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民族・言語

2016.02.29

第43回日本語スピーチコンテスト

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「まにら新聞」によると、2月27日、首都圏マンダルーヨン市のショッピングモールにて、国際交流基金マニラ日本文化センター主催の「第11回日本語フィエスタ」が開催されました。
午前中は、第43回日本語スピーチコンテストが行われ、学生、社会人、自由参加の3部門で、各地区の予選を勝ち抜いてきた11人が日本語でスピーチを行いました。
最優秀賞は、自由参加部門でミンダナオ国際大学生のプリンセス・メグ・ペレスさん、優秀賞は、学生部門で同じ大学のジョイス・パカルドさんが受賞しました。

ダバオにある、ミンダナオ国際大学は日系人会やフィリピン・日本ボランティア協会が関わっているのです。
今までの日本語教育の成果が表れているのが嬉しいです。

2015.12.22

タウスグ

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「イースタービレッジ便り」が届きました。
封筒に貼ってあった切手を見て、驚きました。
コレって、タウスグ民族の織物じゃないかしら?

タウスグってスールー諸島にいる民族で、宗教はイスラム教。
1900年前後の事を多少しか知りませんが、知識階級はタウスグ民族が占めていました。
だからでしょうか、1912年にムスリムリーダー60人の連名でオスマン帝国に宗教指導者を送って欲しいと出した請願書はタウスグ語で書いていたのかもしれません。

2011.04.19

フィリピンの歌姫 グレース・ノノ

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ミンダナオ島南アグサンで生まれたグレース・ノノは、1986年に歌手デビューしました。
はじめは欧米のポップスでしたが、自身の民族であるマノボ民族の音楽に惹かれ、30歳から民族音楽の収集を始めました。先住民族の歌の他に、シャーマンの歌も取り上げています。
現在では、グレースが発表するほとんどが民族音楽をベースに、現代的アレンジをしていて、高い評価を受けています。

グレース・ノノの歌は、大地から天に向かって歌っているような感じがしました。

著書「VOICE」が発行され、CDも発売されています。
CD「Dalit」はスペイン風です。

グレース・ノノが歌う「PADAYON」。
ぜひ、お聞きになってください。

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2009.11.11

クリンタンのCD

クリンタンは音楽と踊りとが一体となったもので、生活密着型です。

以前はフィリピン諸島全土にありましたが、スペインがキリスト教化を徹底的に進めていく過程の中で、スペインやメキシコ起源の音楽・舞踏を奨励し、土着の音楽と踊りを根絶しようとした為、強く抵抗したミンダナオのイスラムの民族とルソン島の山岳民族だけが残りました。当時のスペインは、カトリックを受け入れないのはスペインを受け入れないのと同じだと認識していた為です。

Cimg2571 そのクリンタンのCDが国立民族学博物館で購入できます。

演奏は「ミンダナオ クリンタン アンサンブル」。

このクループは、カリフォルニアで結成されました。ミンダナオ島出身のフィリピン系アメリカ人を中心としたグループです。1960年代にミンダナオ島からアメリカに移住した音楽家により紹介され、高い評価を受けました。

私、こういう音楽、好きです。

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2007.11.24

オーストロネシア語族とオセアニア大航路

フィリピン諸語はオーストロネシア語族。西はマダガスカル島から東はイースター島やハワイ諸島、北は台湾高砂族諸語、南はニュージーランドのマリオ語まで、世界一広い分布の言語です。オーストラリアの原住民諸語と、ニューギニアとその周辺の島々のパプア諸語は含まれません。

オーストロネシア諸語の先祖は、オーストロネシア祖語から発達しました。

紀元前4,0003,000年、中国揚子江流域から台湾に渡ったと考えられています。その後、台湾で広がり紀元前2,500年~1,500年位にフィリピンに渡りました。この時にフィリピンにネグリートと呼ばれている人々が住んでいましたが、言語はオーストロネシア語に同化され、今ではその区別をつけるのが非常に困難です。そして、フィリピンからインドネシア、マレー半島、東南アジア大陸部、東はイースター島、ハワイ諸島にまで広がっていきました(紀元後1,200年ころまで)。ボルネオやインドネシアからマダガスカルまでは、経路がまだ判明されていませんが、アフリカ東部に立ち寄った痕跡が残されています。

オーストロネシア語を話す人々が移動し、定住して、その地域の言語の影響に伴う変化を重ね、文化交流、環境の違いが言語ごと、地域ごとに新しい特徴が出てきました。

16世紀に始まる植民地時代には、英語、フランス語、ポルトガル語、スペイン語、日本語等、旧宗主国の言語の影響を受けるようになりました。

なぜこのようにオーストロネシア語が広がっていったのでしょうか。

それは、カヌーでの海の道が出来たからです。オセアニア大航路と呼んでいます。オセアニア大航路は、オーストロネシア語の分布にニューギニアとニュージーランドを合わせた広い範囲です。

大航海時代を迎えるはるか昔、今から2500年位前から、人々はカヌーに家畜や植物の種や物を乗せて、東南アジアから西はマダガスカル島、東はイースター島やハワイ諸島までの大航海をしていました。行った先で物々交換をし、時には嫁さんを連れて帰ったり、定住したり、もっと先に行ったりしていました。

オセアニアの豚はフィリピンから運ばれてきたというのが定説でしたが、最近のDNAでの研究により、インドネシアからだと判明しました。

植物の主要な経路は、西(東南アジア)から東(ハワイ諸島やイースター島)であるとわかりました。ハワイ諸島やイースター島くらいまで行くと、その種類は10種類未満と少なくなっています。地理的に孤立しているのと、育たなかったのが原因だと思われます。

200610月に開催されてた祐川神父さんの報告会に参加していた台湾の人が、神父さんに、そのフィリピンの言葉は台湾と同じだと言っていたそうです。それがなぜか分りました。

参考資料:

「海のアジア」2 モンスーン文化圏

 尾本恵市他編 岩波書店刊 2000

「言語学大辞典」第1

 亀井孝他編 三省堂刊 1988

「オセアニア 海の人類大移動」

 国立民族学博物館編 昭和堂刊 2007

「みんぱくe-news 77号」

 国立民族学博物館ホームページ編集事務局編 

2007.06.25

学校での罰金

以前、祐川神父さんから言語の説明を受けた事があるのですが、あまりの複雑さに分かりませんでした。ビレッジではセブアノ語を話すのですが、そのセブアノ語は4種類あるそうです。フィリピン政府は公用語政策に失敗しましたねと思いましたが、その後、多少なりとも調べてみると、古代からの歴史に理由があるように感じました。

ミンダナオ島の北部にあるブトゥアンの小学校では、学校でフィリピノ語と英語以外の言葉を使うと罰金1ペソだそうです。サギンエレメンタリースクールも同じようです。

フィリピンの言葉は、ハワイからアフリカ東のマダガスカル島までの広い範囲に分布しているオーストロネシア語族です。
 東南アジアのほとんどの国は、古代に民族ごとの王国を作りました。インドネシアなら、バリ島にはバリ人が住んでいてバリ語を話します。アチェ州にはアチェ人が住んでいてアチェ語を話します。地域の言葉は民族の言葉ですから、民族の言葉と国語のインドネシア語を覚えればいいのです。でも、フィリピンはホロ島を中心としたスールー王国とコタバトを中心としたマギンダナオ王国以外には王国を作らなかったのです。ですから、一つの民族であっても、いくつかの地域ごとのまとまりになります。これがフィリピンの言語を複雑にしています。
例えば、ビレッジにマノボ民族の兄弟がいます。マノボは大きく3つに分けて、北マノボ、中部マノボ、南マノボがあり、北マノボと南マノボはそれぞれ3つの言語があり、中部マノボは8つの言語と、マノボだけで細かく分けると14の言語があるようです。(世界民族言語事典MAP14)

スペイン時代では、言語をスペイン語にするのには積極的ではありませんでしたが、それぞれの言葉にスペイン語が入ってきました。アメリカ時代では、沢山の教師を派遣してフィリピンの言葉を英語化しました。

 1937年 ケソン大統領、タガログ語を国語として使用すると宣言しましたが、セブアノやイロカノは強い反発をしました。
 1959年 文部省は国語の名称をピリピノ語(Pilipino)に改めましたが、反発は和らぎませんでした。
 1973年 マルコス政権下の憲法で、フィリピノ語(Filipino)を英語と共に公用語にしました。フィリピノ語は国語としての法的根拠を失いました。
 1987年 アキノ政権下で、憲法制定。フィリピノ語と英語が公用語になり、地方では地方言語が補助的公用語に定められました。
 1991年 国民統合に向けてフィリピノ語の標準化、普及政策の立案、実行をするために、大統領府にフィリピノ語委員会が設置されました。

学校で、フィリピノ語と英語以外の言葉を使うと罰金を取られる背景が見えてきたように感じました。

<追加>
2012年にフィリピンを訪れた時は、既に罰金はなくなっていました。

<言語や民族についての参考図書>
「世界民族事典」弘文堂 2000年
「世界民族言語地図」 R.E.アシャー、クリストファー・モーズレイ編 東洋書林2000年
「世界の民族」第10巻 平凡社 1978年
「フィリピンの事典」 石井米雄監修 同朋舎出版 1992年
「フィリピン」暮らしがわかるアジア読本 宮本勝・寺田勇文編 明石書店 2001年
「フィリピンの歴史・文化・社会:単一にして多様な国家」 
デェイビット・J.スタインバーグ著 明石書店 2000年

2007.06.04

民族音楽クリンタン

フィリピンの民族音楽クリンタン。クリンタンは音楽と踊りが一体となったものです。スペイン時代以前から有りましたが、スペインがキリスト教化を進めていく過程の中で、土着の音楽や踊りを根絶しようとしました。そこを守り抜いたのが、ルソン島の山地民族と、ミンダナオのイスラム系民族です。今でもミンダナオのイスラム系民族のクリンタンには、音楽形態、表現方法、衣装にイスラムに対しての偏見が入って、スペインからの抑圧の跡なのだそうです。クリンタンはスペイン時代を生きぬいた文化の代表格。ですから、私はクリンタンはミンダナオの宝だと考えているのです。
そのクリンタンは国立民族学博物館のホームページから聞けます。

山地民族で宗教がカトリックの民族(ジェンサンの近くのビラアン民族)にもクリンタンがありました。イスラムの民族から最近伝わったもののようです。最近といっても10年20年前というものではありません。

1900年代の後半に、ミンダナオの人たちがアメリカに移住し、カリフォルニアを中心に音楽活動をして、高く評価されたのが、世界がクリンタンを知るきっかけになりました。

ディアス村のクリンタン
06年9月にミンダナオに行ったときに、イスラム系民族とビラアン民族のクリンタンを聞きました。イスラム系民族はジェネラルサントスの近くにある、トゥヤンバランガイのディアス村と、丁度ポロモロックで山地民族のビラアン民族のお祭りをしていましたので、2つのクリンタンを聞けました。みんぱくで聞けるのと、ディアス村と、ビラアン民族の音楽は、3つとも違います。
フィリピンの文化は、カトリック文化圏、イスラム文化圏、山地民族文化圏の3つがあります。
ディアス村には、マギンダナオ、スールー、サギン等複数の民族が住んでいます。村に到着したときは、音楽で出迎えてくださいました。旋律を担当するゴング、低音の大きなゴング。リズムを刻む打楽器は、バチは竹を細長く裂いたもので、太鼓の代わりはゴムで出来たようなバケツを横にしたものでした。なんでも楽器になるのです。
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音楽はとても早くて、目で追っていくのがやっとで、規則性などは分りませんでした。クリンタンを聞きたいと願い準備を始めてから1年半。素晴らしい民族音楽が聴けて感動しました。
昼食後に村の集会場に楽器を運んで、踊りを見せてくださいました。それぞれの民族の踊りです。
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ビラアン民族のクリンタン
 ジェネラルサントスの近くのポロモロックのバスターミナル近くの広場で、ビラアン民族のお祭りがありましたので、行ってきました。直前に日程の変更になった為に、メインイベントが見れるはずだったのですが、見れませんでした。沢山の高床式の小屋を建ててそれぞれでは、いろいろな物が売っていました。織物の説明をしているところにゴングがあり、その場にいた人たちが民族衣装に着替えて、演奏と踊りを披露してくださいました。
私がゴングだと言って喜んでいたら、ビラアンの人が「クリンタン」と言い直していました。
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Aの音を中心に隣の音3つで演奏⇒イ、ロ、ハの音を短く演奏⇒Bの音を中心に隣の音3つで演奏⇒全体の音を使って短く演奏⇒始めに戻る。
この繰り返しなので、単純なのですが、それがとても素晴らしいのです。

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弦が2本の弦楽器です。演奏している最中に弦が1本切れました。

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大きいゴング。低音を担当します。

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打楽器。ワニの形をしています。織物の模様にもワニがあります。昔ここら辺にワニが住んでいたそうです。上から棒でつつくようにしてリズムを刻みます。

 ミンダナオにあったゴングは、中央に突起が付いていて、ここを叩いて音を出します。ゴングは大別して2種類あり、この突起の付いている物と、付いていない物です。この2種類のゴングを使って演奏している所は、ベトナム、ラオス、カンボジアの山の方にいる民族だそうです。

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参考ホームページ&図書
「国立民族学博物館」HP
月刊「みんぱく」2006.10

2007.06.01

フィリピン青年から見た先住民族

ビレッジにマノボ民族の兄弟がいて、スタッフがM’lang地区に住んでいるビラアン民族の女性たちに刺繍の指導をして、出来上がった刺繍を日本の団体に送り、製品化し販売をする活動をしています。以前は奨学生の中にマンダヤ民族の女の子がいました。

ミンダナオの先住民族は素晴らしい文化を持っているのですが、沢山の問題を抱えています。とにかく貧しい。関わっている方の話をチョット聞いただけでも驚きます。「ビラーンの医療と自立を支える会(HANDS」のサイトに興味深い記事がありましたので紹介します。「フィリピン青年から見たプラクール」を御覧になってみてください。考えさせられます。