尾身茂『WHOをゆく』
5月14日から6月20日までの緊急事態宣言、諸々が滞っていますので、用事を足しに出かけました。
そのついでに、昼食は久しぶりの外食をし、巣ごもり用に本を2冊買ってきました。
その内の一冊が政府分科会の尾身会長のただ一冊の単書『WHOをゆく』医学書院、2011年です。
後半は心が震えました。
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5月14日から6月20日までの緊急事態宣言、諸々が滞っていますので、用事を足しに出かけました。
そのついでに、昼食は久しぶりの外食をし、巣ごもり用に本を2冊買ってきました。
その内の一冊が政府分科会の尾身会長のただ一冊の単書『WHOをゆく』医学書院、2011年です。
後半は心が震えました。
札幌駅東口ステラプレイスイースト5階にある三省堂札幌店で、「読んだらバズるヨンデル選書」シーズン2が開催中です。
病理医ヤンデルこと、札幌厚生病院病理診断科 主任部長の市原真先生が選んだ本のフェアです。
昨年に引き続き2回目の開催となります。
三省堂書店池袋本店でも開催中です。
こちらでは長く開催していますので何度か入れ替えがあります。
札幌店の方でも入れ替えがあるかもしれません。
本を選ぶ時のワクワク感が大好きです。
一冊一冊にカードが入っています。
ここにある本の7~8冊はすでに買って読みましたので、3冊を購入しました。
今月は、砂川市にあるいわた書店でもまとめ買いをしましたので、積読増やし作戦はこれでおしまいにして、これからは減らし作戦を決行します。
一昨年、難病連の全道集会が砂川市で行われた時、砂川さんのミニトマトがめちゃくちゃ美味しいのが分かりました。
そのミニトマトが販売されている時期に砂川市に行って、いわた書店で本を買おうと思っていたのですが。。。
SNSで一万円選書が届きましたの写真がアップされ、非常事態宣言中に書店員の「いわたま」さんが「いわたま選書」を始めたから、それが届きましたもアップされます。
それを見ていると行きたくて、行きたくて。。。
本を買うのを我慢するのが、非常事態宣言で自粛生活をしているよりもつらいのです。
我慢するのはやめて、本を買いに行ってきました。
「いわた書店」だー、と思うとワクワクしてきます。
平常心を失っています。
いつも本を選ぶときは、中を数ページ読んでいるのですが、そんな余裕がありませんでした。
買った11冊は中を見ないで買いました。
ジャケ買いもあるけど、一万円選書やいわたま選書に入っていたり、大好きな原田マハや葉室麟の本を買いました。
いわたまさんとも話が出来て本当にうれしかったです。
JAの新すながわ店で売っている、生産者が卸している野菜が美味しいと教えてもらい、買いに行きました。
本当に美味しかったわー。
JRで土日祝日限定の、フリーエリア内一日乗り放題の切符を利用したので、交通費が三分の2で済みました。
とーーってもお得感があります。
また行こう
(⋈◍>◡<◍)。✧♡
葉室麟『蛍草』双葉文庫、2015年
著者の葉室麟は、1951年北九州市小倉に生まれ、福岡市の地方紙記者を経て50歳で作家活動に入り時代小説を得意としていましたが、2017年12月に66歳で他界するまで単行本は50冊を超えていました。映画「散り椿」の原作者とは気づきませんでした。
表紙の絵は露草と主人公の奈々。帯の上から帯締めをしていると思いましたが、よく見ると前掛けの紐かもしれません。こういう落ち着いた色合いの表紙カバーもいいですね。表紙カバーを取ると、何を意味しているか分かりませんでしたが、人が寝そべって読書している図柄のようです。
蛍草とは露草の俳諧での呼び名です。
江戸時代の武家屋敷に奉公する女中の奈々が主人公のこの小説、読んでいて落ち着いた躍動感があります。露草が出てくる場面では、しんみりとし、主人公が味方の人たちの名前を間違うところでは笑えるし、息が止まるような緊張感もあり、ご主人と奥方、そのお子さんたちとの関わりは深いものがあります。奉公先の家族を守るため、自分の父親の無念を晴らすために懸命に生きた奈々は、最後に自分の幸せをつかみます。その人らしさとは人柄だと思う私は、子供たちに手習いを教えている儒学者・節斎の言葉に共感しましたので引用します。
節斎はこの日、ふたりの手本の字に「心」と書いて見せた。「ひとにとって、大切なものが様々にあるが、ただひとつをあげよと言うならば心であろう。心なき者は、いかに書を読み、武術を鍛えようとも、己の欲望のままに生きるだけだ。心ある者は、書を読むこと少なく、武術に長けずとも、人を敬い、救うことが出来よう」
永江朗『私は本屋が好きでした』太郎次郎社、2019年
帯に、「ヘイト本が本屋から絶えない事情がある。」と書いてあります。ヘイト本ってあるんですね。嫌韓反中の本だそうです。
韓国や中国政府や企業の批判から始まって、理屈関係なく民族や在日コリアン、中国人が悪いになっているとのこと。
このような本が並んでいると、書店に行くとイヤでも目に入ってくるんです。在日コリアンの女性は、おまえは許されない存在なんだからなと本が訴えかけているように感じるそうです。その書店の前を通れなくなると。。。
2016年に「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取り組みの推進に関する法律」が施行されても、ヘイト本やヘイトスピーチは続いています。
この本を読んでいる最中に大型書店に行きましたが、入り口近くにヘイト本が平積になっていて、その上に別の本が数冊ありました。
この二冊を合わせて読んでくださいと感じました。
取り次ぎから配本されたから置いてあるのでしょうが、無意識なのか意図的なのか。
出版事情、裏付けのないネット情報、マスコミによる日常的な刷り込み、マスコミへの不満、日本の閉塞感、韓国や中国への偏見などが絡み合っている。
表現の自由、思想の自由ってその先にいる人を傷つけても許されるものなの?
悪いことだと思っていてもやめられない事情って、変じゃないですか?
本の内容を考えないで配本したり、書店に置いたりするのって、思考停止状態じゃないですか?
確信犯の出版社は1社だけだそうです。
ヘイト本が置いてない書店は、独立系の書店(店主が本を注文して置いてある)だそうです。著者はこのような本屋をセレクト書店と言っています。
この本は、個人経営の新刊書店で買いました。
私、個人経営の新刊書店を大切にします。
今年、開店した個人経営の書店『かの書房』に行きました。
きっかけは、「放課後のいわた書店」で第2部の居酒屋で、加納さんの隣に座ったことです。
自分で本を選べないのがコンプレックスでした。
家に帰ってから思い起こすと、選べないのは大型書店とチェーン店なんです。
図書館、古書店、いわた書店では選べるていると気が付いたら、スッキリしました。
そこで、加納さんのお店『かの書房』に行きました。
選べましたねぇ。
3冊買いました。
レジの所で加納さんと話をして帰ってきました。
加納さんと話せたのも良かったです。
『かの書店』は、イイ感じのお店です。
住所:札幌市豊平区美園3条8丁目2-1
営業時間等は、Twitterでかの書店を検索してご覧になってください。
一万円選書で有名な砂川市にある「いわた書店」初イベントの「放課後のいわた書店」に参加しました。
毎週土曜日は午前中までの営業ですので、この日は3時ごろから参加者自らシャッターを開けて店内に入ります。
ゆっくり本を選んで(見るだけでも良し)、5時ごろに裏の居酒屋さんに行き、店主を囲んで異業種交流会のようなことをしました。
初めて会う人同士で、どんな話になるのかなと思いきや、話題は本です。
札幌でただ一軒の個人経営書店の店主も来ていました。
私は、どういうわけか、大型書店では、読みたい本のコーナーを目指して行き買いますが、本を選べないんです。
平積み、面出し、ポップがあっても、目が書名の上を滑っているって感じです。
でも、いわた書店では選んで買えるのです。
庶民的で居心地がいいので、ゆっくり選べてまとめ買いをしても総額を気にしなくていいのです。
個人経営の書店の方が肌に合っているようです。
そんなわけで、この日もまとめ買いをしました。
太宰治『お伽草子』新潮文庫、昭和47年発行、
この本は、「盲人独笑」「清貧譚」「新釈諸国噺」「お伽草子」の4編を納めている。
「盲人独笑」は昭和15年7月の『新風』、「清貧譚」は昭和16年1月の『新潮』、「新釈諸国噺」は昭和19年1月から11月号にかけて諸雑誌に、「お伽草子」は昭和20年7月に完成しているから、日中戦争から大東亜戦争終結までに書かれた作品となる。
この中で、防空壕の中で娘に読み聞かせをしていた絵本を題材にしたお伽草子を紹介する。
「瘤取り」
このおじいさんは酒飲みで、家族から疎まれている。家族は家事にいそしむ妻と、真面目一鉄で聖人のような息子が居るから、実に立派な家庭である・・・と太宰は想像した。
おじいさん、なぜか家の中では浮いている。話し相手は顔に出来た大きな瘤で、孫のように思っている。その大事な瘤を鬼に取られてしまった。人の容姿をとやかく言ってはいけないと考えている聖人の息子は、このことに触れず、妻は何も問題にしていないから、瘤が無くなった出来事をおじいさんは話が出来なかった。
近所に周りの人から一目置かれているおじいさんも頬に大きな瘤があり、恨んでいる。
家族も瘤を否定している。瘤が無くなったおじいさんの所に行き、いきさつを聞き、鬼の所に行ったが、緊張のあまり歌と踊りが下手になり、鬼は怒って取った瘤をつけた。
瘤を無くしたおじいさんとその家族、山に住んでいる鬼、瘤が増えたおじいさんとその家族は悪いことをしていない。性格の悲喜劇だと太宰は最後に言っている。
「浦島さん」
浦島太郎は丹後の水江に実在する人物らしい。太郎をまつる神社があるという。が、海を泳ぐ亀は小笠原、琉球、台湾が産地で、ここまで上がってきそうもない。沼津の海浜宿で一夏を過ごしたときに見た赤海亀にしよう。潮流を考えると上がってくるはずが無いと言われたら、出現する訳のないところに出現した不思議さ、ただのウミガメではないということにしておこう。・・・と太宰は決めた。
陸上と海中とでは考え方が全く違う。竜宮城で出会った乙姫はフワフワしているひと。すべてを受け入れすべてを許す。
竜宮城から帰ってきた浦島太郎は、お土産の箱を開けたら煙が出て一気に300歳になりおとぎ話は終わった。箱を開けなきゃよかったのに、竜宮城から帰ってこなければよかったのにと私は浦島太郎を悲劇のヒロインだと思っていた。
しかし太宰は言う。
年月は人間の救いである。
忘却は人間の救いである。
思い出は、遠く隔たるほど美しく、忘却は無限の許しを得られる。
浦島太郎は帰ってきたら寂しくなり、救いを求めて箱を開けたら、300年の年月と忘却があった。
「カチカチ山」
カチカチ山の兎は17歳の少女、惨めな敗北をする狸は兎の少女に恋をしている37歳の醜男だと太宰は断言する。
狸にあんなひどい仕打ちをするのは男らしくない。狸汁にされる所を逃げ出し、ばあさんを欺いたのは正当防衛だからだ。
狸は兎に惚れていたから兎の言いなりになった。兎はギリシャ神話に出てくるアルテミスのように気に入らないことがあったら残忍なことをする。
女性にはこの無慈悲な兎が一匹住んでいて、男性には善良な狸がいつも溺れかかってあがいている。
「舌切り雀」
主人公は体が弱く、朝起きて部屋の障子にはたきを掛け、箒で塵を掃き出すと、ぐったりするくらいだ。年齢はまだ40歳にもならない。・・・と太宰は考えた。
主人公夫婦の家に雀が一羽いついた。ある日、主人公の爺が雀と話しているのを妻に聞かれ、若い娘と話をしていると勘違いをし、夫婦げんかになった。
どこにでもある夫婦げんか。。。
この雀と話をしていたのだと言っても妻は信じない。ならば、この雀のしたを取ってやると言い、むしり取ったのであった。爺は飛んでいった雀を、がむしゃらに探した。爺には侘しさがあったのかもしれない。
雀のお宿に行った爺は、舌を切られた雀と会い、平安なひとときを過ごしてすぐに帰った。
事の次第を話してもにわかに信じない妻は雀のお宿に行き、大きな葛籠を背負って帰ってくる途中、息絶えたのである。
決して欲を出したので無く、雀に嫉妬していたのであった。
おとぎ話は道徳の教材のように語られているが、実は人間の本質に触れるものである。
水島宏明『母さんが死んだ 新装増補版』ひとなる書房、2014年
昭和62年1月、札幌市で子供3人を残してお母さんが自宅で亡くなりました。死因は餓死。このときSTV(札幌テレビ)でディレクターをしていた著者は、取材し制作した番組がギャラクシー賞など3賞を受賞し、平成2年に本を出版、平成26年に新装増補版が発売になった。
お母さんの名前は岡田恭子、享年39歳。子供からの連絡で近所のひとが行ったときは、電気こたつから上半身を出し、ふっくらとした体型はミイラのようになっていた。
中央区に住んでいたときは、働いていて生活費の不足分は生活保護を受けていた。家賃の節約をするために白石区の市営住宅に引っ越したが、生活保護は受けられなかった。
法律では生活保護を受けるのは国民の権利だとしているが、保護費抑制をし始めてからは申請の前に行われる相談段階で、困窮していても切っている実態が浮かび上がってきた。
「明るく豊かに見える消費社会。その砂上楼閣の薄皮一枚隔てたところで、貧困というがん細胞が国民を徐々に蝕んでいる。暮らしに不自由しない「中流」の家庭も、離婚や事故、病気や老いなどのきっかけ一つで、生活苦へと転げ落ちていく。行政が救おうとはせず、ますます増幅される貧困のひずみ。それが地方へ、母子家庭へ、老人へ、子供たちへ、と力の弱いところへ一気に押しよせている。」状況は、32年たった今も変わらないなと思った。
恩田陸『蜜蜂と遠雷』幻冬舎、2016年
ピアノコンクールを舞台としたこの小説は、4人の若きコンテスタントが登場します。
私の一押しは、蜜蜂王子だな。
映画ではどなたがピアノの担当になるのか出てるけど、かなりしばらくクラシックは聴いていないから、誰がどんな演奏をするのか分かりません。
(かなりしばらくって、40年とかね)
知らない人の名前ばかり。
Youtubeに、この小説に出てくる曲がアップされていましたが、蜜蜂王子が演奏した「ずいずいずっころばし」をルンバにアレンジしている曲は無かったな。
「ルンバ」で検索したら、掃除機のルンバばかりの中に「コーヒールンバ」がいくつか。。。聞きたかったのに。。。
聞いている人の感想を読んでいると、曲が流れてくるのを感じます。
身構えなく、アナリーゼした様子も無く、蜜蜂王子の音楽は透明感があるように思います。
だから、聞いている人の心の奥深くにある綿毛のような所に触れて、共感や反発という反応を呼び起こすのです。
一次予選、二次予選を通過し、三次予選。
やっぱり蜜蜂王子の演奏はいいねぇ~。
自然の猛威と驚異、美しさをよく知っていて、対話し戯れる。
この世の中は音楽であふれています。
風が吹き、雨が降り、打ち寄せては帰る波、人々の話し声。。。
音楽療法の先生がおっしゃっていた言葉を思い出します。
人は生まれたときから旋律に触れている。
言葉を発する前から旋律を発している。
「だ だ だ」とか「あ あ あ」で。
蜜蜂王子が師匠と交わした約束「音楽を外に連れ出す」って、どういうことなのかしら?
師匠と一緒に、またコンテスト期間中も模索しています。
本選でオーケストラとの共演の時に、何かをつかみました。
この小説を読んでいると、コンサートホールにいて曲を聴いている感じがします。
曲を聴いていると言うよりも、その曲のイメージを思い浮かべて、それに曲がついてくるような。。。
蜜蜂王子以外の3人のコンテスタントは、彼の演奏に触発されています。
それぞれが自分の演奏を模索していきます。
そして、コンテスト期間中も成長し続けます。
日本で行われたピアノの国際コンクールで、蜜蜂王子は何位になったでしょうか?
それはこの本をお読みになってください。
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