太宰治『お伽草子』新潮文庫、昭和47年発行、
この本は、「盲人独笑」「清貧譚」「新釈諸国噺」「お伽草子」の4編を納めている。
「盲人独笑」は昭和15年7月の『新風』、「清貧譚」は昭和16年1月の『新潮』、「新釈諸国噺」は昭和19年1月から11月号にかけて諸雑誌に、「お伽草子」は昭和20年7月に完成しているから、日中戦争から大東亜戦争終結までに書かれた作品となる。
この中で、防空壕の中で娘に読み聞かせをしていた絵本を題材にしたお伽草子を紹介する。
「瘤取り」
このおじいさんは酒飲みで、家族から疎まれている。家族は家事にいそしむ妻と、真面目一鉄で聖人のような息子が居るから、実に立派な家庭である・・・と太宰は想像した。
おじいさん、なぜか家の中では浮いている。話し相手は顔に出来た大きな瘤で、孫のように思っている。その大事な瘤を鬼に取られてしまった。人の容姿をとやかく言ってはいけないと考えている聖人の息子は、このことに触れず、妻は何も問題にしていないから、瘤が無くなった出来事をおじいさんは話が出来なかった。
近所に周りの人から一目置かれているおじいさんも頬に大きな瘤があり、恨んでいる。
家族も瘤を否定している。瘤が無くなったおじいさんの所に行き、いきさつを聞き、鬼の所に行ったが、緊張のあまり歌と踊りが下手になり、鬼は怒って取った瘤をつけた。
瘤を無くしたおじいさんとその家族、山に住んでいる鬼、瘤が増えたおじいさんとその家族は悪いことをしていない。性格の悲喜劇だと太宰は最後に言っている。
「浦島さん」
浦島太郎は丹後の水江に実在する人物らしい。太郎をまつる神社があるという。が、海を泳ぐ亀は小笠原、琉球、台湾が産地で、ここまで上がってきそうもない。沼津の海浜宿で一夏を過ごしたときに見た赤海亀にしよう。潮流を考えると上がってくるはずが無いと言われたら、出現する訳のないところに出現した不思議さ、ただのウミガメではないということにしておこう。・・・と太宰は決めた。
陸上と海中とでは考え方が全く違う。竜宮城で出会った乙姫はフワフワしているひと。すべてを受け入れすべてを許す。
竜宮城から帰ってきた浦島太郎は、お土産の箱を開けたら煙が出て一気に300歳になりおとぎ話は終わった。箱を開けなきゃよかったのに、竜宮城から帰ってこなければよかったのにと私は浦島太郎を悲劇のヒロインだと思っていた。
しかし太宰は言う。
年月は人間の救いである。
忘却は人間の救いである。
思い出は、遠く隔たるほど美しく、忘却は無限の許しを得られる。
浦島太郎は帰ってきたら寂しくなり、救いを求めて箱を開けたら、300年の年月と忘却があった。
「カチカチ山」
カチカチ山の兎は17歳の少女、惨めな敗北をする狸は兎の少女に恋をしている37歳の醜男だと太宰は断言する。
狸にあんなひどい仕打ちをするのは男らしくない。狸汁にされる所を逃げ出し、ばあさんを欺いたのは正当防衛だからだ。
狸は兎に惚れていたから兎の言いなりになった。兎はギリシャ神話に出てくるアルテミスのように気に入らないことがあったら残忍なことをする。
女性にはこの無慈悲な兎が一匹住んでいて、男性には善良な狸がいつも溺れかかってあがいている。
「舌切り雀」
主人公は体が弱く、朝起きて部屋の障子にはたきを掛け、箒で塵を掃き出すと、ぐったりするくらいだ。年齢はまだ40歳にもならない。・・・と太宰は考えた。
主人公夫婦の家に雀が一羽いついた。ある日、主人公の爺が雀と話しているのを妻に聞かれ、若い娘と話をしていると勘違いをし、夫婦げんかになった。
どこにでもある夫婦げんか。。。
この雀と話をしていたのだと言っても妻は信じない。ならば、この雀のしたを取ってやると言い、むしり取ったのであった。爺は飛んでいった雀を、がむしゃらに探した。爺には侘しさがあったのかもしれない。
雀のお宿に行った爺は、舌を切られた雀と会い、平安なひとときを過ごしてすぐに帰った。
事の次第を話してもにわかに信じない妻は雀のお宿に行き、大きな葛籠を背負って帰ってくる途中、息絶えたのである。
決して欲を出したので無く、雀に嫉妬していたのであった。
おとぎ話は道徳の教材のように語られているが、実は人間の本質に触れるものである。
最近のコメント