キリノ大統領の恩赦
1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾しました。ポツダム宣言はアメリカ、イギリス、中国が日本に対してのものなので、フィリピンとは9月5日に降伏調印式が行われ、多大な犠牲を払った戦争が終わりました。
戦争が終わってから戦犯裁判が始まりました。
反日感情が激しい中で、公平な裁判を行うように、フィリピン側は努力しました。
戦犯の弁護士を担当した弁護士の自宅が襲われることもありました。
1945年2月3日から始まったマニラ戦が、日本軍がアメリカ軍に相当される3月3日で終わり、解放されてから、マッカーサー将軍の軍事補佐官をしていたルロス・ロムロな、ジープでキリノ上院議員(のちの大統領)の私邸を通りかかりました。キリノの家族の死体は「奇妙な格好のまま、埋葬されることなく、散らかっていた。」と証言しています。
キリノは自宅まで行きましたが、自分の家族を埋葬することすらできませんでした。
この様な体験のあるキリノが大統領に就任し、最後の仕事が、戦犯の恩赦でした。
吉田首相はキリノ大統領に謝電を打ちました。
「閣下の崇高でキリスト教精神に基づく措置について日本の全国民は永遠に記憶に留めることでありましょう。」
キリノ元大統領の恩赦の記事が「マニラ新聞」に掲載されていましたので、リンクします。
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