくて、物を捨てられない人は、有効利用のアイデアが素晴らしいです。
インドネシアで空港の建設に関わっている人は、空港や周りの都市づくりに関心があります。
そういえば、私たちの調理台に、インドネシア人は入らなかったわ。
日本人だと思って話していた人、もしかしたらインドネシア人かもしれない。名前が日本風じゃないもん。
毎回楽しみにしている、年2回ある料理講習会がありました。今回はスラウエシ島マナドのお料理、インダンダンス、インドネシアの子供たちへの奨学金を出している「里親会」の活動報告、帰国する留学生の送別、転勤で札幌を離れる日本人の送別などがありました。
インダンダンスは拍手喝采でアンコールがありましたが、実現ならず。
最後には恒例の写真撮影です。
留学生が帰国すると寂しくなります。今回帰国する人の中に、スマラン出身の方がいます。スマランは一度行って、好きになったところですので、スマラン情報を色々教えてくれました。
毎度のことですが、参加すると気持ちが緩んでノホーーンとしてしまいます。
日本人だと思っていた女性は実はインドネシア人でした。時々間違うのです。彼女は「日本語が下手なのに」と言っていました。
前日(4日)のじゃかるた新聞では、ジャカルタ・ジャパンクラブの顧問をしておられる石居さんの送別会があったと報道されていました。08年にジャカルタに行った時に石居さんのお世話になりました。始めてお目にかかり、人格者で立派な方だなと思いました。その石居さんが日本に帰るとのこと。ジャカルタの思い出がひとつ寂しくなりました。そんな気持ちになった翌日です。10年前ジャカルタで仕事をしていたと言う方に石居さんが帰国することを言ったら、インドネシア人相手に仕事をしていたので、日本人との付き合いはなかったそうです。
ブロックM地区のことも伺いました。日本人が夜、繰り出す所だそうです。札幌で言うと薄野のようなところだって。
今日のお料理の講師はマナド出身で、お料理がとても上手な女性です。今度、お料理教室のようなことをするからと、参加者の日本人数人の連絡先を聞いていました。名刺を持っていたので、名詞の裏にローマ字(英語?)で書いて渡しました。その名刺は、下4分の1くらいにバティックの布を張っているのです。模様違いの4種類をテーブルに並べて、見てもらいました。
彼女が着ていたバティックの服は、手触りがとてもいいです。私もバティックで作った割烹着を見せました。
次回は9月の予定です。
在日インドネシア留学生協会北海道支部の主催で「MALAM BUDAYA INDONESIA2010」(文化ナイト)が開催されました。2年ぶりの開催です。
日時:
9月18日(土)18:00~
場所:
エルプラザ3階ホール
留学生たちは、北大祭の出店、日帰りバス旅行、インドネシア語教室の講師、料理講習会の講師など、インドネシアと日本の交流を長年続けています。インドネシアと日本の友好がますます深まるように願いながら・・・。
解説は当日のパンフレットから引用しました。
<開会の挨拶と来賓の挨拶>
司会は留学生と日本人の二人でしました。東京のインドネシア大使館の方、北ガスの方がスピーチをしました。北大で留学生担当の先生も駆けつけてくださいました。
<パジドール・カホット踊り>
パジドール・カホットは2000年に作られた魅力的でダイナミックなダンスで、西ジャワで創作されました。古典的なスンダのダンスから生じ、その音楽と踊りはバリのダンスの影響を受けています。
<日本舞踏>
桜踊りと大阪雀踊りを披露しました。踊りの先生は50年続けているのだそうです。
<よさこい・ソーラン>
今年、インドネシア人が初めてよさこいソーラン祭りに参加しました。三石なるこ会で参加した三人のインドネシア女性と三石なるこ会の皆さんとソーラン踊りを披露します。「練習は6ヶ月間かかって長かったけど楽しかった。踊る機会を与えてくださった三石なるこ会に感謝しています」。
<バリ舞踏・歓迎の踊り&ジャラン・テジ>
歓迎の踊りは、伝統的な儀式舞踏の要素を入れて1990年に創られた歓迎の踊りです。本日来てくださったお客様に感謝の気持ちをこめて踊ります。
ジャラン・テジは早く駆ける馬と言う意味で、デヴィ・スカルテジが男性騎手に身をやつし、城から姿を消したパンジ王の消息を、巧みに馬に乗って追いかけながら旅し、機敏に動く様子をあらわしています。
<PPI(インドネシア留学生協会)北海道支部代表挨拶>
今年の代表者はハリさんです。文化ナイトの開催に当たり協力してくださった方々、来場の皆さんへの感謝の言葉と、インドネシアと日本の友好がますます深まるようにが、挨拶の中心でした。
<ディナー>
会場から離れた場所で作り、 運んできました。4階に移動します。
NASI KUNING(ナシ・クニン 黄色いご飯)
ターメリックとココナッツミルクで炊いたご飯です。インドネシア文化では、黄色は幸運、繁栄の象徴であり、そのために出産祝い、結婚式、記念パーティーなどのお祝い事でナシクニンがよく出されます。
AYAM BAKAR(アヤム・バカル インドネシア風グリルチキン)
インドネシア人のほとんどが大好物の料理です。脂がたっぷり羊の肉を使って、5種類ほど香辛料を利用し、ココナッツミルクに長い時間をかけて煮込みました。美味しくてたまらない一品です。
RENDANG(ルンダン 牛肉のスマトラ風ココナッツミルク煮)
ルンダンは、ココナッツミルク、香辛料と時々クリシック(焼きココナッツペースト)でゆっくり煮込む牛肉の料理です。水分がほとんどなくなるまでゆっくり煮込むことで、肉も柔らかくなります。水分が無くなってから加熱し続けたら、肉に含まれる脂分で肉が揚げられます。ルンダンには、ショウガ、ウコン、レモングラス、唐辛子などのスパイスが使われます。ルンダンは元々スマトラ島に住むミナンカバウ族の伝統料理であり、今はインドネシアの何処にでも食べられる料理です。
GADO-GADO(ガドガド ピーナッツドレッシングの野菜盛り合わせ)
ガドガドはインドネシアの伝統的な料理で、茹で野菜にピーナッツソースをたっぶりかけて食べます。
AMPARAN TATAK(アンパラン・タタック バナナのお菓子)
アンパラン・タタックはカリマンタン島にあるバンジャル地方の伝統お菓子です。バナナ、上新粉とココナッツミルクから作られます。プディングのような形をしています。甘くて、インドネシア独特の味をしているので、イスラム教徒の断食月ラマダンにはアンパラン・タタックはよく売られ、とても人気のあるお菓子です。
SALE PISANG KERING(サレ・ピサン 干しバナナ)
バナナをうすく切って、天干しして、小麦粉と卵のミックスで揚げたのがサレ・ピサンです。紅茶やコーヒーのおやつとしてよく出されます。
LUMPIA(ルンピア 揚げ春巻き)
中国料理が起源となり、中華系インドネシア人によって、インドネシア中に広まりました。ルンピアはとても人気があり、インドネシアのパーティーには必ずと言っていいほど出されます。
ES MUTIARA(エス・ムティアラ ココナッツミルクとタピオカドリンク)
タピオカとジェリーが入ったココナッツミルク飲み物です。暑い日にぴったりの冷たいドリンクです。
<アンクルン演奏>
アンクルンは西ジャワの伝統的な竹楽器です。二つの竹筒を振動して、音を出します。ハンドベルのようにひとつのアンクルンは、ひとつの音階しか出さないため、異なるサイズのアンクルンを組み合わせて曲を作ります。
<バリ舞踏 極楽鳥の求愛の踊り&蜜蜂の求愛の踊り>
極楽鳥の求愛の踊りは、バリ島の東側にあるパプアのジャングルに生息する、極楽鳥の求愛を描いた踊り。まずオスが、次いでメスが登場し、美しく大きな羽を使ってこいの駆け引きを繰り広げます。
蜜蜂の求愛の踊りは、1950年代、プリアンタン村の楽団のアメリカ公演のために創作された、バリ舞踏では珍しい男女ペアの踊り。天才舞踏家マリオの振り付けで、花から花へ飛び廻るメス蜂にオス蜂が求愛し、戯れながら仲むつまじくなっていく様子。
<ファッションショー>
インドネシアは1128民族があり、民族によって衣装が異なります。今回は5つの民族衣装を男女ペアで披露します。
<フィナーレ>
今回出場した全員が舞台に上がりました。歌を歌ってお別れを告げます。3時間ほどの文化ナイト。留学生の皆さん、お疲れ様でした。
<番外編>
終わったら恒例の写真撮影会。あちこちで写しあっています。
余韻を味わいながら、別れを惜しみながら・・・
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