綱敷天満宮(福岡県築上町)
菅原道真が大宰府へ権帥として左遷され大宰府に行く途中、嵐のためにこの地に立ち寄りました。その時に住民が綱を巻いて敷物を作り、道真が座ったことから「綱敷」と名前が付きました。綱
敷天満宮では、年末年始は初詣客で賑わい、梅の名所としても知られています。
菅原 道真は平安時代の貴族で学者・政治家です。現在では学問の神様として知られています。
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菅原道真が大宰府へ権帥として左遷され大宰府に行く途中、嵐のためにこの地に立ち寄りました。その時に住民が綱を巻いて敷物を作り、道真が座ったことから「綱敷」と名前が付きました。綱
敷天満宮では、年末年始は初詣客で賑わい、梅の名所としても知られています。
菅原 道真は平安時代の貴族で学者・政治家です。現在では学問の神様として知られています。
700年間続いた弥生時代のすべての時期の遺構・遺物が発見された学術的にも価値の高い吉野ヶ里遺跡。
発掘しても完全な形で出土しているわけではありませんので、中国、朝鮮半島、東南アジアを見て回り、そこから推測して復元してあります。学芸員やボランティアスタッフがいますので、分からないことは質問すると答えてくれます。
弥生時代前期(紀元前5~2世紀)は、丘陵一帯にムラが点在し集落へ発展する兆しが出てきます。中期(紀元前2~紀元1世紀)になると丘陵の南側に外環豪が掘られ、墳丘墓や龜棺墓列がみられるようになり、後期(紀元1~3世紀)には環濠集落へと発展し、祭殿や物見櫓などの大型建築が登場します。
蚕を飼い絹糸をとって植物や貝で染色し、その糸で織物をし、組紐もありました。日本の民族衣装の着物の原型が弥生時代に始まるのですね。
実際に組みひもを体験しながら担当者に、共通点のあるインドネシアやフィリピンの織物と織り機の話をしました。参考になったようです。
全国にいる学生のフォローを目的として、放送大学の学長がSNSにグループを作りました。そこから、いくつかのグループができて、コメントのやり取りをしています。ディズニーシーのミラコスタでお食事会が有りましたので、参加しました。それまでコメントのやり取りをしていた方たちですから、初めて会っても「はじめまして」の挨拶が、気恥ずかしいように感じます。
交通費、宿泊費をかけて行くのですから、できるだけたくさんの人と会おうと、前日は2つのグループに参加しました。お互いに気心が知れていますので、会話が弾み、どれだけ楽しかったことか。
お食事会の前は、ディズニーシーで遊んで、リトルマーメイドのシアターに行きました。海の中の世界ですから、登場人物がワイヤーで吊るされて演技をします。感動しました。ミラコスタのレストランで食事をしていると、2時半からショーが始まるとのこと。お客さんはレストランのバルコニーに出て見られます。
台風が近づいてきていますので、お天気が良い今のうちだと、早めにシーを出てバスで空港に向かったのですが、だんだん雲行きが怪しくなってきます。5時半以降の出発便は全便欠航になっていました。搭乗手続きをするカウンターで、翌日の便に変更し、ホテルの一覧表をもらい、電話をして予約し、浜松町駅の近くのホテルに1泊することにしました。変更した便は、10分遅れで飛び、無事に帰宅。
ホテル代が余計にかかりましたが、楽しかったから良しとしましょう。
旅行に行くときに、スーツケースに荷物を詰め込むのって、こんな技がいるのですね。
これはまさしくプロの技。
12月に1泊2日の旅行に行く予定でいますので、参考になるような、ならないような…
頑張らねばと、気合を入れよう。
入退院を続いていたおばあちゃんが、電話の声が元気です。様子を見に行くと、本当に元気。浜松に行きたくて体調を整えているんだって。そこで急に浜松行きを決めました。
親戚は一様に驚いています。
「大丈夫?」
「行けるのかい?」
大丈夫ですから。ヘルパーさんの会社と相談しながら進めていってますから。出来る時にしておかないと後悔するでしょ。
一度は浜松行きを決めて航空券を買ったのですが、直前になって体調が悪くなりキャンセルした事があるので、今回はおばあちゃんの気合が入っています。1週間前には荷物の準備を全て整え、まだの私に、のんびりしているんだね・・・だって。私、そんなに遅いかな?
おばあちゃんの家から空港までは、ヘルパーさんにお願いして送ってもらい、空港で待ち合わせです。
飛行機の時間がちょうどお昼時ですので、空弁を買って搭乗です。
1,000円多く出すと、座席が広めのJクラスに乗れます。おばあちゃん、足が悪いから、こっちのほうがいいのです。
飛行機の窓から見れる富士山に、こんなに近くで富士山を見たのは初めてだと、喜んでいました。
空港は曇りでしたが、雲の上は青空が広がります。
「いいお天気だね。」
「雲の上ですから。」
中部国際空港が開港になる少し前の名古屋空港に到着です。おばあちゃんは車いすですから、出口まで職員の方が案内してくださいました。各航空会社の最終便が出てから、引越しが始まり、翌日の始発には中部から出発できるようにするんだって。
名古屋空港から新幹線に乗る駅まではタクシーを利用しました。名古屋は初めてなので、下の道を走ってもらいました。近くにイチローの実家があるよと運転手さんが言いますが、野球はあまり興味がないので、立ち寄りませんでした。
名古屋から新幹線で浜松まで。ホームでおばさんが出迎えてくれました。
ホテルでチェックインを済ませて、そのまま従兄弟の家に直行です。
従兄弟は共働きですから、二人の休みを合わせるのが大変なのに、夫婦で休みを取って、おばあちゃんを迎える準備をしていました。従兄弟の連れ合いのお母さんまで駆けつけてくださって、そりゃ~もう、和気あいあいの、親戚っていいなって思う時間を過ごせました。
車庫にあったバギー車です。私、この車、はじめて見ました。
タイヤが4つ付いているから、バイクではないので、ヘルメットをしなくてもいいんだって。
夕食はインドネシア料理店の「スラバヤ」で食事です。ここのお店は美味しいわ。
ウェーターで、ジャカルタ出身の人とおばあちゃんはインドネシア語でおしゃべりです。
お店の人は、帰りたくなってきたと言っていました。
インドネシアが命のおばあちゃんには、このお店が一番です。
夜、ホテルに戻り、布団に入ったおばあちゃん。叔母は幸せだと言っていました。
浜松でどんな生活をしているのか見たかったので、安心した事でしょう。
おばあちゃんのリクエストがあり、撮った写真です。
はままつフルーツパーク。平日だったから貸切状態でした。
温室には南国の果物がありました。
パインが生っている所を見るのは始めてです。
ここで育った、種無しマンゴーを売店で買ってきました。
ホテルの部屋で、早速試食です。
一口食べたおばあちゃん、「これ、あんた食べなさい」だって。
こんなに味のないマンゴーを食べたのは始めてです。
始めてづくしのフルーツパークでした。
叔母の運転する車で、一路浜名湖へ。
ここも、ほぼ、貸し切り状態。
湖畔には沢山のヨットが停泊しています。
数え歌で、
♪1本でも にんじん
2コでも さんしょう
3艘でも ヨット・・・
なぁんて歌がありましたが、沢山あっても 4ット。
遊覧船で湖内を一回りしました。
船の時間が来るまで待っててね。
乗船して、浜名湖一周です。
滞在日数には限りがあります。今日は大急ぎであちこち見る日です。
フラワーパークに行きました。やっぱりここも、限りなく貸し切り状態。
どこに行ってもお客さんが私達くらいなので、浜松大丈夫かと思っちゃいます。
12月ですから、すっかりクリスマスの飾り付けです。
バラのコーナーには、交通事故で亡くなった英国の皇太子妃の名前を取った、「ダイアナ」がありました。
このバラの名前は何だったか控えなかったのですが・・・。
叔母の家では、叔母手作りのサクサクのかき揚、ラーメンを食べ、おばあちゃんはお風呂に入ってゆっくりし、普段は出来ないお店の商品を見て回ったり、日にちが過ぎるのはあっという間。
帰りの新幹線は、車いす用の一部屋があるんですから。
ここに通されました。
名古屋では、味噌煮込みうどんを食べ、帰ってきました。
その2ヵ月半後、おばあちゃんは亡くなりました。
手術の時に、お医者さんから、あと2年と言われていた事は本当でした。
小樽水族館の海のパノラマ回遊水槽、オタリア(アシカ)とイルカのショー。
(5分30秒)
小さい頃から石が大好きなテルテル坊主。
入学前は道端の石を拾っていました。
小学生になってからは、パワーストーン、鉱物、化石に興味がわき、お小遣いで買い集めています。将来は化石を発掘する仕事をしたいと言っています。
沼田町化石館で、化石発掘体験が開催されていますので、申し込み開始日にネットで申し込みました。三笠市に「民宿アンモナイト」があるのを見つけて前日に宿泊の予約を入れ、
1泊2日の化石旅行に行きました。
<三笠市立博物館>
1階はアンモナイトなどの化石や恐竜の化石のレプリカが展示してあります。
地層や地球と生物の生い立ちの説明パネルもあり、勉強になります。
漣痕化石
石の表面に見える波状の模様は、浅い海の底に波によってできた堆積構造で、「波の化石」です。
化石コーナー入り口にある、大きなアンモナイト。三笠産では有りません。
<三笠鉄道記念館>
三笠鉄道村は二つのエリアに分かれていて、鉄道記念館とクロフォード公園があります。
北海道で最初の鉄道として1882年に開業、JRになり廃止となった幌内線を記念し、幌内駅跡地に作りました。北海道で使われていた鉄道車両があり、懐かしい思いがしました。
<クロフォード公園>
旧三笠駅の跨線橋とホーム、列車が保存されています。公園の名称は、北海道開拓使顧問として官営幌内鉄道建設を指導したアメリカ人技術者ジョセフ・ユリー・クロフォードにちなみ、公園の名前がつけられました。
<幾春別(いくしゅんべつ)地区>
幾春別駅跡地
幌内線の幾春別駅がありました。今は道路沿いには売店があり、その裏に記念碑があります。この周りには交番、消防署がありました。売店のアイスクリームは美味しかった。梅干も売っていました。
幾春別神社
道路沿いに白い大きな鳥居があり、幾春別神社の碑が有りました。長い階段を上っていくと境内です。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)、大国主神(おおくにぬしのかみ)、大山祇神(おおやまづみのかみ)、鹿屋野姫神(かやぬひめのかみ)が祀られています。
神明造の神殿です。
境内左側には赤い鳥居。
幾春別川
幾春別川に架かっている橋。ここにもアンモナイトが・・・
川の近くにある電柱にもアンモナイト。この道はアンモナイトロードです。
旧住友奔別炭鉱立鉱
北海道開拓史の調査によって、明治13年に発見され、明治35年に民間により開鉱されました。
この立鉱は昭和35年、深部開発を図る為に建設。弥生炭鉱は奔別炭鉱に統合されました。立鉱の高さは50.52mで規模、設備とも東洋一と言われ、ひとつの立鉱で人間、石炭、資材を平行して昇降させるこのシステムは国内初の試みでした。
昭和45年10月閉山。69年の歴史を閉じました。
<三笠市内>
この日に宿泊した「民宿アンモナイト」。宿泊費は大人1泊5,300円。子供4,000円。
お食事が美味しくて、経営している小母さんはとてもいい感じの人。手伝っている叔母さんの御主人が作った野菜が食卓に上ります。馬の腸で作った味噌味の煮込みが美味。三笠の炭鉱の人達は正月になると沢山作って食べていたそうです。
民宿の小母さんからテルテル坊主とアイチャンはアンモナイトの化石をもらいました。
1万円の費用がかかりますが、化石に詳しい人に案内してもらって、化石採取が出来るそうです。
民宿近くを歩いていると、さすが三笠、マンホールにアンモナイトの模様が・・・。
警備会社の看板は恐竜です。
<沼田町化石棺>
場所が、ほろしん温泉に移転されていました。
沼田町化石館では毎年化石発掘体験を開催しています。募集には沢山の人が応募し、今回は100人くらいの参加で、100人位お断りしたそうです。
朝8:45までに受付をして、説明を受けた後、皆でバス2台に乗って採取場所近くまで行きます。
午前中は採取をし、一端化石館にもどって昼食をとり、クリーニングとコーティングをします。
川での採取です。
雨が降った後なので川が増水し、いつもは水のない所まで川が流れています。
水に使っているところなので、地盤や化石が柔らかくなり、薄い化石はもろくなっています。
このあたりは、500万年前の地層で、この上200メートルまでが海でした。鯨の化石が発掘されています。アンモナイトは700万年前~一億年前の地層からで、もっと上流になりますが、一般人は行けません。
保護のために勝手に入って化石の採取は出来ません。
今回のテルテル坊主の収穫です。
右上は生痕化石です。生物が生きていた痕の化石です。生物が巣をつくり、巣穴の中に砂が入って化石になったものです。他の生痕化石には、糞の化石もあります。
テルは化石取りの名人の後をくっついていました。
名人の本当のお孫さんは中学生になって部活が始まってから来なくなったから、良いけど・・・と言っています。
テル「来年も来る」
名人「生きてたら会おうね」
・・・だって。
化石づくしの2日間は本当に楽しかった。
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今までは、家族や友人と一緒の旅行でしたから、一人で何処かに行く事がありませんでした。
一人で往復した、一番遠くは、札幌⇔小樽。
こんな私ですから、国内も一人で旅行した事がありません。
それがこのたび浜松まで一人で往復して来ました。
千歳⇒中部国際空港⇒(バスで)浜松。
自己記録を一気に塗り替えました。
たったこれだけの事ですが、自信がついちゃった。
一人は気兼ねなくていいわ。
浜松は親戚がいます。叔母の所に行ってきました。
おしゃべりをして、お土産を買って、美味しい物を食べて、満足。
叔父が「よう、しゃべるな」と言います。
それでもまだまだ、おしゃべりが出来ます。
おばの家の近くに、美味しいパン屋さんがありますので、娘の家にお土産です。
ご飯が美味しいからと、叔母の米びつから米3合をもらってきて、作ってくれたうなぎの卵とじが美味しかったので、うなぎを買い、帰りのお弁当におにぎりを3個作ってくれて、1個食べて美味しかったから、2個残して、帰ってから子供たちに上げて、生の桜海老をかき揚に入れると美味しかったので、桜海老を買い、かき揚を作って息子に食べさせて。
美味しい物を食べると、子供たちにも食べさせてあげたくて…。
今回はなかったけど、ホテルで一人で泊まるのは寂しくて。
次回からの課題です。
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