マニラ麻栽培と日本人移民①はじめに
日本のスーパーではフィリピン産バナナが安く売られている。主な産地はミンダナオだ。ミンダナオには日本向け輸出用のバナナ農園がダバオ州の近くには多数あり、日米両国の資本が入っている。
2004年8月にミンダナオに行った時にバナナ農園を見学した。日本人が経営していて、週3回ヘリコプターでやって来ると、農園の人は言っていた。収穫したバナナはドールの名前が入っている箱に詰められ、出荷されていた。
ダバオ支庁舎近くには日本人街があった跡が今でも残り、「ダバオ開拓の父」と言われている太田恭三郎の記念碑の裏には日系人墓地がある。
明治政府は近代化を進めていったが、国民は貧しかった。食べていく為に海外に働きに出ていた。今は「移民」というと定住する事だと考えるが、当時は出稼ぎ感覚で来ていて、ある程度の蓄えが出来るとダバオを去っていく者が多かった。
太平洋戦争前、蘭領に8,000人の日本人が住んでいたと言われている時期に、フィリピンには3万人の日本人が住んでいて、そのうちの2万人がダバオ州に住んでいた。ダバオは日本人が開拓したものだと言われている。マニラ麻栽培を中心にして栄えていた。日本人は原始林を開墾し、身を粉にして働き、主にマニラ麻の栽培をしていた。
マニラ麻とはどういう植物なのか。『東南アジアを知る事典』の「マニラ麻」の項を引用する。
アバカ(abaca)とも呼ばれ、葉(葉鞘ようしょう)から繊維をとるために栽培されるバショウ科の多年草。原産地はフィリピンとされ、東南アジア熱帯で栽培される。草姿はバナナに酷似していて、高さ4メートルの葉鞘が巻き重なって狭長卵型で、長さ3.5m、幅50cmになる。果実はバナナに似て小型で、種子を有するが、増殖は主として吸芽(株から出た子苗)による。葉鞘から、強靭で弾力のある硬質繊維を取り、ロープや敷物に利用する。耐水性があり、比重が小さい為に、船舶用のロープに多く利用された。・・・マニラ麻には一定した収穫期が無いため、年間均等化した降雨量があり、台風の経路からも外れているダバオ州が敵地である。・・・
スペイン時代の末期の主な産地はビコール地方で、砂糖、タバコと共に主要輸出品だった。その栽培地がビコール地方からダバオ州に移った。
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