大正・昭和初期の南洋航路(ジャワ島まで)
大正・昭和初期の南洋航路を調べています。調べ始めたばかりですので途中ですが、ブログを編集する都合上、アップします。資料が乏しいために情報量が少ないですが、分かったことがありましたら、その都度アップします。
大正期の南洋航路(定期航路)は、日本郵船、大阪商船、南洋郵船がジャワ島に行っています。このほかにもジャワ島に行っている船があるかもしれません。
○日本郵船
カルカッタ航路の延航として、大正7年4月に開設されました。船は横浜、名古屋、神戸、大阪、香港、バタビアに寄港して、日本から30日で到着します。大正11,12年ころは、神護丸、土佐丸、神盛丸の3隻のみの配船でした。客室は1等から3等までがあり、昭和5年の神戸からダバオ、メナド間の運賃は、1等208円2等136円、3等69円です。食事は、1等の朝食と夕食は和食で、昼食は洋食です、2等、3等は3食和食でした。
ジャワ航路はカルカッタ航路の延航として大正7年に開設され、横浜、名古屋、神戸、大阪、香港、バタビヤに寄港し、日本出発後約30日で到着になりましたが、昭和6年には配船が休止になりました。
○南洋郵船
1929年(昭和4年)には、神戸、スラバヤ間が就航していました。往路は、マカッサー、スラバヤ、サマラン、バタビア、神戸です。
○大阪商船
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