フィリピン諸語はオーストロネシア語族。西はマダガスカル島から東はイースター島やハワイ諸島、北は台湾高砂族諸語、南はニュージーランドのマリオ語まで、世界一広い分布の言語です。オーストラリアの原住民諸語と、ニューギニアとその周辺の島々のパプア諸語は含まれません。
オーストロネシア諸語の先祖は、オーストロネシア祖語から発達しました。
紀元前4,000~3,000年、中国揚子江流域から台湾に渡ったと考えられています。その後、台湾で広がり紀元前2,500年~1,500年位にフィリピンに渡りました。この時にフィリピンにネグリートと呼ばれている人々が住んでいましたが、言語はオーストロネシア語に同化され、今ではその区別をつけるのが非常に困難です。そして、フィリピンからインドネシア、マレー半島、東南アジア大陸部、東はイースター島、ハワイ諸島にまで広がっていきました(紀元後1,200年ころまで)。ボルネオやインドネシアからマダガスカルまでは、経路がまだ判明されていませんが、アフリカ東部に立ち寄った痕跡が残されています。
オーストロネシア語を話す人々が移動し、定住して、その地域の言語の影響に伴う変化を重ね、文化交流、環境の違いが言語ごと、地域ごとに新しい特徴が出てきました。
16世紀に始まる植民地時代には、英語、フランス語、ポルトガル語、スペイン語、日本語等、旧宗主国の言語の影響を受けるようになりました。
なぜこのようにオーストロネシア語が広がっていったのでしょうか。
それは、カヌーでの海の道が出来たからです。オセアニア大航路と呼んでいます。オセアニア大航路は、オーストロネシア語の分布にニューギニアとニュージーランドを合わせた広い範囲です。
大航海時代を迎えるはるか昔、今から2500年位前から、人々はカヌーに家畜や植物の種や物を乗せて、東南アジアから西はマダガスカル島、東はイースター島やハワイ諸島までの大航海をしていました。行った先で物々交換をし、時には嫁さんを連れて帰ったり、定住したり、もっと先に行ったりしていました。
オセアニアの豚はフィリピンから運ばれてきたというのが定説でしたが、最近のDNAでの研究により、インドネシアからだと判明しました。
植物の主要な経路は、西(東南アジア)から東(ハワイ諸島やイースター島)であるとわかりました。ハワイ諸島やイースター島くらいまで行くと、その種類は10種類未満と少なくなっています。地理的に孤立しているのと、育たなかったのが原因だと思われます。
2006年10月に開催されてた祐川神父さんの報告会に参加していた台湾の人が、神父さんに、そのフィリピンの言葉は台湾と同じだと言っていたそうです。それがなぜか分りました。
参考資料:
「海のアジア」2 モンスーン文化圏
尾本恵市他編 岩波書店刊 2000年
「言語学大辞典」第1巻
亀井孝他編 三省堂刊 1988年
「オセアニア 海の人類大移動」
国立民族学博物館編 昭和堂刊 2007年
「みんぱくe-news 77号」
国立民族学博物館ホームページ編集事務局編
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